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2017年3月 1日 (水)

私たちは連合国が作り上げた戦後体制の中からしか、歴史を見てこなかったのだ

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

渡邊惣樹『戦争を始めるのは誰か』(文春新書)

渡邊氏の労作の数々を私たちはすでに読んできた。

それは、資料庫に眠っていた資料を探し出し読み直すことで、開国から日清・日露・大東亜戦争へと至る日本の新たな物語を作る試みなのである。

ようやく日本の知識人は、日本の開国以来の物語が、占領軍GHQによる戦争責任教育計画WGIPの下に改竄されていたことを把握した。

自分で集めた資料を丹念に読み込んで書かれたこの一作は、「渡邊史観」の総仕上げと言えるかも知れない。

ーー

たとえば、

「ルーズベルトFDRが、フーバー大統領の恐る恐る始めたケインズ的経済運営をこれほどまで煮つめていたことは『正史』に書かれていない。当選後には、選挙公約を見事なまでに裏切って、国家財政を火の車とし、ケインズ的経済運営手法を積極的に導入したのが借金王と呼ばれることになるFDRだった」

彼は借金を誤魔化すためにも戦争を始める必要があった。ところが

「フーバーを無能な大統領と貶め、FDRを賛美する歴史家はこの事実を書こうとしない」

これがいまも米国の歴史学界と報道業界(ジャーナリズム)にはびこっている史観なのである。

彼ら米国の既存の知識人らは、その史観に異議を呈する人々に修正主義のレッテルを貼って貶(おとし)め、無視してきた。

米国のこの知的荒廃ぶりは日本の状況と同じだ、と。

ーー

戦前のヒトラーは、ドイツ経済を再建した英雄と見なされていた。

オーストリア国民はそんなドイツへの併合を熱烈に歓迎したのだった。

英国にとっての第2の貿易相手国ドイツの再建は、英国の利益でもあった。

しかしベルサイユ体制の不条理がドイツを軍事帝国へと歩ませ、それを英国が傍観しポーランドがドイツを挑発したのだった。

「全く間違ったFDRとチャーチルの外交を正当化するたった一つの方法が、ドイツと日本を最悪国として解釈することだった」

「戦前のドイツと日本を、自由を抑圧し世界覇権を求める全体主義の国、つまり民衆政治の敵として描くことで、FDRとチャーチルの戦争指導の過ちを覆い隠した」

日本はこのルーズベルトが仕掛けた陰謀によって開戦へと駆り立てられたのだが、ルーズベルトの相棒がチャーチルだった。

ーー

「フランクリンルーズベルト(FDR)がソビエトを承認した1932年11月16日が、日本のその後の運命を決定づけた日に思える」

「極東、とりわけ支那への赤化工作への危機感を持ち、ソビエトの工作を資本主義体制への挑戦とみなし、強い危機感をもった日本は、繰り返しその体制を同じくする、そして同じように共産主義を警戒するはずのアメリカに、日本の立場の理解を求めた」

「防共のパートナーとなるよう訴えた。それが見事なほどに拒否されたのが、1932年11月16日だった」

「この日こそが、戦後の東西冷戦の第一歩でもあった。アメリカの無理解に対して、日本はその後も懸命の努力を続けた。しかし同時にソビエトの西漸の防波堤の役割を果たそうとしているドイツへの期待を高めざるを得なくなるのである」

「アメリカのソビエト承認が生んだ外交ドミノだった。日本は1934年夏、ドイツに帝国海軍艦隊を親善訪問させ、陸海軍高官をドイツに派遣した」(174p)

ーー

しかし世界戦Ⅱの勝利の女神は悪魔の側にほほえんだ。

そしてスターリンは漁夫の利を得たばかりか望外の獲物を手に入れた。

戦後の東西冷戦は、ルーズベルトの誤算から生まれた。

ーー

「現代では多くの人々の心に、この時期にはまだ顕在化していないホロコーストのイメージが染みついている」

「曇った心のプリズムを通して、ヒトラーやナチスドイツを見てしまう」(314p)

ーー

「米英両国の外交に過ちがなかったのか、あったとすれば何が問題だったのか」

しかし英米ではそれを探ろうとする行為は、歴史修正主義として忌み嫌われ、学閥から排斥され、報道業界(ジャーナリズム)からも敵視された。

しかし、このような、いわば知的荒廃がつづく限り、歴史の真実はなお埋もれたままになるだろう。

ーー

真因であるベルサイユ条約態勢の不条理は軽視され、チェンバレンの愚策もポーランドの稚拙な外交も、無視されている。

ーー

「本当のことを書いてしまうと、連合国が作り上げた戦後体制の正統性が崩れる。敗戦国を一方的に断罪した二つの戦争法廷の根拠も失われる」

「だからこそ歴史修正主義に立つ歴史家は徹底的に嫌われてきた」

つまり私たちは連合国が作り上げた戦後体制の中からしか、歴史を見てこなかったのだ。

それが大変な間違いであることを、著者は、ようやく日の目を見た新資料で、あるいは新証言で明らかにしている。

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