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2019年5月23日 (木)

羅とは何を意味しているのだろうか

以下の小論は、知り合いのものだが、許可を得て抜粋編集した。

ーー

清朝皇帝の姓は愛新覚羅(あいしんぎょろ)という。

wikipediaによると、アイシンは「金」という意味の、かつて女真族が興した王朝名であり、後にヌルハチが興した王朝からとった族名である。

ギョロはヌルハチの祖先が最初に定住した土地の名を戴いた姓氏であるという。

愛新覚羅で「金の覚羅一族」を表す。

ーー

しかし漢字は、「新を愛し羅を覚え(よ)」と読める。

この羅とは何を意味しているのだろうか。

羅とは鳥や小動物などを捕獲するための網を意味する言葉だったが、絹で織った網のような薄物を指す言葉にもなったと説明がある。

しかしその説明では、なぜアイシンギョロを愛新覚羅と漢字表記したのかの意味は見えてこない。

ーー

この羅というのはいろんなところに出現する。

まず思いつくのが新羅(しんら)であろう。

ここで新羅は新しい羅と書かれている。

ということは古い羅があったことになる。

初めから古いとは言わないので、それは単に羅と呼ばれていた可能性が高い。

ーー

さて、羅を考えるために、愛新覚が羅を修飾しているのではないかと仮定してみる。

この3文字は一見するとバラバラだが、新の左右にある愛と覚は慈愛と覚醒(悟り)を示す仏教用語であると考えることもできる。

そうすると新は日々新たなりとされる如来ということになる。

つまり、これらは釈迦三尊を示しているのではないか。

釈迦三尊では、釈迦の左に知恵の文殊菩薩、右に慈愛の普賢菩薩がおわす。

愛新覚とぴったり符合する。

ーー

そういえば清朝は仏教用語を使っている。

17世紀前半、朝鮮王仁祖は儒教の華夷秩序に従い、明を高きに置き、新しく興った清を軽んじ、清に臣従することを拒んだ。

清皇帝太祖は、朝鮮に大群を送り平定する。

清はこれを丙子(1636年)胡乱と呼び、太祖は朝鮮王仁祖を殺さずその降伏を許す。

これは大変珍しいことであったらしく、同年これを記念する石碑が建立された。

石碑は、現在もソウル市の一角に現存しており、朝鮮王仁祖が清皇帝太祖に三跪九叩頭の礼をしている姿が浮き彫りになっている。

ーー

これ以降1895年に日清戦争で日本が清に勝つまで、李朝は清の属国となる。

ーー

石碑には「大清皇帝功徳碑」と記されている。

この功徳というのは、仏教用語で、仏教徒が良い結果を得るために行う善行のことだ。

ーー

仏教国タイは、古くはシャムロと呼ばれていた。

何故ならその地には、もともとシャムとロの2か国があったからだ。

やがてシャムがロを併合して単にシャムとよばれるようになったと言われている。

このロは、漢字表記では羅であろう。

ーー

朝鮮半島とタイとは距離が離れすぎている。

それでタイのロは羅ではないかもしれない。

しかし正倉院御物を見れば、1300年以上前に中東の産物が日本にもたらされていた。

このことを考えれば、当時今考えると気の遠くなるような距離との交易がなされていたことになる。

ーー

新羅以前に存在したと考えられる羅は、西暦紀元ごろには存在していたのかもしれない。

そうだとするとこの頃、西洋ではローマ帝国が栄えていた。

ローマの漢字表記は羅馬である。

小生は、現在支那で、アメリカ合衆国が美国と呼ばれているように、ローマ帝国は当時羅国と呼ばれていたのではないかと考えている。

そしてローマ帝国からやってきた人々が、東アジアでも国を作った。

それを羅と称していたのではないのかと思えて仕方がない。

ーー

またイスラエルのラは古代エジプトの神ラーであると言われている。

(エジプトのヒエログリフの中の囲み文字カルトゥーシユの中にisalaerという文字があり、その意味はer(神)la(ラー)sa(の息子)i(アイ、アイはツタンカーメンの後に王位についたと言われている)

ーー

羅は、ローマ由来の人々によって古代エジプトの神ラーの意味を持たせられ、ひそかに神格化されていたのではなかろうか。

それは済州島の古名・耽羅からわかるように、羅に耽(ふけ)る(羅を崇拝する)ものであったのではないのかと。

ーー

日本書紀によると、新羅は、562年に、朝鮮半島南東部にあった加羅諸国(みまな)を併合し朝鮮半島の日本人らを追放している。

新羅の後に興った高麗は、936年半島沖にあった耽羅王国を滅ぼす。

この耽羅王国のあったところは現在の済州島なのだが、古くは耽羅と呼ばれていた。

ーー

小生の結論は、以下である。

ーー

長く言い伝えられた神ラー(羅)が、仏教と習合し由緒ある姓になった。

つまり愛新覚羅の羅はロと発音されているが、この羅というのは、釈迦三尊とラー(ユダヤ、キリスト教、イスラム教の神)の合体したもので有り、期せずして東西最強の言葉になっていたのではなかろうか。

ーー

追記

ソロさんご愁傷さまです。お父様の御冥福を心よりお祈りいたします。

2019年5月22日 (水)

地球上に存在する生命のほとんどは10万年から20万年前に、ほぼ同時期に現れた?

以下のような話が出ていたので再掲する。

ーー以下「大紀元日本1918年7月5日」より抜粋編集

現代の科学界で、当たり前のように唱えられているダーウィンの進化論。

私たちは、学校の授業で、「人間の祖先は700万年前に現れた猿です」と習う。

この理論を、根底から覆すような科学的データが報告された。

ーー

米ニューヨーク・ロックフェラー大学のマーク・ストークル氏(Mark Stoeckle)と、スイス・バーゼル大学のデビッド・タラー(David Thaler)氏。

彼らは共同で、アメリカの遺伝子データバンク(GenBank)にある10万種の生物種の DNA から抽出された、500万の遺伝子断片である「DNA バーコード」を徹底的に調査した。

その結果、ほとんどの動物がヒトとほぼ同時期に出現したことを示す証拠を発見。

人間を含む現在地球上に存在する生命種のうちの90%が10万〜20万年前に出現したことが明らかになったという。

ーー

「驚くような結果でした。私自身、それに厳しく反論できるよう試みました」とタラ―氏はAFPに話す。

この結果の証拠とするのは、いわゆる「中立な遺伝子変異」にばらつきがなかったこと。

中立な遺伝子変異とは、世代を超えて生じる分子レベルでの微少な変化のことで、集団内でそれが固定化されることにより、分子進化が起こるという説。

この遺伝子変異がどれくらい起こっているのかを調べることにより、その種が誕生したおおよその時期を特定できる。

とすると、それより以前に存在した生命は、何らかの災難により「一掃された」とする仮説も成り立つ。

ーー

さらに、今回の研究で分かったのは、「生物種には非常に明確な遺伝的境界があり、2つの間に位置する中間種は何もなかった」ということ。

ダーウィンが主張した「間にある生物種」が存在しないということは、つまり猿が人間に進化する過程の、いわゆる「猿人」も存在しないということになる。

タラー氏はAFPに対して、「中間にあるべきはずの種がないことについては、ダーウィンも困惑しているのではないか」話している。

同研究は、人類進化学の専門誌「ヒューマン・エボリューション(Journal of Human Evolution)」に掲載された。

ーー抜粋ここまで

ーー以下「岸良造コラム」より抜粋編集

この研究の驚くべき結果は、人間を含む現在地球上に存在する生物種のほとんどが 10万〜 20万年前に出現したことが明らかになったことだ。

これはつまり、地球のほとんどの生物は 20万年前以降に「この世に現れた」ということになる。

ーー

これまでの定説では、地球が46億年前に誕生してから、35億年前くらいに最初の生物が現れた。

そこから「徐々に」進化し、現在の姿の生物となったというものだ。

しかし、今回の結果では

1、生物種は「徐々に」進化したのではない
2、ほぼすべての生物種が20万年前以降に登場している

ということになる。

ーー

ところが、日本語の報道がほぼない。

ーー

実際に行われたのは「 DNA バーコード(DNA barcodes)」の全調査プロジェクト、というものだ。

世界中から数百人の科学者たちによって10万種の生物種のDNA と、500万の遺伝子断片である DNA バーコードが集められた。

これらが、アメリカ政府が運営する遺伝子データバンク(GenBank)にあり、それが調べられたのだ。

ーー

これまでの定説では、たとえば、アリでもネズミでもヒトでもいいのだが、大規模な個体群を持つ生物種は時間が経過するほど遺伝的多様性が増すとされている。

このように時間の経過と共に、生物が進化してきたというのが定説だ。

しかし、それは本当なのだろうか?

ーー

今回の研究主任マーク・ストークル氏は AFP に次のように述べた。

「いいえ、それは違います」

「地球上に住む 76億人のヒトも、5億羽生息しているスズメも、あるいは、10万羽生息しているシギたちも、その遺伝的多様性は「ほぼ同じくらいなのです」」と。

ーー

つまりこのことは、地球上の生物のほとんどが、一斉に20万年前以降に出現したことを意味する。

今回、研究者たちは、10万種の生物において、DNAバーコードを解析し、その結果ほとんどの動物がヒトとほぼ同時期に出現したことを示す明確な証拠を発見したのだという。

そして、研究者が目にしたものは、いわゆる「中立」な遺伝子変異にばらつきがないことだった。

この「中立変異」というのは、世代を超えて生じるDNAの微小な変化で、生物個体の表現型には影響を与えない(つまり中立な)変異を意味する。

言い換えれば、中立変異は、進化には無関係なのである。

この中立変異を比べることで、木の年輪を見るように、一つの種のおおよその年齢が明らかになる。

ーー

地球上の生物の中立変異を比較検討した結果、こんにち地球上にいるほとんどの生物種が、ほぼ同じ時期に出現したことになるのだという。

ーー

それは、この時期に環境的な大きな外傷があったことを意味する。

ロックフェラー大学人間環境プログラムの代表であるジェッセ・オースベル(Jesse Ausubel)氏がAFPに語ったところによると、

「ウイルスの蔓延、氷河期、新しい競争相手などを含め、これらはすべて動物の人口数が急激に減少する時期をもたらす可能性があります」と。

「これらの時期に、遺伝的激変(イノベーション)が生物種を消し去り、新しい種の出現に寄与することは十分にあり得ます」

このような種の減少をもたらす環境要因を「ボトルネック効果」というが、これは部分的な説明にしかならないだろう。

ーー

地球で種の大量絶滅は、6550万年前の小惑星の衝突によって発生した。

この時の大量絶滅では、地球上の恐竜と、ほとんどすべての生物種が消滅したと考えられている。

ーー

今回の研究者の一人であるタラー氏は以下のように述べた。

「最も簡単な解釈は、生命は常に進化しているということです」

「進化の過程の中では、いつでも、その時点で生きている動物が比較的最近出現したものであるという可能性が高いのです」と。

ーー

この見解では、ある種が持続するのは一定の期間でしかなく、その後、新しいものに進化しなければ絶滅するということになる。

今回の種の研究からは、予期せぬ別の発見も得られている。

それは、「生物種には非常に明確な遺伝的境界があり、2つの間に位置する中間種は何もなかった」ということだ。

タラー氏は「中間にあるべきはずの種がない」ことについては、ダーウィンも困惑しているのではないか述べた。

2019年5月21日 (火)

三島由紀夫は自己の深部に蟠る衝動や欲動を胡麻化さないで直視した

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

佐藤秀明編『三島由紀夫スポーツ論集』(岩波文庫)

本書はスポーツに絞りこんで、三島が遺した名文を集めるという、文庫新装版である。

しかし版元の岩波書店と三島由紀夫は、政治的に相容れないはず。

これまでなら連想さえ出来ない組み合わせだ。

ーー

岩波が、文庫に三島の業績を編集し直して市場の出すのは、これが三冊目である。

こうなると、岩波なら決して編集しないであろう政治論文集もひょっとして考えられないことではない。

(例えば『文化防衛論』『反革命宣言』『革命の哲学としての陽明学』などを一冊に収める)

売れる点からすれば、潜在的に岩波書店が狙うのは三島全集ではないか、と評者はかねてから邪推してきた。
 
ーー

そんなことを考えながらも、改めて三島のスポーツ論を通読してみると、戯曲や小説や、ほかの文化論にはなかった、三島文学の真髄、その人生への姿勢が浮かび上がってくる。

青年時代の三島は兵役検査で不合格となるほど虚弱であった。

それを、どこで変えたか。

三十歳で、習い始めたボディビルからである。

ーー

その後は、ボクシング、剣道、空手、合間に乗馬も水泳もやった。

しかし、ゴルフには手を染めず、マラソンとも無縁ではあった。

そして三島は東京五輪を皮切りにスポーツ観戦が好きで、報知新聞などに短文を無数に寄稿した。

ーー三島の書き出しはこうだ。

「私は病弱な少年時代から、自分が、生、活力、エネルギー、夏の日光、等々から決定的に、あるいは宿命的に隔てられていると思いこんできた」

「この隔絶感が私の文学的出発になった」 

ーーしかしスポーツを始めてから、昭和31年10月7日の毎日新聞に次のように書いた。

「私の人生観も芸術感も変わってきた」

「幼少年時代に失ったものを奪回しよう」

ーー

作家の高橋源一郎は、スポーツ観戦記などを石原慎太郎や大江健三郎のものと比較してみて、「三島だけが『芸術』している」と比喩した。

というのも、三島はスポーツ観戦記の中に、単なる肉体の物語ではなく、文明論をちりばめたからである。

ーー

編者の佐藤秀明(三島文学館館長)の長い、長い解説が巻末に付いている。

が、これは秀逸な三島由紀夫論である。

ーー佐藤教授はこういう。

「三島由紀夫のスポーツが身体の鍛練や健康を目指しながら、遂に死を希求するところに行ってしまった」

「いつからかスポーツすることが死の準備に変化したのである」

「三島のスポーツ論には、構えない文明批評があり、希望や喜びもあり、何より小説や戯曲ではあまり見ないユーモアがある」

「書くときの眼の位置が、普通の人と同じか、やや低いところにあるからだ」

「諧謔は自己の客観視から生まれるが、そこにはスポーツでの周回遅れの気安さも手伝った」

ーー

つまり「三島由紀夫は自己の深部に蟠(わだかま)る衝動や欲動を紛らさずに直視する術に長けている」ゆえに「天与の芸術家」なのである、と。

ーー

さて、本書を通読したなかで、評者がもっとも印象深い箇所は次の三島の予言である。

「このまま行けば、男らしさは女性の社会的進出によってますます堕落させられ、ついにはペニスの大小及び機能的良否以外に、男らしさの基準がなくなるのではあるまいか?」

「そして順応主義の時代は、男の精神をますます従順に、ますます古い意味で『女性化』して、こうなると、小説家なんぞは、臍曲がりで個性を固執するという点だけでも、相対的に男らしくなるのではないか?」

いまのLGBT、女性優位、価値観の逆転を目撃すれば、あまりにも的中しすぎている。

2019年5月20日 (月)

チャベス氏が築き、マドゥロ氏が現在率いるベネズエラの左派政権は、飢えと腐敗の脅威に直面している

支那人は、客観性、公平性、公共性という近代を開く概念を理解することができない。

それ故、世界各地で国家間の契約不履行の問題を抱えている。

これではもう国としてやっていけなくなるのも時間の問題だろう。

ーー以下「大紀元時報」より抜粋編集

特別リポート:飢えと腐敗、ベネズエラ中国事業の「負の遺産」
2019年05月17日 17時19分

[トゥクピタ(ベネズエラ)7日 ロイター]カリブ海に面したベネズエラのデルタアマクロ州で、中国の建設会社が、故チャベス大統領との間で大胆な合意を交わした。

新たな橋や道路、食品工場のほか、ラテンアメリカで最大の精米工場を建設するというものだった。

ロイターが契約文書から確認したところ、2010年に交した合意は、支那工事建設請負業者・中工国際工程(CAMC)がニューヨークのマンハッタン島の倍の広さの水田を開発し、地元に11万人の雇用を創出するという計画だった。

ーー

デルタアマクロ州は未開発であり、ベネズエラの社会主義政府が、貧困層支援という公約を実行するのには格好の場所だった。

また、チャベス前大統領と、彼に後継者として指名されたマドゥロ現大統領が、中国や他の同盟国から協力を得られることを示せる機会となるはずだった。

「コメの力!農業の力だ!」と、当時チャベス氏はツイートした。

ーー

ところが9年後の今、地元住民は空腹を抱えたままだ。

というのも、地元産のコメは1粒も生産されておらず、精米工場も半分しか建設されていないからだ。

ーー

それでも、CAMCや、ひと握りのベネズエラ側パートナー企業は潤った。

契約書や、欧州検察当局が裁判所に提出した捜査書類から、ベネズエラが、この開発計画に、CAMCに少なくとも1億ドル(約1100億円)を支払ったことが分かったからだ。

アンドラ公国の裁判所に提出されたこの書類はロイターが確認したところ数千ページに及ぶ。

検察側は、スペインとフランスの国境地帯にあるアンドラが、計画にかかわったベネズエラ人が契約締結の見返りとして受け取ったキックバックを洗浄する舞台になったと主張している。

ーー

アンドラ上級審の裁判官は昨年9月の起訴状によると容疑は、CAMCがベネズエラの複数の仲介者に1億ドル以上の賄賂を支払ったというものだ。

CAMCが精米工場建設計画のほか少なくとも4件の農業関連の契約を確実にするため行ったのだという。

この時、ベネズエラ人12人がマネーロンダリングやそれを共謀した罪で起訴された。

その中には、契約締結を可能にしたと検察側が指摘する元ベネズエラ石油相のいとこのディエゴ・サラザル氏や、当時のベネズエラ国営石油会社(PDVSA)の中国代表が含まれている。

ーー

関連書類によると、このほかに他国籍の16人が起訴され、当時ベネズエラの駐中国大使で、現在は駐英大使として務める人物を含めたベネズエラ人少なくとも4人が捜査対象となっている。

起訴の事実や、起訴された人物の名前、中国企業との関連は、スペイン紙エルパイスが昨年報じた。

ーー

ロイターは、アンドラ当局が現在も公表していない捜査書類を検証。

CAMCや他の中国企業が、起訴された人物の多くに接近し、契約を勝ち取るために多額の賄賂を渡しながら事業の多くを完成させなかった実態が明らかになった。

検察の主張では、その結果、オフショア口座を経由したキックバックの風習がまん延し、人脈を持つベネズエラ人仲介者が私腹を肥やした一方で、立ち遅れた地域の開発計画が最終的に頓挫することになったとしている。

ーー

今回、以下の事実が初めて明らかになった。

●CAMCは、少なくとも5つの農業計画、総事業費30億ドルを建設すると約束したが、完成させなかった。

●ロイターが確認した契約書類や事業計画書によると、同社は、問題となった2億ドルのコメ計画契約のうち、少なくとも半分の額を受け取ったほか、その他の4つの計画についても契約額の少なくとも4割を受け取った。

受領総額は少なくとも計14億ドルだが、事業は完成しなかった。

●CAMCは、仲介者に1億ドル以上を支払った。

検察側は、これがベネズエラとの契約を進めるためのキックバックだったとしている。

ーー

CAMCやその幹部は、起訴されていない。

ーー

北京に本社があるCAMCはロイターに対し、起訴された内容には「多数の不正確な点」が含まれるとしたが、詳細な説明は避けた。

中国外務省はロイター宛てに゜次のような声明を発表した。

ベネズエラにおける中国企業による贈賄容疑についての「報道」は、「明らかに事実を捻じ曲げて誇張したもので、隠れた動機に基づいている」と。

ーー

ベネズエラ政府の広報を担当する通信情報省、そして問題となった契約の多くに絡むベネズエラ国営石油会社PDVSAは、コメントの求めに応じなかった。

ーー

チャベス氏が築き、マドゥロ氏が現在率いる左派政権は、最大の脅威に直面している。

ベネズエラの政治危機は、ハイパーインフレーションや大量の失業、そして失望した市民の国外脱出による経済崩壊が引き金となった。

ベネズエラ人は、慢性的な食糧や電力、水の不足に悩まされている。

ーー

これらは、デルタアマクロ州で描かれたような計画によって改善されるべきベネズエラ国民の基本的要求だ。

ーー

深刻な物資不足と計画の失敗は、かつて豊かだったこの国と3000万の国民が、腐敗と縁故資本主義によって、いかに貧困に突き落とされたかを浮き彫りにしていると野党側は主張する。

ーー

マドゥロ大統領は2017年の演説で、石油から、住宅、電気通信部門まで、中国企業との間で790件の計画が契約されたと述べた。

このうち、495件が完成済みという。

プロジェクトの事情に詳しい複数の人物によると、一部の事業は賄賂が原因で頓挫し、その他は監視や能力の不足で計画が狂ったと話す。

デルタアマクロ州では、政府の当局者までもが、両方の原因によってコメ計画がだめになったと話す。

CAMCと連携した政府の地方開発担当者・ビクトル・メサ氏は、「政府はこの計画を放棄した」「全てが失われ、全てが盗まれた」と。

ーー

長年租税回避地となってきたアンドラの検察当局は、機密性の高い銀行関連法により、国内の金融セクターを浄化する一環としてベネズエラがらみのマネーロンダリング疑惑捜査を始めた。

起訴状によると、ベネズエラ関係者は、アンドラの銀行バンカ・プリバダ・アンドラ(BPA)を通じて資金を受け取っていた。

アンドラ政府は、米国がBPAがマーロンダリングに関わっていると指摘したことを受け、同行を2015年に管理下に置いた。

同国裁判所はその後、BPAの元従業員25人を、ベネズエラ関連も含めたマネーロンダリングで有罪としている。

ーー

アンドラ当局は、CAMC絡みの農業計画のほか、同社の水力発電事業計画や、別の中国国有企業である中国水利水電建設集団(シノハイドロ)が建設した発電所4件についても捜査に入った。

というのも、これらの発電所がフル稼働したことはなく、近隣の町では停電が常態化しているからだ。

ーー

ロイター記者が最近、デルタアマクロ州を訪れたところ、CAMCの精米工場は未完成のままだった。

コメが入っていたのは、10台あるサイロのうち1台だけで、一部の機械は動いていたが、処理されていたのはブラジル産のコメだった。

近くの水田は休耕中で、食品工場は未完成だった。

道路や橋も建設されていなかった。

ーー

人口8万6000人のトゥクピタは、デルタアマクロ州の州都だ。

南米最大級の河川の1つであるオリノコ川の支流マナモ川のほとりに位置し、かつては内陸の工場からカリブ海などの商人に物資を運ぶ船の停泊地だった。

政府は1965年、マナモ川にダムを建設。

その結果、船が通れなくなり、淡水が後退して海水が内陸まで入り込むようになった。

これにより土地がやせ、1999年にチャベス氏が大統領に就任したころには、農業はあまり行われなくなっていた。

地元の農学者ロゲリオ・ロドリゲス氏いわく、「子供のころは、至るところでコメを育てていた」「今は、何も作っていない」と。

ーー

2009年、チャベス氏と、当時、中国の国家副主席だった習近平氏は、2007年の開発合意で作った共同ファンドの拡張に合意した。

「中国に感謝しようじゃないか」

首都カラカスで行われた式典に習氏と共に臨んだチャベス氏は、こう述べた。

そして、中国に「向こう500年」石油を供給すると約束しつつ、デルタアマクロ州の地図を指さした。

「習氏よ、見ろ」

チャベス氏はこう呼びかけ、同州を活性化させる計画を発表した。

ーー

CAMCのLuo Yan会長のほか、チャベス氏の側近で、ベネズエラ国有石油会社PDVSAを率いて石油相も長年務めたラファエル・ラミレス氏も、式典に出席していた。

この式典の直後から、開発計画への参入を目論む企業が押し寄せるようになった。

ラミレス氏のいとこで前出のサラザル氏は、絶好の立場にいた。

サラザル氏の父は、元共産ゲリラの文筆家で、後年は議員となりチャベス氏の盟友になった。

その息子であるサラザル氏は、カラカスで経営していたコンサルティング会社で、血縁や議員とのコネを存分に利用した。

ベネズエラ国有石油会社PDVSAの本社近くに構えたオフィスから、ラミレス氏や他の政府高官との面会に頻繁に出かけていた、と周辺者は話す。

ーー

ラミレス氏は2014年に石油相を退任し、2017年までベネズエラの国連大使を務めた。

その後、マドゥロ氏はラミレス氏が汚職を働いたとして公に批判している。

だがラミレス氏はアンドラのケースでは起訴されておらず、ベネズエラでも刑事訴追はされていない。

現在はベネズエラ国外に住み、反政府の立場を取る。

ーー

習氏が出席した式典が行われた当時、チャベス氏はベネズエラ国有石油会社PDVSAを、石油に関係ない事業を多数含む開発計画の拠点にしていた。

ベネズエラ国有石油会社PDVSAアグリコーラと呼ばれる部門が新設され、食糧増産に取り組んだ。

事業多角化により、ベネズエラ国有石油会社PDVSAには、各種契約や、ベネズエラの開発銀行が管理する資金が集まるようになった。

2010年までに、中国国家開発銀行(CDB)から320億ドル、チャベス氏が創立したインフラ整備ファンドから60億ドルが、ベネズエラの開発銀に振り込まれている。

ーー

サラザル氏は、強いコネを持つコンサルタントとして、ベネズエラでのビジネスを仲介するため、中国の企業幹部に近づいていった。

毎月のように中国に出張し、CAMCなどの企業との橋渡しを頼むため、現地のベネズエラ当局者に金銭を支払い始めた。

サラザル氏はアンドラ当局の捜査官に次のように述べている。

「私の仕事は、会議や出張、プロモーションを通じて、契約に署名するよう説得することだった」と。

ーー

サラザル氏はアンドラ当局の事情聴取に対し、アンドラ銀行BPAをオフショア銀行として利用したのは、他の裕福なベネズエラ人が利用していたのを知っていたためだと述べた。

ピレネー山脈の静かな谷間に位置するアンドラ銀行BPAは、高リスク国の顧客の資金を管理する機密性の高い金融機関として知られていた。

ーー

アンドラ当局がベネズエラ政府に情報照会を行ったことを受け、ベネズエラの裁判所は2017年、汚職やマネーロンダリングなどの容疑でサラザル氏を逮捕するよう命じた。

サラザル氏のアンドラでの弁護士はロイターへのメイルで、中国当局が資金の受け取り企業を決定しており、サラザル氏や仲介者に決定権はなかった、と述べた。

サラザル氏のコンサル会社は、「プロフェッショナル」で「テクニカル」なサービスを多くの中国企業に提供したが、「こうした企業で、実際に事業を受注できたのは、ほんの一握りだった」としている。

ーー

もう1人、サラザル氏を支援したと検察がみているのが、元ベネズエラの中国大使で、現在は英国大使を務めるロシオ・マネイロ氏だ。

マネイロ氏は、アンドラの捜査では起訴されていない。

同氏の証言に関する検察の捜査書類も含めた様々な裁判所書類は、サラザル氏から受け取った資金や、同氏を中国企業に橋渡ししたことについて、マネイロ氏が「捜査対象だ」としている。

ーー

裁判所の書類に含まれていた銀行記録によると、サラザル氏は2010年、マネイロ氏名義の中国の銀行口座に「マネイロ氏が提供したサービス」の代金として3万ドルを送金している。

その後サラザル氏は、マネイロ氏の所有であることが照会書類で確認されたパナマ企業のアンドラ銀行BPA口座に、計1300万ドルを入金している。

マネイロ氏は、弁護士などを通じ、サラザル氏を支援したことや、同氏から金銭を受け取ったことを否定した。

ーー

2010年の初めごろまでに、サラザル氏の働きは結実した。

前出のシノハイドロは同年3月、ベネズエラ国有石油会社PDVSAとの間で、マラカイの町の近郊に発電所を建設する3億1600万ドルの契約を結んだ。

この契約で、シノハイドロは「契約を結ぶために有利な立場を得る」ことに尽力した対価として、サラザル氏に10%の手数料を支払うことになった。

捜査書類に含まれる銀行記録によると、同社はサラザル氏のアンドラ銀行BPA口座に4900万ドルを振り込み、ベネズエラ国有石油会社PDVSAとの間で追加の発電所建設契約を確保した後で、さらに7200万ドルを入金している。

ーー

シノハイドロは最終的に4カ所の発電所を建設したが、契約で定められた仕様を満たすものは1つもなかった。

例えば、マラカイ近郊の発電所は、最大382メガワットの電力を発電する予定だったが、実際には多くても140メガワットしか発電できていないと、ベネズエラ国有電力会社の元幹部ホセ・アキラル氏は言う。

サラザル氏のコンサル会社は間もなく、年間1億ドル以上を稼ぐようになったと、同氏や複数の部下が証言している。

ーー

「(サラザル氏は)ブリーフケース一杯の契約を抱えていた」と、やはり起訴された部下の1人はアンドラの捜査官に話している。

「契約を結べるところならどことでも結んだ」

「中には、計画を一切実行に移さない企業もあった」

カネが流れ込むにつれ、サラザル氏の金遣いは派手になった。

ホテル滞在に数万ドルを遣い、贈り物に数百万ドルをつぎこんだ。

ーー

カラカスの宝石商で、高級時計メーカーのロレックスやカルティエの時計83本を100万ドルで購入したことが、捜査書類に含まれた請求書から明かになった。

アンドラ銀行BPAに宛てたメイルで、サラザル氏側は時計は「親戚や友人への贈り物」だったとしている。

ーー

2010年4月、アンドラ当局はサラザル氏の捜査を始めた。

フランスの捜査当局が、サラザル氏がその当時行った送金について、アンドラ側に問い合わせを行ったのだ。

それによると、サラザル氏は自身の愛BPA口座から、「サービスへのチップ」として、パリのホテル従業員に9万9980ドルを送金していた。

何のサービスかは明らかになっていない。

ーー

同年5月には、コメ計画の交渉が始まった。

その月、前出のサラザル氏の部下がCAMCの副社長とカラカスで面会したことが、両者が署名した契約書で判明している。

この契約書は、同社がライス計画を勝ち取ることをサラザル氏が支援することに対し、同計画の契約額の10%を支払うことになっている。

数カ月のうちに、ベネズエラ国有石油会社PDVSAアグリコーラは、ライス計画を2億ドル相当と見積もった上で、CAMCに事業を発注した。

ーー

CAMC側は、さらなるプロジェクトの契約締結に向けて、サラザル氏との間でもう一つ合意文書に署名した。

銀行記録によると、CAMCはその6月、サラザル氏のアンドラ銀行BPA口座への総額1億1200万ドルの送金の第1弾を実施した。

マネイロ氏は、弁護士などを通じ、サラザル氏を支援したことや、同氏から金銭を受け取ったことを否定した。

デルタアマクロ州では、計画が着工した。

ーー

2012年までに、CAMCはベネズエラの開発銀から契約の半分にあたる1億ドルを受け取った。

同社は、掘削機や蒸気ローラーなどの重機を中国から持ち込んだ。

だが、工事の進捗は遅かった。

掘削機が1台、泥にとらわれて動けなくなったまま放置された。

中国人の現場監督はほとんどスペイン語が話せず、現地作業員との意思疎通に苦労したと、プロジェクトに関わったエンジニアは証言する。

ーー

同年11月、アンドラの裁判所は、マネーロンダリングの疑いでサラザル氏と前出の部下、他のベネズエラ人6人のアンドラ銀行BPA口座を凍結した。

2013年には、検察当局がサラザル氏らの1年がかりの聴取に乗り出した。

2015年3月、アンドラ政府はアンドラ銀行BPAを管理下に置いた。

ーー

1バレル100ドルを超えていた原油価格が、同年は半分以下に落ち込んでおり、ベネズエラ経済は大打撃を受けた。

CAMCは、ライス計画に派遣していた社員ら40人を引き揚げたと、関係者は話す。

地元住民は、CAMCが打ち捨てていったスクラップなどを略奪し、仕事を失った従業員は残ったケーブルや電球などを売り払ったと、元マネージャーらは言う。

ーー

それでも、マドゥロ氏はこの未完成案件をなんとかしようと試みた。

今年2月、カストロ農業生産土地相は、「ウゴ・チャベス」工場」の開所を宣言し、ベネズエラと中国の国旗で飾られた米袋の前でテープカットを行った。

しかしCAMC側の出席者はいなかったと、式典に出席した人は話す。

ーー

1時間あたり18トンのコメを処理できる機械の代わりに、従業員が手作業で輸入米を袋詰めしている。

「ここで育てられているコメは1グラムもない」と、地元住民のマリアノ・モンティヤさん(47)は言う。

低地で何とか穀物を栽培してしのいでいるという。

モンティヤさんは言う、「チャベス氏の当初の計画は革命的なアイデアに思えた」「でも今や、われわれは飢えている」と。

(翻訳:山口香子、編集:下郡美紀+縦椅子)

2019年5月19日 (日)

「異界」とされ、妖怪がでて、怖いところという政治宣伝がなされた

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

川田進『天空の聖域 東チベット宗教都市への旅』(集広舎)

四川省の西側にある宗教都市ラルンガイは、支那共産党の政治宣伝によって、「異界」とされ、妖怪がでる、怖いところとされた。

そのため誰も近ずこうとすらしないところだったのだ。

なるほど、世界中の秘境がテレビで放映されて、もうどこにも秘境など存在しないと思っていた。

ところがそこには確かに今まで誰も見たことのない風景があった。

ーー

冒頭を飾るカラー写真を見ると、その異様な光景に誰もが驚く。

ーー

成都から直通バスで18時間、乗換バスだと36時間かかる。

本書にある概略図で確認すると、西寧から西へ向かい、玉樹の手前を南下して、そこから迷路のような悪路を辿る(現在、外国人の立ち入りは禁止されている)。

高度四千メートルの山稜に宗教都市ラルンガイは忽然とその姿を現した。

ーー

創設者は「ニンマ派」の高僧ジグメ・プンツォである。

プンツォは2004年に入寂、後継ラマを見つけるなと遺言した。

ーー

当時、巨大な寺院の回りに、小さな住居である僧坊が、山にへばり付くように数千戸並んでいた。

その風景は雑然としているものの神々しくも見える。

そこに一万人を超える僧が住み着いて、天空の聖地を形成していた。

尼僧もおり、近くの農民や行商による市が開かれている。

ーー

山の中腹には大きな仏塔が輝き、やまの頂上からは巨大な掛け軸(タンカ)を敷き詰める網が張られていた。

(その写真が残っている)

葬儀は鳥葬だった。

ーー

著者の川田氏は大阪工業大学の教授、これまでに六回の視察をしているという。

なぜ工学部の先生が、この聖域に惹かれたのか。

「ラルンガルは現実世界とつながっているにもかかわらず、長年、中国の地図や仏教関係書に載ることはなかった」

著者が最初に、この聖域に足を踏み入れたのが2001年だった。

以来六回、定点観測のために訪問してきた。

ーー

長田教授はこう書く。

「(初回の訪問時)脳天を割られたような衝撃に襲われた」

「僧たちの住居である僧坊数百戸がことごとく破壊され、基礎と土壁が露わになり、まるで空襲後の残骸と化していた」

その後、墓場のような情景に続いたのは

「すり鉢状の谷の三方を僧坊群が埋め尽くす姿が眼前に現れると、再び私の脳天に一撃が加えられ、一瞬言葉を失った」

江沢民の仏教弾圧によって寺院と僧坊群は破壊され、そのあと地震が襲ったからだ。

そして現在までに何が起きたかは明らかではない。

ーー

カシュガルでホータンでモスクが破壊されたように、ラルンガルは中国共産党の標榜する「改造計画」によってまったく新しい「観光用宗教地区」となりそうな雰囲気である。

というのだが、外国人は誰も近付くことさえ出来ないため、真相はわからないままだ。

それにしてもラルンガルは、シャングリラ(理想郷)から地獄に落とされたのか、その現況はおおいに気になるところである。

2019年5月18日 (土)

咲たちは、私が鈍感なことを利用して、10年以上も私を騙していた

ーー以下「youtube」より抜粋編集

私は23の時に2つ歳下の咲(さき)という女性と結婚した。

両親を早くになくし、咲も同じ境遇だった。

家族を作りたいと思っていたので、一年後に無事に娘が生まれた時には、とてもうれしく、二人で愛(あい)と名付けた。

私が勤めていた会社は給料はそれほど良くはなかったが福利厚生がしっかりしており、贅沢を望まない限り不自由しない生活ができていた。

ーー

愛が小学校の3年生の夏休みが終わり学校が始まったころの事だ。

私が帰宅すると、いつも出迎えてくれる咲の姿がない。

愛を呼ぶと玄関に出てきて、お母さんが帰ってこない、と不安そうだった。

ーー

今までこんなことはなかったので、何かあったのだと動揺した。

確かに友達と外出することはあったが、その時にはその旨連絡があった。

咲の友人に連絡してみたが知らないとのことだった。

愛を入浴させ、寝かしつけてから、9時まで待った。

ーー

それでも連絡さえないので、警察に届けた。

すると、何かで帰宅が遅れているのではないでしょうかということだった。

しかし、3日しても帰らないといって警察に行くと、失踪ということで届け出を受理してくれた。

そしてこのような例はほとんどが家出であり見つからない場合が多いと言われた。

ーー

3年後、愛に初潮があり、会社の新入社員で優しそうな女性メイにその処置を教えてやってほしいと頼んだ。

メイは、私が身寄りがなく一人で愛を育てていると言うと、驚いて、休みになるとやってきては、愛に料理や掃除・洗濯物の干し方など家事も教えてくれた。

半年ほどで愛が一通りできるようになると、だいぶ出来るようになったみたいだからと、来なくなった。

ーー

私は子育てと、仕事それに会社の許しを得て私の持つ技能を生かすバイトに一生懸命になった。

愛に学歴をつけるための資金を得るためだった。

それで、失踪以来3年もたっており、家裁に生死不明を根拠に離婚申請ができるということを知っていたがしなかった。

この時はメイの気持ちを考える余裕がなかった。

というよりも、咲にまだ未練があった。

ーー

そしてあっという間に10年が過ぎた。

愛は短大を出て、結婚相手を連れてきた。

誠実そうな男で安心した。

これまで家事をして、むしろ私を支えてくれた愛に心から感謝した。

ーー

その彼との結婚式の前の夜、愛が「母と会っていた」と打ち明けた。

「お母さんは自動車で1時間くらいの距離のところで男と暮らしている」

「お母さんを結婚式に呼んでいる」

「お母さんの恋を許してあげて」と言った。

ーー

突然、しかも結婚式の前夜に、こんな話をされてどう答えればよいのかわからなかった。

結婚式をぶち壊したくはなかったので、よく打ち明けてくれた、これまで苦労を掛けた、という他なかった。

しかし咲が愛を巻き込んでまで、男に走ったことには激怒していた。

ーー

結婚式の当日、私は45歳になっており、11年振りに見る咲は43歳になっていた。

すると、若い美しい女性が「部長おめでとうございます」と言ってきた。

そして咲と愛のいるほうを向いて、あの方が咲さんですねと。

私は、うなずくと同時に、彼女がメイであり名札の姓が変わっていないことに気づいて、「君はまだ独身なのか」と聞いた。

メイは何か答えたが、聞こえなかったので耳を近づけてもう一度聞くと「鈍感」とため口で言った。

続けて「終わったら必ず電話してください」と。

ーー

無事結婚式が終わって、私は、その日のうちに会社の顧問弁護士に相談し離婚に強い弁護士を紹介してもらった。

そして、翌日、会社の上司に失踪していた妻が見つかったことを伝えた。

が、上司はもう式場で咲に会っていた。

有給を取りたいと言うと、「君は重役なのだから全日というのはダメだ」「午後だけ休みにすることはできる」といった。

それで、それから、午後に休みをとり、その時間に紹介された弁護士と会い、男を作り失踪していた妻のことを話し、妻と離婚したいという希望を伝えた。

弁護士は、「失踪して慰謝料を払わない、逃げ得は許しません」「きっちり慰謝料、養育費を取りましょう」といってくれた。

ーー

一か月かかって、咲との共有財産の処理をし、慰謝料と養育費が咲と男から振り込まれるのを確認し、離婚した。

そしてメイに「終わった」と電話を掛けた。

するとメイは「長かった」と言ってすぐに切れた。

夜、家に帰ると、門の前に大きな旅行カバンを持ったメイが待っていた。

ーー

躊躇(ためら)っていると、メイは鍵を受け取り戸を開けてどんどん入って行く。

お茶を入れてくれ、「あなたは私がしょっちゅう来ていたことを知らないでしょう」といった。

あなたと呼ばれてドキッとした。

愛に初潮の処置を教えてもらった後、「家事が教え終わった後はもう来ていないとばかり思っていた」と答えた。

ーー

メイはニコニコして、「これからは私のことを幸せにしてください」といった。

私は、どぎまぎしながらこちらこそよろしくお願いしますと言うほかなかった。

メイはすぐに夕食を作り始め、一緒に食べたのだが、それは愛が作った料理の味と同じだった。

愛が作った料理というのはメイが教えたものだったのだと気づいた。

ーー

翌日メイと一緒にメイの両親に、お嬢さんと結婚させてくださいと言いに行った。

メイの両親は私のことをよく知っていて、どうぞ末永く娘のことをお願いしますと答えてくれた。

メイは「部長がまだ平の時からあこがれていた」「結婚できるなんて夢みたい」と喜んでくれた。

ーー

私は「大切にする」といった。

メイはその時31歳だった。

結婚して、すぐに息子ができた。

愛が娘を生むよりも先だった。

ーー

ある日、その日は愛の誕生日だったが、投資資金の運用相談のため、その町の住人がお祝いの時などによく利用する、個室のあるレストランに行っていた。

そこで昼食を取り、かつて3人でここで食事をしていたことを思い出していた。

すると隣の部屋に家族連れが入って、賑やかになった。

ーー

声からすぐに愛と娘、さらに咲と男がいるとわかった。

ーー

レストランの職員が、私の表情を見て、うるさくてごめんなさい、部屋を替えましょうかと言ってきた。

続けてあの家族には10年以上前から当店を誕生祝の席としてご利用いただいておりますので・・・といった。

そういわれてみれば、愛は誕生日を友達が祝ってくれるといって出かけ、その日は遅くに上機嫌で帰ってきていた。

咲たちは、私が鈍感なことを利用して、10年以上も私を騙していたことになる。

ーー

私は、すぐにその店を出て、メイと息子の待つ家に今から帰ると電話した。

ーー

ある日、咲と愛が家へ訪ねてきた。

そして愛が、娘が白血病で骨髄移植する必要がある、骨髄バンクからお父さんの白血球抗原型が適合しているとの知らせがあった、ぜひ使わせてほしいと言った。

私は骨髄バンクに登録していた。

私にすがるような二人の姿は私の哀れを誘うのに十分すぎるものだった。

私が愛の誕生日の昼、あのレストランで隣の部屋に居たというと、一瞬、咲も愛も顔をこわばらせた。

私は協力すると答え、移植は成功した。

ーー

以来10年たち、メイとの間に息子に続いて、娘が生まれとても幸せに暮らしている。

今では鈍感でよかったと思っている。

2019年5月17日 (金)

陛下に靖国神社を御親拝(御参拝)されるよう要求することは、天皇の現人神(アマテル神)としての御稜威そして存在そのものを否定することです

ーー以下「宮崎正弘ブログ読者の声(當田晋也)」より抜粋編集

最近天皇が靖国神社に御親拝(御参拝)されるべきだとする議論が多くなされています。

さらに最近沼山光洋氏が御親拝を求めて自裁(切腹自害)された。

このことによりさらに議論が沸騰しています。

ーー

しかし御親拝(御参拝)については一つ注意を喚起したいことがあります。

天皇は、祖先に当たる神様や亡くなられた天皇が祭られている神社では御親拝(御参拝)されます。

例えば伊勢神宮です。

陛下が御親拝(御参拝)されるとき神殿に向かって90度上体を倒されます。

陛下が神社にいかれる場合は、アマテル神(地上における現人神)としていかれます。

ーー

つまり、今までに靖国神社に御親拝(御参拝)された天皇は一人もいらっしゃいません。

明治天皇も大正天皇も昭和天皇も平成天皇も靖国神社に行幸されたことはあります。

しかし御親拝(御参拝)されたことは一度もありません。

ーー

大正天皇、昭和天皇、平成天皇は皇太子時代(アマテル神となる前)には靖国神社に参拝されました。

神社に行幸されるときは、約30度上体を倒して、深めの会釈をされます。

アマテル神(天皇)が靖国神社で90度上体を屈して拝まれる(御親拝される)ことは、何より英霊の方々が望まれません。

英霊は天皇(アマテル神)が近くにいらして天皇の御稜威(みいつ、かたじけなさ尊さ)に触れることをなにより喜ばれます。

ーー

陛下に靖国神社を御親拝(御参拝)されるよう要求することは、天皇の現人神(アマテル神)としての御稜威そして存在そのものを否定することです。

ーー

以前、占領軍総司令部GHQの中の天皇を裁判にかけず利用しようとした一派が、そのための文書・資料として木戸幸一に口述させ、寺崎英成に筆記させて作ったものが、昭和天皇独白録として公開されました。

あれを第一級の歴史資料といった東京大学の教授がいましたが、それをはるかに超えた暴言、暴挙です。 

2019年5月16日 (木)

茨城空港も静岡空港も、黒字に転化していた

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

藤井聡『インフラ・イノベーション』(育鵬社)

国内総生産GDPは、国内総所得と同値であり国内総支出とも同値である。

つまり国内総生産を考える場合、国内総支出を考えるほうが考えやすい。

そして支出の主体は、個人、企業、政府である。

不況は、GDPの減少を意味する。

これは、個人、企業、政府の支出が減っているということになる。

ーー

1989年末に東証株価が最高値をつけて以来、1991年のバブル崩壊と物価下落(価格破壊)が続いている。

つまり、国内総支出が減少し続けていることになる。

それでは、価格破壊以外バブル期とどこが違うのか。

それは、在日・反日勢力が支配する言論・メディアが、「コンクリートから人へ」という大宣伝をして実行されたものだ。

公共投資、つまり政府支出が過去二十年間で、半分になったのだ。

ーー

これは、意図的にGDPを下げる工夫なのであろう。

日本社会では、GDPを上げてはいけないという何らかの合意がなされてきたものと考えられる。

その理由の一つは、日米貿易摩擦(戦争)を起こさないということ。

もう一つが円高を回避すること。

もう一つが政府支出を減らすことで、需要を減らし、超低金利を維持し、貨幣価値を維持すること。

ーー

インフレは、企業や政府の借金を軽くする。

デフレは、個人の生活(年金生活者を考えればよくわかる)を豊かにする。

貨幣価値の維持はとても困難とされてきたのだが、それが日本ではかつてなかったほどに長く維持された。

結果、日本国中の町がとてもきれいになり、日本のどの観光地に行っても清潔なトイレを利用できるようになり、個人住宅も立派になった。

ーー

日本社会は、諸外国と比較すると、いつの間にかこれ以上何を望むのかというくらいに成功した社会になっている。

ーー

それでも、さらに豊かな国にしたいと考える人が出てくる。

それが2018年まで内閣参与として、内閣に政策提案をし続けてこられた、この本の著者・藤井聡(京都大学)教授なのである。

教授は、内閣参与を辞してから精力的に各地を行脚(あんぎゃ、歩き回る)された。

そして自信を持って日本の未来図を提案された、それがこの最新著作に書かれている。

ーー

無駄な投資だと反対、酷評が多かった典型例は静岡空港と茨城空港だった。

奈良、京都、岐阜には飛行場がないが、福島や長野には出来た。

福岡県にはふたつ、山形県にも二つ。

秋田県には三つ。

北海道は十。

長崎県は対馬、壱岐、五島を含めると四つ。

熊本は天草を含めて二つ。

鹿児島は奄美、徳之島、沖永良部にも空港がある。

福井県は空港があるけれども小規模で、自家用飛行機の発着に使われている。

ーー

藤井教授が調べて判明したことは、評判が悪かった茨城空港も静岡空港も、黒字に転化していたという事実である。

単年度決算ではあるが、そのことは本書を読むまで知らなかった。

空港のない都道府県は過疎地になる可能性が出てきたということだ。

ーー

新幹線もかつては大野伴睦の横やりで強引につくった岐阜羽島駅の評判が悪かった。

が、とうに黒字となっている。

また滋賀県は新幹線新駅に反対した。

掛川は市民が浄財をだしあって運動し、新幹線を停車させた。

その結果新幹線を停車させた地域で経済繁栄が継続できたのだ。

ーー

米支貿易戦争からもわかるように、貿易によって経済的繁栄を維持するのには常に大きな危険性が伴う。

日本はかつて米国との間で、日米貿易摩擦(貿易戦争)を経験し、国内での生産体制全般を見直さなければならなくなった上に、国内総生産を増やさないような工夫を強いられた。

その苦い経験からすると、日本をさらに豊かにするためには、国内需要を増やす成長の仕方がよいということになり、それは政府支出を増やすことであると、教授は言う。

ーー

教授は下水道イノベーション、河川のイノベーション、水力発電の強化、砂防事業の充実などをインフラ・イノベーションの好例にあげる。

インフラ・イノベーションとは経済基盤の技術革新の事である。

が、もっとも力点を置くのは食糧の自給自足である。

教授は、日本の安全保障上からも、はやく農業活性化、自給自足の政策強化に打って出るべきだと説かれる。

2019年5月15日 (水)

素人さんがヤクザを扱うのは無理

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

猫組長『暴力が支配する一触即発の世界経済』(ビジネス社)

山口組の田岡組長が「素人さんがヤクザを扱うのは無理」と言ったという。

ヤクザの世界というのは常識を絶しているのだろう。

その常識外れの世界も、国際化し、地球化しているのだという。

ーー

世界中で展開される、裏社会・男の世界が語られる。

語り手はもちろん玄人の「猫組長」である。

彼はかつて山口組で金融を担当し、世界の金融中心であるドバイで、裏取引、インサイダー取引を実際に展開してきた。

本書ではいよいよ本名を公開している。

ーー

嘗て取引のあった中国のシノペックの子会社の幹部が、猫組長に助けを求めてきた。

「中国に帰るとヤバイので、マレーシアへ亡命したいから手伝って欲しい」と。

海航集団のCEO王健がフランスで事故死した直後のことだ。

ーー

そもそも王健のこの「事故死」とて、単なる事故死と考える人はいない。

海航集団において王健はアンチ王岐山派の先頭に立って、経営戦略を争った。

王の事故死によって、ふたたび王岐山派が主導権を回復したという噂がある。

シノペックのくだんの紳士も、反習近平派、アンチ王岐山派に属していた。

ーー

その直後にこんどはインターポールの王宏偉・総裁が北京へ召喚され、そのまま拘束されて裁判が五月にはじまった。

ーー

さて海外からの留学生は現代日本で34万人強もいる。

このうち中国人が12万3000人、ベトナム人が8万強。

かれらは真面目に学校に通っているのか。

ーー

彼らは、コンビニ、居酒屋など、アルバイト戦線で主要な働き手だ。

しかし彼らは、国を出るときにブローカーに法外な手数料を支払っているのだ。

だから日本語学校に70万円とか100万円の高い授業料をおさめても、支払った手数料と授業料を取り返すために学校に通わないで蒸発する。

ーー

就労先ではブローカーが、とくにベトナム人を焚きつけ、残業代の精算から、補償の裁判を起こさせ、雇用主からカネをむしり取る。

その算段をブローカーが教唆する。

あげくに難民申請をする。

すると六ヶ月間日本に残留できる。

生活保護を繰り返して暮らす手口もブローカーの発明だ。

悪質なヤクザもどきの彼らは、ベトナム人マフィアと日本ヤクザから構成される組織だ。

だから始末に負えないのだ。

ーー

本書で、参考になるデータの一つは、日本の47都道府県で、日本語を喋れなくても自動車免許がとれる地方自治体がどれだけあるのか、調べ上げた一覧である。

47都道府県のうち、岐阜県をのぞく46地方自治体では、英語だけで免許がとれる。

中国語だけで自動車免許が取得できるのは30もあり、ついでポルトガル語が18,これはブラジルからの出稼ぎが多いからだ。

そしてベトナム語だけが2県(神奈川と奈良)ある。

外国人がこれほど容易に日本で免許取得でき、かつレンタカーをかりるわけだ。

だから、事故率が高くなってレンタカー会社を泣かせている。

ーー 

本書は、世界経済の闇、裏側に光を当てて、常識はずれの世界の存在を描いている。

こうした裏世界で逞しく図太く展開されている「ヤクザとマフィア金融」その経済活動の実態の一部を知ることが出来る。

2019年5月14日 (火)

日本のネット上では、朝鮮人はもっといつまでも反日をやれという声が多い

韓国の中央日報という新聞社は、サムスンの代弁機関として知られている。

別名愛国日報と呼ばれ、韓国上げ日本下げの記事を書いている。

ところが、韓国経済がいよいよ立ちいかなくなってきたのだろう、その論調が変わり始めた。

ーー

支那・朝鮮人というのは、客観性、公平性、公共性を持たないため、近代を理解できない人たちなのだ。

例えば、いまだに、支那・南朝鮮は、日本の福島県産農水産物の輸入を禁止している。

これに対して日本政府は、世界貿易機構wtoの協定・違反だとして非難しているが、そんなことをしても彼らには無効である。

それよりも、支那・韓国産農水産物に対して病原菌・寄生虫検査を厳格にすればよいだけなのだ。

ーー

つまり朝鮮人記者は、客観的な記事など書けないと思って間違いない。

ところがいま日本のネット上では反支・反韓が一向に衰えることがない。

それどころか、反韓・反支の内容がますます精緻になっている。

それに反応するように、愛国日報の論調が変わりつつあるようなのだ。

ーー

日本のネット上では、この歯の浮くような日本上げ記事に対して、朝鮮人はもっといつまでも反日をやれ、そして滅びてしまえという声が多い。

バカバカしいので大幅に削除してお目にかける。

ーー以下「yahoo news【中央日報コラム】5/10(金) 9:58配信 日本語版」より抜粋編集

「手当たり次第反日」という愚民化政策=韓国

西欧の日本愛は昨日今日のことではない。

一行で要約するなら、日本は、これまで文化的な深さと驚異的な匠の精神で世界の人を魅了してきたということだ。

ところが韓国という色眼鏡を通すと日本は全く違う国になる。

どうしても朝鮮人らは、日本を未開の野蛮国にしてしまう。

朝鮮人らは、日本の現実を見ないだけではない、日本をけなすためなら歪曲も平気でしてしまう。

ーー

三・一運動100周年を控え、有名な韓国史講師であるソル・ミンソク氏が、あるテレビバラエティ番組に出演した。

そして日帝の石窟庵(ソックラム)棄損を非難した。

「石窟庵は、1000年以上にわたって完ぺきに保存されてきた(大嘘)」

「が、日本が嫉妬してセメントとコンクリートを塗って傷つけた(大嘘)」と。

ーー

しかし記録では、1912年に大規模補修工事に入った当時、石窟庵は無視され放置されていたため土砂に埋もれ天井が崩れた状態だった。

日本は、それを文化遺産として認め、土砂から掘り出して、当時としては最新の技術であるセメントを使って補修し、最善を尽くした。

それでも放送以降、放送を視聴した朝鮮人らから、日本は、「朝鮮の高度な文化に嫉妬して石窟庵を傷つけた」と袋叩きにされた。

ーー

この話は明白な事実の歪曲だが、ソル氏や放送局が事実は違うと訂正し謝罪したという話はついぞ聞かない。

このような事実を見ないで、日本人を袋叩きにするためには朝鮮人らが事実を歪曲することはよくあることで特に驚くようなことではない。

南北朝鮮では、これまで「事実の歪曲」が批判も処罰もされないできたのだ。

ーー

ムン・ジェイン政府になってからは、このような反日扇動が度を越すようになった。

そして放送がその先鋒的な役割を果たしている。

ーー

今年の三一節100周年記念で、ムン・ジェインは次のように演説した。

「アカというレッテル貼りは我々が一日も早く清算しなければならない代表的な親日残滓(である)」

「反日の旗を遠慮なく振り、日帝残渣を清算することは「正しい」(と考える)」と。

だから、放送がこのような「手当たり次第反日」をするのだ。

ーー

私たちはこれまでずっと事実を冷遇してきた。

ーー

これは朝鮮通信使の誤った判断と同じだ。

1592年、(通信使として日本を見てきて)黄允吉(ファン・ユンギル)正使は「外敵の侵犯に備えなければならない」と進言した。

が、全く同じものを見てきた金成一(キム・ソンイル)副使は「豊臣秀吉の目はネズミと同じで怖くはない」と。

そして朝鮮王宣祖(ソンジョ)の判断を曇らせた。

その後、外敵に備えていなかった朝鮮は豊臣秀吉によって易々と蹂躙された。

ーー

「手当たり次第反日」は国内政治の不手際を全て日本の所為にできるために、利用しやすいのかもしれない。

が、国民を阿呆にして国を危機に陥れる。

我々が現実を直視しなかったばかりに、壬辰倭乱、そして1997年外国為替危機の時には辛い思いをさせられた。

今こそ、我々は、現実の経済危機を直視し、有効な対処法を自ら考え出さなければ国が亡ぶ。

アン・ヘリ/論説委員+編集縦椅子

«米中通商協議の結果がどうであれ、中国共産党体制の崩壊は加速する

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