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2017年4月 2日 (日)

戦争とは政治の一手段であるにすぎない

AFPが2011年8月17日付けでモスクワ発のミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)ソ連元大統領(80)の会見記事を載せた。それは意外にも、ソ連崩壊に、日本が関与していたことを物語っている。

しかもソ連崩壊は、戦争と言う手段を使うことなく、政治力のみで世界秩序を変更できた例となった。

さてこのブログでは、これから世界はどうなるのかについて、書いてきた。日本の台頭は確実ではあるものの、日本は、憲法で国軍の保持を認めておらず専守防衛を主張するのみである。

しかしながら、巨大でよく訓練された近代的な自衛隊を持っている。しかし軍事力が機能するための、独立した軍法を持たないなど、まだ軍としての体裁を整えているとは到底いえない。というのも、米経済の凋落と米軍の衰退は、必然的に日本に軍事力の整備を迫るからだ。

そしてばらばらだった陸海空三軍が一体として行動できるような体制も徐々に整備されつつあり、軍としての体裁も整えられようとしている。しかしそれがどのように使われようとしているのかは、やはり、クラウゼヴィッツの「戦争とは政治の一手段であるにすぎない(意訳)」に帰するのだと思われる。

日本の真の支配者達は一体この日本をどうしようとしているのだろうか。そのヒントとなるような記事を徹底的改造計画さんが書いているので、抜粋要約編集してお目に掛ける。

ーーーーー以下抜粋要約編集qazx

【徹底的改造計画8/18】クラウゼヴィッツの具現者としての大ブッシュhttp://blog.goo.ne.jp/adlum99v3t/e/89ae2056da5f896ad8548be8b8696b0e

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【AFPモスクワ8/17 】ゴルバチョフ氏「米大統領から警告受けた」、91年のソ連クーデターから20年http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2820297/7643483?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)ソ連元大統領(80)は15日、政府系のロシア新聞(Rossiyskaya Gazeta)の取材に応じ、20年前の1991年8月19日の旧ソ連共産党強硬派によるクーデターの数週間前に、身辺に危険が及ぶ恐れがあると当時のジョージ・H・W・ブッシュ(George H.W. Bush)米大統領から忠告を受けていたことを明かした。

ゴルバチョフ氏は「ブッシュ氏側から電話で、モスクワ(Moscow)のガブリル・ポポフ(Gavriil Popov)市長から得た情報として、共産党が民主改革に不満を持っているとの情報を」伝えられた。だがゴルバチョフ氏は米大統領の発言を信用しなかった。

ソ連国内に抜本的な変革の兆候がある中、武力で権力を掌握しようとするのは「大ばか者でなければしない」決断だと考えたからだ。しかし、「残念ながら、彼らは本当に大ばか者だった」とゴルバチョフ氏は振り返る。

8月19日のクーデターにはソ連国家保安委員会(KGB)委員長や副大統領、ソ連の国防相と内務相も加わった。黒海(Black Sea)沿いで休暇中だったゴルバチョフ氏は軟禁され、クーデター勢力は政権獲得を表明し、民主化の時代の終焉を宣言した。

「あの休暇をとるべきではなかった。あれは間違いだった」(ゴルバチョフ氏)クーデターは勃発から3日後に失敗。その後、エリツィン氏がロシアの権力を掌握し、数か月後にソ連は解体した。(中略)

ゴルバチョフ氏は当時、米国とドイツは「ソ連が崩壊すれば、その破片が自分たちに襲いかかるかもしれない」との懸念からソ連を崩壊させない方針を支持していた、と信じていたという。

「ブッシュ氏は、ウクライナやバルト海沿岸部(の独立)を引きとめていた」「だが、ワシントンのほかの連中は、腕まくりをして、密かに(ソ連崩壊に向けて)少しずつ行動していた」1989年11月のベルリンの壁の崩壊からまもなく、東西ドイツ統一の機運が高まる中、ソ連は分裂した。

バルト3国の1つ、リトアニアは1990年3月に独立を宣言。91年にはバルト海沿岸の残りの2国とウクライナが続いた。ゴルバチョフ氏は、ソ連を救うためには、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を始めるのが遅すぎたかもしれないと語る。

その一方で、1991年6月に西側諸国に求めた300億ドルの融資が実現していれば、ソ連は生き延びることができたかもしれないと語った。この融資が実現しなかった理由についてゴルバチョフ氏は、「アメリカと日本が反対したんだ」と語った。

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クラウゼヴィッツ曰く、「戦争とは政治の一手段であるにすぎない(意訳)」と。ソ連崩壊は、この言葉が最も輝きを放った瞬間であった。愛国者、大ブッシュのチーム、その同盟国たる日本の真の支配者達は、この言葉の意味を理解していたことになる。

彼等は内なる敵たちをまんまと出し抜き、ヤルタ体制そのものをひっくり返し、もって世界秩序を予定された最終のフェイズ3に追いやることに成功した。そしていま、その世界秩序フェイズ3が終わろうとしている。

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・ヤルタ会談(ヤルタかいだん、英:Yalta Conference)
1945年2月4日~11日にクリミア半島のヤルタで行われた、F.ルーズベルト(アメリカ合衆国)・チャーチル(イギリス)・スターリン(ソビエト連邦)による首脳会談。

第二次世界大戦が佳境に入る中、ソビエト連邦(ソ連)の対日参戦、国際連合の設立について協議されたほか、ドイツおよび中部・東部ヨーロッパにおける米ソの利害を調整することで大戦後の国際秩序を規定し、東西冷戦の端緒ともなった(ヤルタ体制)。

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・マルタ会談(マルタかいだん、Malta Summit)
1989年12月2日から12月3日にかけて、地中海のマルタで行われた首脳会談である。これをもって、44年間続いた東西冷戦は終結した。

東欧革命やベルリンの壁崩壊を受けて、アメリカ合衆国大統領 ジョージ・H・W・ブッシュとソビエト連邦最高会議議長兼ソビエト共産党書記長 ミハイル・ゴルバチョフによる首脳会談で、第二次世界大戦末期のヤルタ会談に始まった米ソ冷戦の終結を宣言した。

これを標語的に「ヤルタからマルタへ("From Yalta to Malta")」という。マルタ島沖のソ連客船マクシム・ゴーリキー内で行われた。

この会談には、ソ連側からはシェワルナゼ外務大臣、アメリカ側からはベイカー国務長官及びスコウクロフト国家安全保障問題担当大統領補佐官、ライス国家安全保障会議東欧ソ連部長、マットロック駐ソ連アメリカ大使などが同席している。

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まもなく私たちは約束された新世界秩序実現のための、最後の仕上げにとりかかる。さあ、マルタより現れし聖ペテロの末裔共、自らの命と引き替えに最後の扉の鍵を開けるがいい。

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コメント

共謀罪の審議日程が、公明党と調整つかないようだが、こん国会で、共謀罪成立できますか?安部首相は党が違うから、自民党単独で、強硬にとか言ってるみたいだが

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