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2017年2月 9日 (木)

近代国家での法の下の平等以外平等はあり得ない

ーー以下「鈴木傾城ブログ」より抜粋編集

18世紀に蒸気機関が動力として使われるようになり、大量生産が可能になった。すると生産手段を持つ者や、企業を起こす才覚のあるものに富が集中するようになる。

一方に、生産手段も持たず事業を起こす才覚もない人々が出現して、持てるものと持たざる者との闘争が起こる。

19世紀になるといわゆる階級闘争について、それを政治的に解決する方法が考えられるようになる。

それが、生産手段を国有にしようと言う共産主義(コミュニズム)であり、その逆の政府は介入すべきではないと言う自由主義(リベラリズム)である。

目の前に格差が存在していたため、共産主義は、瞬く間に、世界中に拡散し、ロシアでは世界戦1の混乱に乗じて、共産主義者が政権を取ってしまう。

しかしご存知の様に、共産主義者は、国民から自由を奪い共産主義を強制したため自由主義国に経済的・文化的に敗北してしまう。

ーー

共産主義者は貧富の格差を生産手段を持つ者と持たない者との差と捉えて、生産手段の公共化を目指した。

しかし生産手段を持つことで金持ちとなる道を絶たれた人々は、政治的発言力を持とうとして争うようになった(政治闘争)のだった。

ーー

要するに人々は、平等など求めてはいないということが分る。

あたりを見回してみると、人それぞれ年齢、性別、能力、体力、身長、容姿が違っている。

しかも人は、人種、国籍、環境、出身、身分等、生まれた時から違っている。

これ程変化に富む人たちの貧富の差だけを取り上げて議論するのは、議論しやすいからだけの事であり、議論の根本のところで間違っていると言うことになる。

ーー

平等については、たとえば、生産手段を公共化すべきだという考えの他に、教育の機会は貧富の差に関係無く与えられるべきだという考えもある。

厄介なのは、人それぞれで平等の視点が微妙にズレていることだ。

「平等」という同じ言葉を使いながら、目指しているものが人によって違っている可能性があるのである。

世界中で平等の意味がすれ違い、それが様々な問題を引き起こしている。

ーー

世界中の人が「平等(イコール)」という言葉を多用しているが、中身がまったく違う可能性があるのだ。

それで、法の下に平等という考えがなされ、先進国の近代法やイスラム教国のイスラム法で実現している。

つまり世界には、近代法治国家、イスラム法国家、無法国家が存在する。

しかし、多くの国家が無法状態のままであり、そこでは、恐怖政治(テロリズム)が行われており、支配者の暴力によって一切の平等が拒否されている。

ーー

そして近代法治国家の下においても、たとえば人種間差別を無くせと言って特権を得て、逆に不平等を作り出している人々もいる。

誰かが、「平等な社会を実現したい」と言ったとき、誰も反対できない。

ところが彼は、自分に都合の良い平等を求めているのだ。

「平等な社会」の主張の中には隠された思惑が存在する。

つまり我々は、「近代国家での法の下の平等以外平等はあり得ない」と心得るべきなのである。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

>>「近代国家での法の下の平等以外平等はあり得ない]
 つまり、「恣意的なモノを含む平等は、平等とは認め難い」と言う事かと。 是は、客観的に言えば当然の話ですが、歴代の支配者が言い募る「自身の正義」の根拠となって居る考えでもあります。 是を「神の前の平等」と、神という絶対正義を仮託したものに措く「誤魔化し方」が、中世の欧州で共産主義に否定されるまで、大手を振って通用していたように思います。

 処が日本では、神の行いは必ずしも人間の云う正義ではない、というか、人間の事には、日本の神は、殆ど介入しない、と云って良い。 但し、自然をまともに保つに障害に成る一定の穢れや不自然な流れが有れば、其れを浄化する方向で、「元に戻す力」が発動されるだけである。 

 そして、人間には結果しか与えられない。 ダカラ、日本では、どこが悪かったのか、何が間違っていたのかは、人間がよりよい社会を築いて行く上で、結果を吟味して反省・改良すべき事なのです。

 もっ突込んだ言い方をすれば、日本の神は自然を統治してるのであって、人間は添え物に過ぎない、従い、人間の為の神では決してないのである。 ダカラ、神は法則を人間に守らせる存在であるが、人間だけ護る存在ではない、地球を、この生物が生きて行ける環境を護って居るのである。

 随い、日本で考えられる平等は、「生命としての平等」であって、「同じ資質を持つ」と仮定した人間間に顕れる相対的な差ではない。 否、寧ろ、男女すら、異質の生き物である事が前提となって居る。 然し、重要なのは、異なって居ても同権なのである。

縦椅子さま

 この素晴らしいブログを通して、更により深遠な思想の領域までお導きいただけることに、感謝いたします。
 ナポレオン・ソロさまコメントを読ませていただき、「まさに、これだ!」と、全てを理解できたのです。
「日本で考えられる平等は、「生命としての平等」であって、「同じ資質をもつ」と仮定した人間間に顕れる相対的な差ではない。いな、寧ろ、男女すら、異質の生き物である事が前提となって居る。然し、重要なのは、異なって居ても同権なのである。」
 だから、私のような、存在価値のないようなものでも、威張っていきられるんですもの・・・本当に有り難いことです。 つまり、日本の平等とは、地球上のすべての生きとし生けるものが、全て平等ということなのです。だから、とんでくるトンボにもこころをかよわせることができる・・・なんて素晴らしい思想なんでしょう!このような素晴らしいお考えに出会えるなんて、まさに僥倖です。本当にありがとうございます。

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