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2017年3月 5日 (日)

どうして司馬遼太郎は、このような誤解と偏見に満ちた文章を書くのだろうか

昨日司馬遼太郎は大嘘つきだとして、「NHKと司馬遼太郎の詐術」という題のブログを紹介した。

司馬遼太郎は何故こんな嘘を吐かなければならないのか。しかも彼は、彼一流の独断と偏見ではあるが、差別社会の実態など朝鮮半島のことを知りすぎている。

どうして司馬遼太郎は、このような誤解と偏見に満ちた文章を書くのだろうか。

BB(べべこ)さんが彼の不思議な文章を紹介している。べべこさんの解説をはさみながらその文章を紹介したい。その書き出しは、こうだ。

ーー以下抜粋編集qazx

【BBの覚醒記録2012/7/14】司馬遼太郎という無知と自虐史観http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/ee1680a8a1eca612c0277b6211f6edee?st=0

過去記事「司馬遼太郎という名の”国賊”」に対して、コメント欄で絡んできた人物が居た。http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c2e39dccae736940fcaff9c6277cefcf

それを機にもう一度、司馬遼太郎という作家の思想について検証してみました。

ーー

司馬遼太郎は、もう歴史家とは呼べないほど史実を知らない。しかし思想家と呼ぶにしても、驚くほど幼稚な方だ。

その実例として、彼が朝鮮半島に関して書いた、文章をお目に掛けます。以下、司馬遼太郎『「昭和」という国家』(NHK出版1998年)より抜粋

ーーP52には、次のような文章が書かれています。

「われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね」

ーー

著名な小説家のこのような文章によって、日本人は、贖罪意識を植え付けられてきました。

しかし司馬遼太郎が語るその贖罪意識の根拠は以下のような史実に反するものなのです。

ーー

「これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった。

併合という形で、相手の国家を奪ってしまった。こういう愚劣なことが日露戦争の後で起こるわけであります」

ーー

この内容については、ネット環境を手にし、多くの朝鮮に関する知識を得ている多くの日本人の中には、

司馬遼太郎がぬけぬけと語る、朝鮮半島の数千年の文化と数千年の独立、という文言に腰を抜かした人もいるのではないでしょうか?

いったい、司馬さんはいかなる文献と資料を持ってこれを主張なさるのでしょう。清という李氏朝鮮の宗主国の存在をよもやご存知ないのでしょうか。

この文章の後にも、次のような当時の世界情勢を全く理解していないような、ばかばかしい文章が続きます。

ーー

「むろん朝鮮半島を手に入れることによって、ロシアの南下を防ぐという防衛的な意味はありました。

しかし、日露戦争で勝った以上、もうロシアはいったんは引っ込んだのですから、それ以上の防衛は過剰意識だと思うのです。

おそらく朝鮮半島のひとびとは、あと何千年続いてもこのことは忘れないでしょう」

ーー

この発言内容は、まるで南朝鮮大統領の発言です。しかし広く知られている史実は、

朝鮮の独立を巡って日清戦争が起こり、それに日本が勝ち、1895年(明治28年)4月に日本と清の間で下関条約が結ばれ、朝鮮は、清から歴史上初めて、独立するわけです。

しかし、同23日にはフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の三国の公使が「遼東半島を日本が保有することは東洋の安定を損なう」としてその放棄を求めてくるのです。

以後も諸外国は、日本の朝鮮経営に対して、様々な干渉をしてくることになり、それがやがて日露戦争に発展するのです。

つまり「日露戦争で勝った以上、もうロシアはいったんは引っ込んだ」それで終わり、と言うような単純な環境ではなかったことは明らかです。

そして彼の文章は倫理の問題から利害の問題として以下のように続きます。

ーー

「倫理的な問題ではなく、利害の問題として考えてみましょう。朝鮮を併合することが、国家として儲かることだったのでしょうか。

私は決して儲かることではないと思うのです。

そういうことを平気でやって、しかもそれは帝国主義であると言われています。帝国主義という言葉は上等ですね。泥棒主義と言ってもいいのです」

ーー

もう読者もご存じのように、日本は、朝鮮併合の36年間ずっと、国費の持ち出しでした。朝鮮経営・統治は、日本国民の犠牲の下になされていたのです。

この事実を、彼が全く知らずに、あるいは調べないで、単なる独断と偏見でこの文章を書いていることが分かります。

そして以下のような、思いつきを書き並べています。

ーー

「明治三十年代にどれだけの産業がありますか。生糸をアメリカなどに売って、やっと外貨を得ている程度です。他の国に売れるようなものは、マッチとタオルぐらいです。

産業能力があって十九世紀的な帝国主義というものが成立します。ところが何も売るべき産業もなくてですね、朝鮮半島を取ってしまったわけです。

生糸をアメリカなどに売って、やっと外貨を得ている程度です。他の国に売れるようなものは、マッチとタオルぐらいです」

ーー

このような状態から、日本は鉄道を敷設するなどして社会基盤を整備し、急速に近代化を進めていったわけです。朝鮮にはそれができなかった。

そして次のように書いています。

ーー

「何もないから、結局、東洋拓殖という一種の国策会社ができました。朝鮮半島のひとびとが一所懸命、先祖代々耕してきた水田を取り上げたりした。

実際のソロバン勘定からいったら、持ち出しだったでしょう。鉄道をつくったり、総督府をつくったり、学校をつくったり、郵便ポストをつくったり、それはそれでいいのですが、我を持ち出し、恨みを買った。

イギリス人やフランス人は国家運営を考えます。外に出ていくときに、儲かるか儲からないか。あるいは目先の儲けではなく、百年先に儲かるか。

常にそういう計算があるはずです。それが戦略、政略というものだと私は思うのです」

ーー

水田を奪ったとおっしゃるが、農作物の飛躍的収穫の増大を何と説明するのでしょう。日本が進んだ農耕法を伝えたからだと考えるのが普通です。

あたかも日本が植民地にしたかのような司馬の言い分ですが、違っています。史実は、朝鮮人支配層の多数が併合を望んだことを示しているのです。

東洋拓殖(東拓)を何か朝鮮を一方的に虐げたニュアンスで捉えているようですが、東拓に絡んで移民した日本人たちの艱難辛苦はご存知ないのでしょうか。

開けていない極貧朝鮮農家の中に入って、言語を絶する貧しさに耐え、中には1尾の塩鮭を吊るして置いて、1ヶ月間もかかって細かく切り分けながら食用として命をほそぼそとつないだ、というエピソードも残っています。

ーー

そのような日本人たちの辛苦の果てに・・・

併合のたった30年間で、1千万人足らずだった人口が2500万人に激増、平均寿命は24才から45才へと驚異的に伸び、

日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが建設され、未開の農業社会だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌、

日本からは優秀な教師が赴任して朝鮮人を朝鮮文字を復活させて教育した、このような事実すら司馬氏には損得のソロバン勘定でしか見えないらしい。

さらに司馬は次のように書きます。

ーー

「強欲な百姓が隣の畑を略奪するように、ただ朝鮮半島を取っただけです」

ーー

「強欲な百姓」とは、いったい何を根拠にしての喩えでしょうか?日本の歴史の中で農民が強欲であった時代はあったでしょうか?

せいぜい食糧の無い戦争中、物品と引き換えに行った人たちに対して示した傲慢さとか、思い当たるのはその程度の些事ですが。

ーー

そもそも植民地の定義とは何か。少なくとも持ち出しで相手を豊かにすることに一生懸命になった植民地化など世界のどこに例がありますか。

損得とおっしゃるが、損は承知の投資でしたでしょうに?相手を日本、日本人として扱ったからこその国費と人材の投入でした。

ーー

日本の江戸時代、その後の近代国家の礎を日本が着々と築き続けていた頃、李氏朝鮮は人民に対して、暴虐の限りを尽くしていました。

人民は単なる搾取の対象でした。この簡単な事実に、反駁出来るか司馬遼太郎よ。

ーー

人民は圧政に喘ぎながら、飢えに苦しむ日々を過ごしていたのです。そのような搾取と奴隷制から開放したのが日本でした。これは事実です。

司馬は併合前の朝鮮人の平均寿命が24才であった。それが日本の併合で圧倒的に長生きするようになった事実を見よ。

「日帝の帝国主義」とやらに虐げられていた民が、倍近くまで寿命を伸ばすというのか、愚かしい。

ーー

暴虐は決して日本ではなく、朝鮮に対する清であり、朝鮮人民に対する李王朝なのであります。

李朝の容赦無い暴虐下で民の心は病み、ねじくれ現在の異常な韓国人の精神性のベースを作り上げました。

北朝鮮がその原型のままです。人民が飢えても我関せず、体制批判は地獄送り。

ーー

このような李氏朝鮮下での地獄絵図が、韓国の国定教科書では「この世の理想郷」であるかのように、記述され教えられています。

なぜ、地獄から民を救い出したのは日本でしたとは、言えないのか。

ーー

司馬は、併合前の朝鮮が世界の最貧国であったという単純な事実すら無視しています。

併合前の朝鮮にいったい、いかなる「文化」が存在したのか、司馬は具体的に検証した上で、持論を述べるべきです。

ーー

台湾には古代から由来の文化がありました。しかるに、日本によって台湾の文化が壊されたり、奪われた形跡は皆無です。

なぜ朝鮮ばかりがそれをわめき立てるのか、司馬の耳には台湾の人々の声は聞こえぬようです。

そもそも、日本がなにゆえ朝鮮の文化を壊さねばならぬのか、その理由を明示していただきたい。

あるのは因習、淫習、蛮習ばかり。それらから人民を開放したのが、日本の罪なのか。

李氏朝鮮に文化というものがもし存在したのならば、示すべきだろう。

ーー

併合解消後も、鉄鋼所、造船、地下鉄・・・オリンピック施設などの建設資金を援助したのはどこか、日本です。

アジア通貨危機の時、IMF資金以外に、韓国を救けたのはどこか。日本です。

しかもそのIMFすら、日本は世界で2位の拠出国なのですから、韓国は二重に日本に救われています。

ーー

戦後の日本からの借金80兆円は、ほとんど返さぬまま、罵り続け、日本は催促もせず黙っている。

5兆円に及ぶスワップにも感謝とてされない。このような状況下で、日本がとにかく悪いと日本を打ち据え続ける司馬氏。

司馬遼太郎は、日本が韓国の奴隷になって貢ぎ続けることを望むのか。

ーー

日本の軍隊の募集に応募者が殺到、採用されずそれを悲観した自殺者まで出た事実を司馬氏はどう説明なさるのか。

日本の軍隊に朝鮮名のままで、高位高官に付き日本兵を指揮していた朝鮮人が一人ならずいたことも、司馬氏は知らぬほど無知なのか。

靖國には朝鮮人の兵士たちも朝鮮名のまま手厚く祀られていることをご存知か。

同じ統治を受けた台湾は「恨」どころか賛美賛嘆である事実をどう説明なさる気か。

ーー

朝鮮人の「恨」は本来、李氏朝鮮の支配層にこそ向かうべきものです。

近代化は日本によってなされた。しかしその事実を知れば、民族の無力と欠陥に行き着いてしまう。

だから「恨」の矛先を日本へ向けた。

現在の朝鮮人たちは、日本が乗り込んできて暴虐の限りを尽くしたという虚構・嘘を教えられて、日本人に「恨」を抱くように教育されているのです。

ーー

朝鮮人たちは、国家レベルで、本来・李氏朝鮮の支配層にこそ向かうべき「恨」を、日韓併合に置き換えてしまった。それが司馬氏が隠した真実です。

ーー

在日朝鮮人たちでさえ、李氏朝鮮下における因習のひとつ・奴隷制度を非難するものが多い。30%もの人々が奴隷として、文字も読めない状態のまま一生搾取されるままに置かれた。

そのような人権無視の因習の数々を司馬氏は、何千年も続いた朝鮮文化と主張されている。

現在の韓国の学校教育では、日本に併合されるまでは、李氏朝鮮社会は豊かで自由で素晴らしい楽園だったと教えている。

司馬遼太郎よ、あなたは韓国の国定教科書レベルの大嘘つきだ。

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コメント

テーマと異なって、申し訳ありません。

3月13日の読売新聞夕刊の記事です。
大阪府豊中市で2015年、登校中の小学校の列に乗用車が突っ込み、6人が重軽傷を負った事故で、自動車運転死傷行為処罰法の危険運転致傷罪に問われた51歳の会社員の判決が13日大阪地裁であり、裁判長は無罪を言い渡した。
裁判長は、被告が前夜に服用した睡眠導入剤の影響について「運転開始時点で、正常な運転が出来ないおそれがあったとは認められない」と述べた。
被告は15年5月20日朝、睡眠導入剤の影響で正常な運転が出来ない恐れがあることを認識しながら車を運転し、小学校1~6年の男児5人をはね、自転車の女性を転倒させて重軽傷を負わせたとして、危険運転致傷罪に問われていた。
裁判長は「事故時には何らかの原因で仮睡状態にあった」としたが、運転開始から20分以上は正常な運転を続けていたとし、運転開始時には危険性を認識できなかったと判断した。
検察側は、被告が眠気を感じながら運転を続けたとして過失運転致傷罪も主張したが、判決は「事故直算まで正常に運転しており、運転を中止する義務があったとは言えない」として同罪についても無罪とした。その上で「事故が起きている以上、運転上の過失はあったと考えられるが、検察官が主張しておらず、有罪には出来ない」とした。
睡眠導入剤服用後の運転を巡っては、11年10月、鹿児島県奄美市で車とミニバイクが衝突してミニバイクの男性が死亡し、車を運転していた被告が危険運転致死罪に問われた裁判で、鹿児島地裁が13年11月、睡眠導入剤などを服用し正常な操作が困難な状態で運転したとして、懲役3年の実刑判決を言い渡した。
また、三重県鈴鹿市で12年12月、男性をはねて死亡させた被告が同罪などに問われた裁判では、13年11月、津地裁が、正常な操作が困難な状態で車を運転したとして、懲役7年の実刑判決を言い渡した。

この交通事故裁判は、被告は睡眠導入剤を服用していることを自覚しているはずですから、服用後に車の運転をすることの危険性は承知していた筈です。また、運転開始時に危険性を認識できなかった場合でも、その後に眠気はあったと考えられ、この眠気が事故を招く可能性は運転免許を所有しているものならば、事故に直結する行為であると予測可能であります。
また、裁判官は「事故が起きている以上、運転上の過失はあったと考えられるが、検察官が主張しておらず、有罪には出来ない」としましたが、何を主張していないというのでしょうか?
眠気を感じたならば、運転を継続してはならないし、事故発生時にはハンドル操作やアクセル及びブレーキ操作に間違いがあったことは確かなのです。

この事故に関連する条文は、第66条の過労運転等の禁止、「何人も、前条第一項に規定する場合のほか、過労、病気、薬物の影響その他の理由により、正常な運転ができないおそれがある状態で車両等を運転してはならない。」です。

裁判長は、被告が前夜に服用した睡眠導入剤の影響について「運転開始時点で、正常な運転が出来ないおそれがあったとは認められない」と述べたのですが、事故の結果、子供達6人が負傷しているのですから正常な運転の出来ない状態であったのです。
ですから、被告は運転してはならなかったのです。結果責任です。

似たようなことを想定する場合に、飲酒運転があります。
これが飲酒運転であったならば、事故直後にアルコール検査をされすが、この時、呼気にアルコールが規定以上に含まれていた場合には、飲酒事故になります。ですから、運転者はアルコールが検出されないようにと考えるのです。これは、飲酒時から事故を起こすまでの時間に関係なく、呼気に含まれているアルコールが関係します。
アルコールが検出されれば、正常な運転が出来ても処罰対象になるのです。
これと、同じだと思います。

もっとも、この裁判官は裁判を、弁護士と検察官の討論会だと考えているのではないでしょうか。
裁判は、ゲームではないのです。人が法律に、違反した結果を裁くのです。この交通事故では被告が睡眠導入剤という、服用すれば本人の意思と関係なく眠ってしまう薬を、何らかの理由で服用した被告が、その後に安易に車を運転したために安全な運行が出来なくなった結果、交通事故を起こしたために6人が負傷しているのです。
その重大な結果を、裁判長は理解できていないのです。

過去の事例だけでなく、2012年4月に発生した京都府亀岡市の無免許運転の少年が起こした、居眠り運転による10人の死傷者事故のときも、当初の裁判では自動車運転過失致死傷罪であって、危険運転致死傷罪ではありませんでした。

交通事故に限らないのですが、最近の裁判では加害者の人権保護は叫ばれても、被害者の奪われた人権は忘れられているように思います。

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