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2017年3月22日 (水)

歴史は学ぶためにある、というのが、日本人の歴史に対する一貫した立場です

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

もし歴史家が、自分の思惑のために史実を無視して、「信長が壇ノ浦で平家を滅ぼした」と書いたとします。

すると読者は、史実を根拠にそれはデタラメだと言うでありましょう。

記録を証拠に、「信長が天下布武を掲げて武力で全国を統一した」と、「平家が壇ノ浦で敗れた」とは時代が違っていると。

日本では、これら記録(証拠)を無視して大声を張り上げても、説得力は皆無なのです。

ーー

それでも大声で記録に無い自説を繰り返し主張するような人達には、日本人は、相手にしないといった制裁を加える。

ーー

史実「過去の出来事」についての評価(善し悪し)はその人の立場によって変わります。

たとえば「比叡山の焼打ち」については、焼打ちをした方と、された方で善し悪しの評価が変わる。

しかし歴史家は、比叡山を武装解除しなければ天下統一は不可能だった、と書いて読者を立場(善悪の評価)を越えた視点に導きます。

ーー

立場によって見方が替わるし、そもそも出来事を記録した文書には、書き手の立場が含まれている。

その立場を考慮したうえで、出来事に第3者が納得できる説明をする必要がある。

たとえば戦争では、勝った方も負けた方も、正義のために戦っている。

それゆえ善悪で説明することは不可能なのです。

歴史家の仕事とは、「なぜ戦争になったか」「その結果どうなったか」「別の方法はなかったのか」を読者に説明し、納得させることなのです。

ーー

日本最古の歴史書である古事記は「なぜそうなったのか」「その結果どうなったか」「別の方法はなかったか」が書かれています。

その善悪の視点は、おほみたから(民)の安全・安心・豊かさを奪うものが悪、その逆が善とされているのです。

そして重要なことは、それらの善と悪は表裏一体であって、善の中に悪があり、悪の中にも善があるという姿勢を全編にわたって保持しています。

そして善悪の当事者の織りなした出来事(史実)が記録されていて、そこから、私たちが考え学べる様にしている。

そしてこれこそが、日本人の歴史に対する考え方なのです。

ーー

国際法では、挑発(provoke)に対する攻撃(attack)は自衛権の発露とされ、正当な行為として認められている。

侵略(aggression)は、認められていないのですが、これは挑発されていないのに攻撃することです。

支那事変の場合、通州事件等々、日本はさんざん挑発を受けていた。

つまり支那事変は、侵略ではなく自衛権の発露になります。

ーー

日米戦争も、ABCD包囲網やハル・ノートによって日本はさんざん挑発を受けていた。

それ以前に、英米は支那国民党の側に援助を行い、飛行部隊まで派遣していたのです。

戦争には、戦争当事国と中立国しかありません。

そして中立国であれば、どちらの味方もしてはならないのです。

つまり、日米開戦の前に、すでに当時の米国は戦争当事国であったわけです。

従ってこのことを伏せて、米国民に「日本が真珠湾で騙し討をした」と述べるのは、政治宣伝であって歴史ではありません。

ーー

このように歴史は学ぶためにある、というのが、日本人の歴史に対する一貫した立場です。

ーー

日本は、7世紀と19世紀にいずれも外圧を受けて大きな変革を行いました。

そのときの日本の当事者らは、天皇陛下に政治の表舞台に立っていただくことで改革を断行したのです。

そして、7世紀になされた改革について書かれたものが古事記であり、712年に元明天皇に献上されています。

この改革というのは、645年の大化の改新やその転機だけを指すのでは有りません。

6世紀から8世紀の初めまで、およそ200年かけて、行きつ戻りつ徐々になされたものだったのです。

ーー

1853年の黒船来航以来の19世紀になされた明治維新を含む改革も、天皇陛下に政治の表舞台に立っていただくことでなされ、それはいまなお続いていると考えています。

それは、欧米列強による経済的軍事的支配に対して、日本が、日本的支配を掲げて挑んだ戦いなのです。

これは「植民地支配」という15世紀半ばからはじまる大航海時代以来の西欧の統治に対する、「日本的統治」との戦い、ということになります。

実際、朝鮮人を相手に「日本的統治」をしたのでありますが、相手が悪すぎて完全な失敗でありました。

が、世界戦Ⅱは、結果として西欧の「植民地支配」を一掃しています。

ーー

現在の日本は、世界戦Ⅱに敗けて、「国軍不保持、交戦権放棄」状態に置かれ、国内に在日・反日勢力を抱え、支那・朝鮮の軍事的脅威にさらされている。

「日本的統治」つまり「民が安心・安全・豊かに暮らせる」状況は、日本国内においてはまだ未完成だと言えるでありましょう。

明治維新が、そのための戦いの始まりであったとするならば、その戦いは、平成となったいまもまだ、その渦中にあるといえます。

明治元年から、今年は149年目です。「日本的統治」が確立していくためには、まだまだ戦っていかなければならないのだと思っています。

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