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2017年3月12日 (日)

仏教が持ついわば、「利己的な生存慾」から異次元の世界に行ける作用は、否定できない

ーー以下「中韓を知りすぎた男ブログコメント欄」より抜粋編集qazx

仏教について

ソロです。

ブッダは漢字音表示は仏陀、サンスクリット語の意味は、覚者です。

覚者の三法(三つの教え)は以下の様に表現されています。

1、人生は、苦しみである。永遠に満たされないものだ。
2、全てのものは変化する。変わらないものは無い。
3、自分という存在が知覚している世界は実在しない。

ーー

言うまでもなく、仏教は、古代インドの釈迦が開いた宗教(教え)であります。

彼は、人間が生まれるなり、「生老病死」に苦しむことを怪(あや)しみ、その苦しみの根源を絶とうとしてある考えに至った。

それが、悟りであり、上記の3法だと伝えられているのです。

ーー

彼が、王子つまりバラモン教の最上位のバラモン階級ではなかったが故に、3法は、全ての人々が対象となる内容でした。

バラモンの教えでは、生きとし生けるものは、輪廻転生し、人生は決められており、幾ら努力をしようと、願おうと、変えられない。

この考えは今もインド社会に生きており、カースト制とよばれて、階級間の移動を妨げている。

だから「生老病死」の苦から逃れるためには、この輪廻を絶つ以外にない。

その方法が、3法であるという事なのです。

ーー

そして、高齢になった釈迦は、「その教えを知りたい」と言う弟子たちの為に、「記録しない」事を条件に、質問を受けた。   

これは、彼が、悟りを、「個人が啓くもの」と考えていたからで、自分の悟りについても、「解釈自在(人によって違ってもよい)」と考えていたからなのです。

ーー

そこには、「全てのものは変化する、変わらないものは無い」という考えがあることは明らかです。

そして確かに、これでは、経世済民(世をおさめ民を救う)ことは出来ないでしょう。

日本においては、むしろ済民に注力され、仏教は大変化を遂げています。

念仏(阿弥陀仏を信じますと言えば極楽浄土に行ける)

あるいは念題目(法華経を信じますと言えば現生利益が得られる)

と言うような、「御釈迦様でもご存じあるめえ」というような教えが仏教とされたのです。

ーー

しかし、戦国時代、利己的な生存慾に基づく覇権を求めて死闘が繰り返されているとき、3法は、武将たちの視界を広げた。

「全てのものは変化する、変わらないものは無い」ような社会の中に、お互いの信頼を頼りに生きれるような社会にしたい。

あるいは、「人生は、苦しみである、永遠に満たされないものだ」が、「平和で、安全な社会」を作りたいと考えた。

それは、信長・秀吉・家康が、支配完成前後に為した政策で分ります。

例えば、未だに米国ではそれが出来ない、「刀狩り」は、特筆ものでしょう。

これは、武士階級への信頼感が無ければ到底出来ないことであると言えるでしょう。

また武士の俸禄が治世を誤るとそれが減る米という現物であったこと、

そして平等な税制を施行する為に「検地」が行われたこと。

これらは、社会安定のために必須なことでした。

ーー

このような仏教が持ついわば、「利己的な生存慾」から異次元の世界に行ける作用は、否定できないと思われるのです。

般若心経(知恵についての教え)に曰く、「我々の五感と意識が作り出す世界は実在しない。したがって、生老病死は実在しない(意訳)」と。

つまり仏教は、「利己的な生存慾」とは別次元の世界を垣間見せてくれる。

日本社会独特の思考を仏教が洗練したことは確かだと言えるでしょう。

2015/07/26(日) 10:05:59|  URL|  ナポレオン・ソロ #c5NzTaeA

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

今日の投稿は、昨日のソロさんの「仏教が、アジア人の共産主義に対する最後の心の砦となったと考えています。」との考え方を示したことに対する、こってりさんの日本の共産化を防いだのは、仏教によるのでは無く、「普通の日本人に、社会を守るための、寛容、勇敢、自己犠牲の精神があったからこそであると私は考えています。」への回答です。

ソロさんは、日本に入ってきた仏教は、数百年の中でよく咀嚼され消化されて、「利己的な生存感」から別次元の世界を見せたとしています。

日本人はこの千年以上の歴史の中において、大陸から来た様々な文化や文物をそのまま日本のものとせず、日本人に適合できるものとして改良した上で定着させたしています。仏教もまた、日本社会独特の思考が仏教を洗練したものにしたとしています。

それは、普通の日本人に、社会を守るための、寛容、勇敢、自己犠牲の精神があったからこそと考えるこってりさんと対立するものではないように思います。

こってりさんは、共産党は人類に堕落をもたらしたのは、19世紀末から、たかだか150年ほどとされていますけれど、日本人が大陸をはじめとする海外から入ってきた文化や文物を咀嚼し、消化して、日本に適合するように改良してきたことは、今に始まったことではなく1000年以上も前からやってきたことです。

普通の日本人が社会を守るために、寛容、勇敢、自己犠牲の精神の中で1000年以上もやってきたことが、日本に合わない事柄を自然に排除したように思います。

縦椅子さま
 こころこもるブログを有難うございます。
数日まえ、地下鉄でお母さんの膝のうえでニコニコしている赤ちゃんの隣にすわり、あまりにも可愛いので、「かわいい」とか声をかけたりしているときに、ふと思いました。
そばには、妹か弟がいるベビーカー、笑っている父母のそばには、お姉ちゃん、その隣にはおばあちゃんーなんという幸せな家族なんでしょう!
「こんなにもゆうゆうとした赤ちやン・・・きっと大成されますよ」と思わず、声をかけてしまいました。おばあちゃんに何かあって
も、行くところが決まっている。病気をしても、息子たちが面倒をみてくれる。跡を引き継いでくれる孫もいる・・・「ああ、ありがたや」-おばあちゃんはあんしんです。
菩提樹のもとで、覚者となった仏陀は、「覚者の3法」をのこして
くださいましたが、こうした血のにじむような教えがなければ、世の中は闇となっていたことでしょう!
そして、ブログにありますように、「仏教は、1000年もの間、日本社会の独特な思考過程を経て、ますます洗練されたものになっている」、そして、その恩恵をたまわり、わたしたちは、日々安寧に、過ごしていけるのだという感謝の念をあらたに致しました。

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