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2017年2月17日 (金)

旧約聖書は、アシール地方に残ったフェニキア人の記録?

ーー以下「腹筋崩壊ニュース」より抜粋編集

古代エジプトの遺跡からは、文書(碑文やメモや落書き)がわりと豊富に見つかっているのです。

が、どういうわけか旧約聖書の、「60万人の男とその家族がエジプトから脱出した」ような大事件に関する記録が、サッパリ見つからないのです。

それで、「出エジプト記」のエジプトって、本当?という疑念が湧いてくるわけです。

旧約聖書「出エジプト記」の原文は「msrym(ミツライム)」。

「エジプト」という地名は、

「コプト」
 ↓
「ギプト」
 ↓
「アル=ギプト」
 ↓
「エジプト」となった。

これまで、エジプトが「ミツライム」と呼ばれたのは、旧約聖書の中だけなのであります。

ーー

旧約聖書は、「古ヘブライ語」で書かれています。

ところが、古ヘブライ語は、B.C.6世紀頃に死語となっていた。つまり誰も使わなくなっていた。

B.C.4世紀の終わり頃からエジプトを支配していたプトレマイオス朝プトレマイオス2世は旧約聖書をギリシア語に翻訳するよう命じます。

そのためにユダヤ教の司祭たちが学術都市アレキサンドリアに集められた。

こうして出来上がったのが七十人訳聖書なのです。

ーー

古ヘブライ文字は、22の子音のみからできています。

子音だけであっても、その言語を話せる人にとっては、十分理解可能なのです。

しかし、その言語を知らない人が、これを正確に発音することは困難です。

ところが翻訳時点で、古ヘブライ語はすでに話し言葉としては消滅していた。

翻訳に携わった七十人の司祭たちも、古ヘブライ語の消滅から何世代も後の人間でした。

その彼らが、以下の様に決めたのであります。

「msrym」を「エジプト」に、「yrwšlym」を「エルサレム」に、「’wr」をメソポタミアの「ウル」に、「r’mss」をエジプトの「ラムセス』に

それは正しかったのでありましょうか。

ーー

そもそも「エルサレム」ですら、統一イスラエル王国の首都だったという確証はない。

その他、パレスチナからはいくつも遺跡が見つかっていますが、それが旧約聖書に登場する町だと断定できる証拠は何一つ見つかっていないのです。

ーー

1985年4月、カマール・サリービー著「聖書アラビア起源説」が、キリスト教国である欧米各国で議論を巻き起こしました。

著者カマール・サリービーは、レバノンの歴史家で、ベイルート・アメリカン大学の歴史考古学部の名誉教授でもある。

教授は、サウジアラビアの地名図鑑を見ていた時、そこに登場する地名に見覚えがあった。

キリスト教徒だった教授は、すぐにそれらが旧約聖書に出てくる地名では!と気付いたのでした。

ーー

旧約聖書には地名に関して結構問題がありました。

地名というのは、「言葉の化石」と言われるほど、変化しにくいものであります。

しかしパレスチナの地名は旧約聖書の地名との一致率が異常に低いのです。

旧約聖書には800を超える地名が登場するのに、ほとんど、パレスチナには残っていない。

聖書考古学者は、地名から場所が特定できないために、旧約聖書に記された町を追い求めてひたすら遺跡を掘ってきたのであります。

そして遺跡からは、いくら掘っても旧約聖書に記された町が出てこなかった。

ーー

旧約聖書に出てくるYHWHも問題となっています。

旧約聖書に以下の物語が記されています。

ーーソドムとゴモラ

堕落した街、ソドム(sdm)とゴモラ(’mrh)。

そこの住民たちは、「不自然な肉の欲の満足を追い求めていた」(なんとも羨ましい限りですが)。

YHWHはこれを咎(とが)め、大変けしからんと怒り出します。

彼は天から硫黄と火を降らせて、ソドムとゴモラをあっという間に滅ぼしたのでした。

ーーYHWHの登場

出エジプト記 19章16節
三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。

出エジプト記 19章18節
シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。

ーー

上に挙げたお話は、火山の噴火を思わせるものです。この記述からは、YHWHが火山の神だった可能性が高い。

ところがパレスチナやシナイ半島には、火山は存在しない。

見たこともない自然現象を正しく記録に残すことはできないのであります。

ーーもう一つ例を

ユダヤ人の父祖アブラハムは、メソポタミアのウルから旅立った後、一時期ゲラルという町に住んでいました。

その場所は未だにわかっていませんが、なんとなく「パレスチナの地中海沿岸にあったんじゃない」と考えられています。

このゲラルという街は、旧約聖書には「クシュ人」が支配していたと書かれています。

この「クシュ人」というのは、エチオピアで栄えたクシュ王国のことだとされていて、旧約聖書のいろんな場面でちょくちょく登場します。

しかし、エチオピアと、パレスチナの間には、当時の超大国エジプトが陣取っています。

アブラハムが生きていたB.C.20世紀頃のエジプトは、超大国だった。

クシュ王国は、そんなエジプトを飛び越えて、遠くの一都市を支配していたことになっているわけです。

そんなの無理じゃないですかねぇ…。

ーー

要するに、旧約聖書の物語の中には、地理的にも多くのおかしな点があるのであります。

サリービー氏が唱えた仮説の骨子は、

「本当の旧約聖書の舞台は、パレスチナではなく、アシール地方だよ」

という主張です。

アシール地方というのは、サウジアラビア南部・紅海沿岸のイエメン寄りらへん。

ーー

サリービー氏は、旧約聖書に登場する地名の大半を、このアシール地方から見つけ出すことができました。

氏は、旧約聖書の物語をアシール地方に置き換えても、物語上の位置関係や、登場人物の移動経路に破綻をきたさず、むしろ自然に理解出来ると主張しているのです。

しかも、こんなに都合よく聖書の地理に当てはまる土地は、アシール地方以外には存在しないのであります。

ーー

では、サリービー氏は、アシール地方にどんな地名を発見したのでしょう。

氏は、古代イスラエルの首都エルサレム(yrwšlym)を、アシール地方にある「アール・シャリーム」のことだと言います。

同じように、父祖アブラハムの故郷はメソポタミアのウル(’wr)ではなく、「ワルヤー」という村。

ゲラル(grr)は、「グラール」という村。

モーセが脱出したのはエジプトのラメセス(r’mss)ではなく、「ラ・マサース」という村。

エチオピアのクシュ王国(kwš)とされていたのは、本当は「クーサ」という村。

そして、エジプト(msrym)とされていたのは、クーサの近くにあるミスラーマという村。

という具合。

要は、せいぜい300km四方の、アシール地方で起こった出来事というわけです。

ーー

ワルヤー村出身のアブラハムは、西のグラール村に引っ越しました。

その子孫はミスラーマ村に移住したけど、奴隷扱いされたので脱出しました。

そして、周辺の村を侵略して、最終的にアール・シャリームに本拠地を置き、小さな王国を築いたよ。

旧約聖書の物語と比べるとなんとも小さい話であります。

ーー

もちろん、サリービー氏の説の単に地名が一緒というだけでは、その信憑性は低い。

サリービー氏の説が仮説の状態から定説になる為には、もっと具体的な証拠が必要となります。

一番手っ取り早いのは、考古学的調査、発掘です。

実際、アシール地方には多くの遺跡が確認されていますが、未だにその発掘調査は行われておらず、この説を裏付けることはできていません。

ーー

しかし、推測できることが幾つかあります。

アシール地方には火山の神YHWHに必要な火山があるよ

パレスチナやシナイ半島には、一個も無い火山がアシール地方には幾つもあります。

さらに言うと、アシール地方自体が溶岩層でできていて、かつて火山活動が活発だったことが伺えるのであります。

だとすると、火山の神YHWHを信仰するのは非常に自然なことと言えますね。

ーー

一度整理してみましょう。

旧約聖書の舞台がパレスチナだったという現在の説については、

・パレスチナには旧約聖書に対応する地名がほとんど残っていない。

・火山の神と思われるYHWHが活躍する場所(火山)がない。

・パレスチナの遺跡からは旧約聖書との繋がりが一つも発見できていない。

という問題があります。

それに対し、アラビア半島のアシール地方には、

・旧約聖書に登場する地名のほとんどを見つけることができる。

・火山がある。

・アシールには未調査の遺跡がたくさんある。

という感じ。

ーー以下空想

それではなぜ「アシール地方の物語」が「パレスチナの物語」へと置き換わってしまったのでしょうか。

旧約聖書の舞台はパレスチナだとされています。

その最大の根拠はパレスチナの遺跡から古ヘブライ文字が記された土器が出土しているからであります。

ところが古ヘブライ文字というのはフェニキア文字に他ならないのです

つまり、パレスチナにある遺跡は、フェニキア人のものだった。

ヘロドトスの「歴史」には、紅海沿岸に住んでいたフェニキア人が、やがてパレスチナへと移住してきたと記されています。

アシール地方は、まさに紅海沿岸であります。フェニキア人の故郷はアシール地方だと考えるのが自然です。

ーー

フェニキア人の中には、パレスチナに移住せず、紅海沿岸に残った人もいた。

旧約聖書は、アシール地方に残ったフェニキア人の記録だ、と考えれば辻褄が合う。

ーー

しかし、B.C.6世紀、アシール地方のフェニキア人の国は、新バビロニアに攻められて終わってしまいます。

そして、地中海のフェニキア人も、ペルシャとかマケドニアとかに攻められて、パレスチナからも駆逐されてしまいます。

そこへプトレマイオス2世の旧約聖書をギリシャ語に翻訳せよという命令が舞い込んだ。

フェニキア人の残党七十人は、「フェニキア文字」を読める人が誰もいなくなっているのを良い事に、アシール地方の物語をパレスチナの物語に作り替えた。

ーー

その際、「出『ミスラーマ村』記」では、物語として小さすぎるので「出エジプト記」とした。「ミツライム」を「エジプト」にしたのです。

そんな翻訳にすると、エジプトはイスラエル人を奴隷にし、赤子を皆殺しにし、YHWHにコテンパンにやられてしまうことに成ります。

しかし翻訳を命じたプトレマイオス2世は、その訳に激怒しなかった。

と言いますのも彼は、エジプト人ではなくマケドニア人であり、彼の評価は「エジプト人って酷かったんだね。エジプトの古い歴史を知れてラッキー♪」程度だった。

つまり彼はその訳のまま放置した。

こうして、フェニキア人の残党はアシール地方の地味な歴史を、壮大なものに見せかけることに成功します。

その結果、人種民族にかかわらず多彩な信者が集まってきました。

やがて、ユダヤ教という宗教のみで繋がる「ユダヤ人」という集団が構築された。

ーー空想ここまで

今のイスラエルは、旧約聖書の中に記された「神がユダヤ人に与えた土地」なのであります。

もし、旧約聖書の起源がアシール地方だとすると、ユダヤ人があそこにイスラエルを建国した正当性は、木っ端微塵に吹き飛んでしまいます。

しかも、聖書考古学では、パレスチナでは未だに旧約聖書と関連のある遺跡が何も見つかっておらず、「旧約聖書は大げさだった」なんていう結論を出しています。

しかし一方で、「旧約聖書アラビア起源説」は、いまのところ「地名が似ている」というのが根拠であり、単なるトンデモだったという結末も十分にあり得ます。

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