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2017年3月11日 (土)

社会を維持するためには、寛容、勇敢、自己犠牲の精神が必用

ーー以下「中韓を知りすぎた男ブログコメント欄」より抜粋編集qazx2015/7/20

ソロです。

ギリシャのみならず、共産支那が、いみじくも同時期に終末的危機を迎えています。

その原因は、共産主義に根差した、権力層の、そして、庶民層の秩序無視でした。

つまり、人種は違っても、共産主義がもたらす害毒は、社会に同じ現象をもたらすといえるでしょう。

日本では秩序をもたらしているのは、法があるからだと考えられています。

イスラム教徒が、近代法について、それは人間が作り上げたもので権威と言うものが無い。

我々イスラム教徒は、予言の書コーランにある神の教えに従って行動すると主張しています。

つまり、近代法以前は、宗教が秩序をもたらしていたと言えるでしょう。

欧州には、キリスト教が、またアジアには、仏教があった。

仏教に対する信仰の強度によって、赤化の深度が、支那、ビルマ、カンボジアで異なる状況に成ったと言えるのではないでしょうか。

私は、仏教が、アジア人の共産主義に対する最後の心の砦となったと考えています。

2015/07/17(金) 10:08:06|  URL|  ナポレオン・ソロ #90LdKUd6

ーー

共産主義が人類に堕落をもたらしたのは、19世紀末から、たかだか150年ほどです。

ーー

私は、仏教的秩序に付いては、懐疑的なのです。

確かに、仏像の周りには、武器を手にした守護神たち「天、神将、明王」の像が配置されています。

しかしそれは、ブッダ(覚者)の教えを守護するものであり、社会つまり人間の住む世界を守護するものではありません。

しかも僧(修行者)は、覚者(ブッダ)になろうとして「布施、忍辱、持戒、精進、禅定、知恵」の修行に明け暮れている。

彼らは、社会の秩序を護ろうとはしない、ましてや人々の生活を豊かにしようとはしないのです。

ーー

つまり仏教には、経済観念つまり、「経世済民(世をおさめ民を救う)」という社会性がまるで無い。

古代インドの仏教王国マウリヤ朝は、恐らく仏教の社会性の無さによって衰退したと考えられるのです。

因みに、そのマウリヤ朝の脅威となったのはギリシャ人の王朝でした。

ギリシャ人たちは、仏教に帰依し、仏像を初めて作っています。

そして、最盛期のギリシャ人王メナンドロス1世は、那先比丘経にその名を残しているものの王朝は、衰退しているのです。

ーー

仏教遺跡の存在によって、インドネシアや、中央アジアでも、広く仏教が信じられていたことが分かります。

しかしそれら多くの仏教国のほとんどが、衰退してしまった。

ーー

社会性が無ければ、布教できない。

それで日本では、僧が貧民救済に活躍しています。

しかし、それは仏教(ブッダの教え)とは無関係なのです。

17条憲法に三法(仏、法、僧)を敬(うやま)えとありますが、その前に社会の繁栄が必須であるはずです。

教義を変えた一見社会性を持つニセ仏教でも、盛んになれば国力は疲弊してしまいます。

ーー

それでは日本は、社会の隅々にまで、ブッダの教えが浸透している国であるのに、何故、衰退しなかったのか。

ーー

実際日本で、仏教が盛んであった時代は、戦乱が絶えなかった。

それで信長は天下統一を目指して何をしたかと言えば、長島一向一揆を鎮圧し、石山寺本願寺を攻め、比叡山を焼いた。

秀吉は根来を攻めました。

こうして、仏教勢力の武装解除が終わってから、戦乱の世が終わっているのです。

徳川幕府は、寺社奉行を設けて仏教勢力を支配体制に組み込みました。

ーー

以来、仏教は武装するほどの勢力にはなりえなかった。

しかも、日本の僧は、ブッダの教えの体系を民衆に分かる言葉・日本語で語ろうとはしなかった。

つまりブッダの教えは、民衆の間では、日本社会に合うものだけが選択され流布されたと言うことに成ります。

このことが、日本を社会性の無い仏教からは無縁の仏教社会にした。

ニセ仏教(出家者が妻帯する等)であったことが、日本を繁栄させたのだと思われるのです。

ーー

仏教は、決して社会を繁栄に導くような教えを持ってはいないのです。

ーー

日本人の寛容さは、浦安國という別称の如く、仏教渡来以前からの国民の資質です。

また一方の日本人の勇敢さも、細戈千足(さほこちたる)国という別称に現れています。

また、万葉集には「大君の辺にこそ死なめ、返り見はせじ」と自己犠牲の精神が詠われています。

ーー

人類が少数の集団であった頃、集団を維持する為には寛容さと、集団を外敵から守る勇敢さと自己犠牲の精神が必要だった。

その後、人類は、大集団となり、世界各地に移住して行く過程で、利己主義と残忍さを増していった。

このような殺伐とした状況で、寛容と、自己犠牲を説く数々の宗教が生まれた。

日本の自然環境は、台風、地震、冷害、干ばつなどの自然災害が繰り返し起こるような厳しいものでありました。

そんな中で、日本人の祖先は、仏教伝来後も、寛容、勇敢、自己犠牲という社会を守るという精神を持ち続けていました。

ーー

やがて、そんな厳しい自然をある程度克服できるようになると、利己的で残忍な日本人が増えて、武力で政権を争う時代になります。

それに僧(殺さず、犯さず、盗まず、偽らずの持戒を持つ出家者)も加担して、戦乱が広がる。

そんな中で人々は、寛容と自己犠牲を説く仏教に救いを求めます。

仏教の隆盛は、政治に関わろうとする僧の武装化を招いた。

しかし、戦国の世を終わらせた信長は、まず僧から武器を奪ったのでした。

これが日本における政教分離政策の嚆矢(こうし、始め)であります。

ーー

信長と秀吉そして家康による、政教分離政策によって、日本人に、社会を維持するための、寛容、勇敢、自己犠牲の精神が復活します。

それは明治維新にも、日清、日露、世界戦Ⅰ・Ⅱで遺憾なく発揮され、敗戦後の豊かな日本を築くためにも、その精神が発揮されたのでした。

ーー

日本は、支那やギリシャのような共産主義化を免れました。

日本も下手をすると、共産主義者による政治宣伝によって、共産化されていたのです。

しかし共産化を防いだのは、仏教によるのではない。

それは、普通の日本人に、社会を守るための、寛容、勇敢、自己犠牲の精神があったからこそであると私は考えています。

2015/07/17(金) 18:48:48|  URL|  こってり #tuEXU5AU

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コメント

韓国で仕事がなく、日本に五万人近くの人が就職してるそうだ、流暢に日本語を喋り即戦だそうだが、反日の教育を受けてる人が何故、流暢な日本国語を、沢山の人がそして、大量に日本に、これは何かあるのでわ?

ソロさんは、仏教の信仰心がアジア人の共産主義に対する最後の砦だと言い、こってりさんは仏教には経済観念という社会性は無く、盛んな時代は戦乱が絶えなかったとします。

そして、日本の強酸化を防いだのは仏教では無く、普通の日本人に社会を守るための、寛容、勇敢、自己犠牲の精神があったからと考えておられます。

日本には仏教が入ってくる前から、自然信仰が広く浸透していました。この理由には、自然災害が多かったことや、八百万の神に感謝するとの宗教としては原始的なのでしょうけれど、古代からの神道があります。

自然は災害だけでは無く、食物や着る物の材料を与えてくれます。自然は喜びも苦しみも与えてくれますけれど、日本人はこれに喜ぶだけで無く、苦難の時にはいろいろな工夫をして、沢山の経験を積みました。知恵を付けました。

神道という宗教の中に含まれるとの、考え方もあると思います。

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