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2017年3月 3日 (金)

貪欲であれ、愚直であれ

スティーブ・ジョブズ氏は、アップルコンピューターの創始者の一人なのだが、2011年10月5日に膵臓癌が悪化して死亡した。享年56歳であった。

スタンフォード大学2005年卒業式で行われた彼の伝説のスピーチをお目に掛けたい。実業界で、世界で最も成功した人物が、人生をどのように考えていたかが良く分かる。

その「スティーブ・ジョブズの感動のお話」を、抜粋編集してお目に掛ける。(翻訳:小野晃司)http://sago.livedoor.biz/archives/50251034.html

ーーーーー以下抜粋編集qazx

今日は私の人生から3つ・お話をします。大したことありません。たった3つです。

最初は、点と点をつなぐ話です。私はリード大学を6ヶ月で退学しました。しかし本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居て授業を聴講していました。

辞めることになった理由は私が生まれる前に遡ります。私は大学院生の女性の私生児として生まれました。私を生んでくれたその女性は大学出の養父母に私を養子に出すことを決めていました。

ある弁護士夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていたのです。ところが、私が生まれる直前に、欲しいのは女の子だと言い出したのです。それで養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外の男子が生まれたのですが、もらっていただけますか?」という電話を受けたのです。

現在の私を育ててくれた両親は「もちろん」と答えました。しかし、母親は高卒、父親は中卒だったのです。それで私を生んでくれた女性は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。これが私の人生の出発点です。

17年後、大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高い大学を選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。

半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。人生で何がやりたいのか私自身に考えがなく、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。

だから退学を決めたのです。それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時このように信じることにはかなりの勇気が要りました。ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。

というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。しかしもう寮には自分の部屋もなく、友達の部屋の床に寝泊りさせてもらっていました。

食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。これが私の楽しみでした。

こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。ひとつ具体的な話をしてみましょう。

リード大学には、当時おそらく国内でも最高の書き方(カリグラフィ)教育がありました。見渡せば大学構内にはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きの文字(カリグラフィ)で溢れていたのです。

私は退学していますので普通の授業には出る必要がありません。それで文字の書き方(カリグラフィ)の授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。

私はそこで飾り文字(セリフ)や飾りの無い文字(サンセリフ)の書体について習ったり、文字と文字のスペースを変えていく概念について、つまり異なる文字を書き連ねる手法など素晴らしい書体(フォント)の作り方を学問として学びました。

書体は、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。当時は、書体が人生の役に立つという期待すらありませんでした。

しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しい書体を持つコンピュータが誕生したのです。

もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。

もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。

もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だからいましていることのひとつひとつがいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。

自分の性格、自分の運命、自分の人生、自分の業、何でもいいから、とにかく今やっていることを信じるのです。人生のどこかで今やっていることがつながると信じれば、自信を持って今を思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。

ーーー

2つ目は、愛と敗北についての話です。自分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。

実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。

私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。

アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の1年はうまくいっていました。しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。

取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。まさに社会的に追放された感じでした。私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。

数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。

私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会いひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。まさに社会的脱落者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。

しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しづつ気づきました。アップルの退任劇があっても私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社で否定されても、私はまだ自分のやってきた仕事が好きだったのです。

だからもう一度やり直すことに決めたのです。その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。

成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。

その後の5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。

ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

そのネクストがアップルに買収され、私は思いがけずアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いているのです。

ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。クビは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。

人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。

本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないならじっとしていないで探し続けることです。

心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。だから探し続けること。じっとしていてはいけません。

ーーーーー

3つ目は、死についての話です。私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです」これには強烈な印象を受けました。

それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。

私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは、死に直面していると考えれば吹き飛んでしまう程度のもので、死に直面した時にも、なおそこに残るものだけが本当に大切なことなのです。

自分もいつかは死ぬと思っていれば、失うことを恐れなくなります。失うものは何もない。思うままに生きることが可能になります。

今から1年ほど前(2004年)、私は癌と診断されました。CTスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたのです。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月と言いました。そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。

それは、子供たちに伝えるべき10年分の内容を数カ月で済ませておけ、という意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。

私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方にすい臓腫瘍の生検を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取したのです。

私は麻酔されていましたので分からなかったのですが、医師が顕微鏡で細胞を見て「すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプです」と説明すると、妻は泣き出したそうです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何十年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は死について確信を持って言えます。

誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それは人が死を迎えるべきものだからです。

なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。「死」は「生」がかたちを変えたものなのだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きなのです。

いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。

君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。

自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。

ーーーーー

私が若い頃 "全地球カタログ" というすごい出版物があって、私と同じ世代ではバイブルのように扱われていました。それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼のみずみずしい表現で彩られていました。

1960年代の終わり頃はパソコンも無ければ、もちろん私がマッキントッシュで可能にしたような、編集作業をコンピュータ上で行い、プリンターで出力することも出来ない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。

それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような本で、そこに書かれていた膨大な量の概念はすぐに使える道具となったのです。

スチュアートと彼のチームは ”全地球カタログ” を何度か発行しましたが、ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。1970年代半ばのことで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。

それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景と言えるものでしたが、最終号の裏表紙には、どこまでも続く早朝の田舎道の写真が使われていました。その写真の下には「貪欲であれ、愚直であれ」 と書かれていたのです。

どこまでも続く道に、貪欲であれ、愚直であれ、それが、発行者の最後の言葉だったのです。

それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。君たちの進む道に、貪欲であれ、愚直であれ。ご清聴ありがとうございました。

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