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2019年3月24日 (日)

「鯉(こい)」は日本の固有種で、外来種であると言うのは嘘です

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

「鯉(こい)」が外来種であるとテレビなどで言っていますがそれは嘘です。

というのも、日本の「第三紀地層」(6430万年前~260万年前)から野鯉(のこい)の化石が発見されているからです。

鯉は世界中に広く生息する魚ですが、日本にも元からいた、つまり固有種なのです。

ーー

さてそれでは、あの美しい錦鯉(にしきごい)はどこから来たのでしょう。

上杉鷹山(うえすぎようざん)が関係しているといえば、その意外性に驚かれるでしょうが事実なのです。

上杉家は、もともと新潟の上杉謙信を祖としますが、江戸時代に山形県の米沢に改易されました。

それで石高(こくだか)つまり藩の収入が激減します。

それでも、藩士の数は変わらないので、上杉藩は慢性的な財政難に見舞われる。

ーー

上杉鷹山が藩主となると、財政再建のために藩政改革に乗り出します。

その一つとして藩士に奨励したのが「鯉の養殖」でした。

鷹山は、福島県の相馬藩から鯉の稚魚を取り寄せ、藩士に配り、飼い方を教えたのです。

炊事用の水路を整備し、清潔に保ちそこに鯉を放流し飼うように奨励した。

鯉は、炊事のあとの残飯(野菜やコメ・雑穀)を食べて育った。

ーー

冬の米沢は雪に閉ざされます。

そんな時この鯉は、住民の食料となり、また凶作や災害時の非常食にもなった。

つまり鯉を飼う行為が、住民の生活を豊かに支えた。

ーー

飼えることが分かると上杉藩では、藩をあげて鯉が養殖されるようになる。

こうして次の法則が働く。

「全体のレベルが上がると突出したものが現れる」

ーー

藩の全戸が鯉の養殖を始めたことで、その中から、鯉を改良するものが現れた。

そうして野鯉が改良されてできたのが錦鯉だったのです。

長岡を中心に鯉の養殖が盛んになると、色んな色合いを持つ鯉が生まれていました。

この鯉を、さらに米沢で改良を施して、いまのような錦鯉が誕生したのです。

ーー

この鯉について、日本書紀の景行天皇紀に、短い挿話があります。

ーー

景行天皇四年春二月甲寅朔甲子(景行4年春)

天皇幸美濃 左右奏言之(スメラキが美濃に行かれた時)

「茲國有佳人曰弟媛 容姿端正 八坂入彦皇子之女也」(八坂殿に美しい姫がいます)

天皇欲得為妃 幸弟媛之家(という話を聞き八坂殿に姫をめとりに行かれた)

弟媛、聞乘輿車駕 則隠竹林(姫は来宅を聞くと竹林に隠れてしまった)

ーー

於是天皇 権令弟媛至而居于泳宮之(泳宮此云區玖利能彌揶)
(スメラキは姫にククリの宮に来るよう言われた)

鯉魚浮池 朝夕臨視而戲遊(そして宮の池に鯉を放して朝夕お遊びになった)

時弟媛、欲見其鯉魚遊而 密来臨池(姫はその鯉を見ようとして池まで忍んできた)

天皇則留而通之 爰弟媛以為夫婦之道(そこでスメラキは姫に求婚された)

ーー

古今達則也 然於吾而不便 則請天皇曰(お受けするのが昔からのしきたりですができませんと言って姫は、スメラキに言った)

「妾性不欲交接之道 今不勝皇命之威 暫納帷幕之中 然意所不快(私は結婚したくない、無理に嫁いでも楽しくない)

亦形姿穢陋 久之不堪陪於掖庭(また、私はそんなに美しくないので長くスメラキに愛されるとは思えない)

唯有妾姉 名曰八坂入媛 容姿麗美、志亦貞潔 宜納後宮(ただ、私には美しく気立ての良い姉・八坂入媛がいますので妃(きさき)にしてください)」と。

ーー

天皇聽之 仍喚八坂入媛為妃 生七男六女(スメラキは姫の話を受け入れられ、八坂入姫を妃とされ、七男六女のお子をもうけられた)

ーー

景行天皇は、美しいと評判の弟媛(おとひめ)をめとりたいと美濃国の八坂まで来たけれど、弟媛は恥ずかしがって隠れてしまった。

それで、一計を案じて、朝夕にくくりの宮の池に鯉を放して遊ばれた。

すると、その様子を一目見ようと、弟媛が景行天皇の前に現れる。

そこで「お前を私の妻にしたい」と求婚される。

しかし弟媛は「結婚したくない」と景行天皇の求めを拒む。

そして「私には美人の姉がいる」と、姉を妃に推薦するわけです。

景行天皇は、弟媛の提案を受け入れて、姉の八坂入媛(いりひめ)を妃とし、七男六女の子をもうけられた、というお話です。

ーー

ここで登場する鯉は、あることを象徴するものとして登場しています。

鯉は古来より、妊婦の重要な栄養源であったのです。

つまり景行天皇が鯉で遊んだ(鯉を飼った)ということは「妊娠中の妻がいる」という意思表示になります。

それで結婚したくない弟媛は、「ああ、妊娠中の奥さんがいるんだ、求婚されないよな」と考えて竹林から出てくる。

ーー

ところが求婚されてしまった。

それで弟媛は 「私は結婚したくない、無理に嫁いでも楽しくない」というのです。

そして「私には美しく気立ての良い姉がいるので妃にしてください」と提案する。

ーー

景行天皇は「そういうことなら」と、弟媛をあっさりとあきらめて、姉を娶(めと)る。

その姉にしても、本人が嫌だといえば、それっきりのことであることは、弟媛の場合と同じです。

ーー

結局、姉は景行天皇の求愛を受け入れて妻となり、そして七男六女をもうけたというのです。

景行天皇は入媛を生涯愛し続けたことがわかります。

ーー

ここで言えることは、我が国では、天皇でさえ、相手の女性の気持ちを慮(おもんばか)って、妻を得ていたという事実です。

古代においては、世界中どこでも権力者にとって、女性は所有物です。

言うことを聞かなければ、暴力で自分のものにする。

それが世界の常識であったともいえます。

ーー

けれども日本では、イザナキ、イザナミの時代から、男女は対等です。

たとえ権力者であったとしても、女性の同意を得ずに性交に及ぶことは禁じられてきたし、女性はたいせつな国の宝とされてきたのです。

日本書紀にあるこの短い文章は、鯉という妊婦の食べ物という道具立てを利用しながら、男女の対等を見事にあらわした一節だと思います。

ーー

ちなみに我が国で、恋のことを「こい」と呼ぶようになったのは、この景行天皇の逸話がもとになっているといわれています。

恋は対等! あたりまのことですが、とっても素敵なことですね。

2019年3月23日 (土)

伴天連らは、海賊船と組んで、日本人を拉致、誘拐あるいは武器弾薬と交換し、奴隷として売っていた

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集書評

三浦小太郎『なぜ秀吉はバテレンを追放したのか』(ハート出版)

副題に「世界遺産『潜伏キリシタン』の真実」とある。

戦後、在日・反日勢力が言論・メディアを支配して以来、キリスト教が「善」という前提が作られた。

そして、戦国時代から江戸時代のキリシタン弾圧が悪とされ、それに反抗して殉教した者に対する美談が仕立て上げられたのだった。

ーー

しかしそれは嘘である。

三浦小太郎氏は事実を淡々と暴く。

三浦氏は秀吉の禁教の真の目的が国家安全保障だったことを様々な文献を基に立証してみせる。

ーー

江戸時代の鎖国は祖国防衛に他ならない。

伴天連らは、海賊船と組んで、日本人を拉致、誘拐あるいは武器弾薬と交換し、奴隷として売っていた。

その実態が、なぜ隠されなければならなかったのかに関して、三浦氏は、その闇を衝いた。

戦後在日・反日勢力に支配された日本社会は、こうした歴史的事実を歴史教科書で教えることはなかった。

三浦氏は当時の時代背景を「東西文化の衝突であった」と記述する。

ーー

「『キリスト教の騎士団』たるイエズス会が、乱世の時代に日本を訪れたことは、まさに東西文化の衝突であり、そこでは様々なドラマが生まれた」

ーー

またイエズス会の創始者であるロヨラの人生、その霊感体験と使命感、イエズス会が軍隊組織であったことを縷々説明した箇所は、類書にはない。

こうして、著者は、イエズス会の源流にある思想に迫る。

ーー

問題は、一部の戦国大名の領地に限定されたとはいえ、なぜキリスト教が、日本の神仏混交という宗教環境に受け入れられたかということである。

それは日本人が「デウス」を「大臼」と翻訳したように、耶蘇(やそ、キリスト)も仏様(ほとけさま)のたぐいと誤認したからだった。

ーー

「天道とは、人間の運命を決定する摂理であり、神仏と同等の存在であ(る)」

「かつ世俗道徳の実践に則し、最後には祈祷など外面の行為のおりも内面を重んじる」

「当時の日本人は、この天道の存在を、太陽や月をはじめとする天体の運行に実感するとともに、人知を超えた存在と見なしていた」

ーー

評者(宮崎)はたまたま次回作『明智光秀 五百年の孤独』(仮題、三月下旬上梓予定)を脱稿したところで、この書にめぐりあった。

拙著では、明智光秀が伴天連の日本侵略の野望を早くから見抜き、文化防衛の立場から信長の布教容認に危機感を抱いたことに一章を割いたばかりであった。      

2019年3月22日 (金)

日本人は、公私の概念を古くから認識していた

ーー以下「宮崎正弘ブログ読者の声(稲村正治)」より抜粋編集

日本人は、公私の概念を古くから認識していた。

公(こう、おおやけ)は、公儀や御用という言葉として、現在も時代劇の中で使われている。

私(わたくし)とは、私事(わたくしごと)として、また私用という言葉として生きている。

そして日本では神話が現実の皇室(国)と直接的に結びついている。

しかしこれらは、唯一日本の中でだけ通用することなのだ。

ーー

近代は、客観性、公平性、公共性という言葉で表現できる。

客観性がなければ、科学そして学問自体が成り立たなくなる。

公平性がなければ、大相撲はもとより、あらゆる現代競技(スポーツ)、選挙制度や法治も成り立たなくなる。

公共性がなければ、公的機関(エンジン)が機能しなくなる。

ーー

支那・朝鮮人らがいまだに手に入れていない近代を、日本人が、苦も無く開けたのは、もともと日本人が(大相撲を開催できていたように)近代を生きていたからなのである。

ーー

だから日本人は、古代から社会を築きその中で共存共栄できた。

日本社会からはみ出た人々でさえ、江戸時代にはエタ・ヒニンとして自治権を得ていた。

この考えはそれではどこからきているのか。

ーー

それらは、日本の古代の書「カタカムナ」に固有の考えとして既に説かれていた。

これによって、なぜ日本だけが、21世紀の今日に至るまで連綿とつながる国として存在し得たのか、という謎を解くことができた。

ーー

その「カタカムナ」の中の一節をお目にかける。

ーーカタカムナウタヒ

第5首 「ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ」

(一二三四五 回りて巡る 六七八九十 会うの術知れ 形先)

第6首 「ソラニモロケレ ユエヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ」

(空に諸祁れ 故濡を  生えつ稲本 光多神那)

第7首 「マカタマノ アマノミナカヌシ タカミムスヒ カムミムスヒ ミスマルノタマ」

(勾玉の 天の御中主 高位産 神位産 御統丸の玉)

ーー

一応漢字で意味を限定してみたが、まるで暗号のようで意味不明だ、逆にそれゆえ、なんとでも読める。

ーー

第5首にある「ひふみよいむなやこと」というのは、数詞なのだが特別な意味を持っているとされ、数え歌にされて伝えられてきたものだ。

ヒヨ(コ)、ヒナ、ヒトから想像できるように、それはヒトになるまでの成長を暗示する言葉であろう。

他者と出会い子を成し死んでいく、そんなヒト(完成形)になるまでには、まず形から入れということなのかもしれない。

そしてヒトは死んで、生まれ、またヒヨ、ヒナ、ヒトを繰り返すのだと。

ーー

第6首は、空に諸神が来たため稲が実る光あふれる神の国(カタカムナ)になった、と解釈できるだろう。

第7首は、勾玉(神宝)を持つ御中主が、高位の神、そして諸神をお生みになり、領地の王としたと読める。

ーー

つまり、ヒヨ⇒ヒナ⇒ヒトになり、他者と出会い、子を成し死ぬ、それを繰り返す。

そして御中主(みなかぬし)が⇒諸神(もろがみ)を作り⇒ヒトを統治させ⇒光あふれる神の国(カタカムナ)にした、となる。

これは、古代の光あふれる神の国(カタカムナ)の統治形態を示すものだろう。

ーー

御中主(天皇)
諸神(諸大名、議員)
ヒト(国民)

と比定できる。

ーー

そして諸神(公)とヒト(わたくし)との関係から、客観性、公平性、公共性が生まれたことが容易に推測できる。

古代の日本人はヒトが御中主によって諸神に(任命)されると考えていた、こうして、神話が現実の日本国とつながる。

2019年3月21日 (木)

となると、縄文土器は日本列島域内で誕生した可能性がきわめて高くなる

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

山田康弘『縄文時代の歴史』(講談社現代新書)

現在までに解明された縄文の文化・文明の内容が、詳しく報告されている。

縄文土器が作られた年代を16500年前としており、これが現段階の考古学会の定説のようである。  

ーー

人々が縄文遺跡や遺物へ関心を持ち出し、その熱狂(ブーム)が静かに広く浸透しつつある。

ーー

著者はあくまでも客観的に縄文時代を論じようとしている。

祭器と思われるものの使い道については一切の論評が控えられている。

その形、出土場所のみが記載される。

このように使われたのではないかという表現は強く抑制されているのだ。

だから、読んでいて、もう少し個人的にはこうではなかったかという解説があってもよいのではないかと苛立つほどなのである。

著者は、あくまでも客観的に、明らかになった事柄だけに絞りこんで、縄文時代を論ずる。

ーー

これが考古学の限界というものであろう。

ーー

考古学は当時の遺物の記録に終始する。

当時の人々の心理や集団としての戦闘性(意思)については、不明のまま、推測の域を出ないとして放置されるのだ。

確かにそんなものは現代人には分かりようがない。

縄文人とて、恐らく生老病死に対しては、呪術あるいは儀式を行っていたはず。

しかし、今となっては、彼らが生老病死をどのように考えていたのか分かりようがない。

少しでも推論が混入すると、考古学ではなくなってしまうのだ。

ーー

縄文期には黎明期、前期、全盛期、後期がある。

が、後期には農耕文明が取り入れられ弥生時代との明確な区切りはできないのだという。

地域によっては縄文人が弥生人と同時並行的に農耕を取り入れていたからだ。

(明治維新以来日本の文化は西洋文化を取り入れて激変したがその主体は日本人のままであったように)

ーー

縄文の土器とは現在での鍋のことだ。

土器で煮炊きしていたことが土器にこびりついていた食べ物から分かった。

その他にも、植物から狩猟、漁業を通して、食糧を加工し、保存していたことも分かった。

狩りに使った石斧や石鏃、そのうえ発掘された土器、石器は、当時の縄文人の生きるために作り出したものだ。

いわば縄文人の知恵の結晶である。

ーー

この点で山田氏は重要な指摘をしている。

ーー

「北海道においては草創期の土器がほとんど見つからない」

「これほど発掘調査がおこなわれているにもかかわらず、草創期の土器が見つからない」

「しかも最古級の事例が見つからない」

「ということは、土器が北回りルートで伝播してきたことに対して否定的にならざるをえない」

「また、同様に朝鮮半島においても一万六千年をさかのぼる土器文化は見つかっていない」

「朝鮮半島域で最古の事例は済州島の高山里遺跡出土例でおよそ一万年前である」

「(つまり)支那南部からの西回り経路による日本列島域への伝播を考えることは今のところ難しい」

「となると、縄文土器は日本列島域内で誕生した可能性がきわめて高くなる」

ーー

縄文土器は日本独自のものだ、という結論になる。

ーー

縄文人は何時、いったい何処から来たのか。

ホモ・サピエンスは20万年前にアフリカで誕生したとされる。

その末裔が日本にも渡来したのは氷河期の終わり、海面が現在のそれより、50~100mほど低かった時期とされる。

日本列島はユーラシア大陸そして北アメリカ大陸とも陸続きだったことになる。

ーー

人類は、なにゆえにこれほどの遠距離を移動する必要があったのか?

それは食料であるマンモスやシカを追ってきたからだ。

また本州、四国、九州は陸続きで、瀬戸内海は陸地だった。

現在の間宮海峡も千島列島の南部も樺太とは陸続きだった。

ーー

恐らく当時の気温の所為であろうが、縄文遺跡の多くが北海道と東北に集中している。

三内丸山遺跡にみられるように、大規模な竪穴式住居も建造する能力があった。

「1メートルにも及ぶ柱材を使用するような大型建物をつくる建築技術があり」

「クリ林の管理や漆工芸などをはじめとするきわめてすぐれた植物利用技術があり」

「各地の環状列石(ストーンサークル)や土偶などに見られるように複雑な精神文化があった」

ーー

縄文人は小集団で暮らし、移動した。

当時、使用された黒曜石は、かなり遠くから運ばれた。

産地が信州や富山などに限定される翡翠、琥珀などが装飾品として使われていた。

そして縄文人は丸太船を超える造船と航海技術があった。

(神津島の黒曜石が使われていたのだが、黒潮を横断しないとたどり着けない)

山田氏は言う、「当時の人々が強い海流(黒潮)を横断するほどの航海技術を有した」と。

ーー

ならば縄文人は「原日本人」なのか?

DNA分析の結果、北回りから北海道へ入ってきたのは、シベリアのヨーロッパ系ではなかったのだ。

むしろ東アジアの人々が北回りで渡来したと。

それが四万年から三万八千年前のことだった。

石器時代以前のこととなる。

ーー

そして土器、定住、貝塚という三つの縄文文化の要素が五千年ほどの時間をかけて、ゆっくりと日本に定着していった。

氷河期の終わりに、地球の温暖化が併行して、人類の食物採取空間が拡大し、縄文時代の日本列島の人口はおよそ26万人と推定されるという。

ーー

林房雄はアンデスの学術調査団に加えて貰い、ペルーなどのインカ、アステカ文明の遺跡発掘作業の一団に加わった。

そのとき林は、スペインに滅ぼされた古代文明の復活が、彼らの「国学」の蘇生につながると直感している(『緑の日本列島』、『神武天皇実在論』など)。

ーー

評者(宮崎)はそこまで広汎な国際比較は出来ない。

が、パプア・ニューギニアには行ったことがある。

パプア・ニューギニアの奥地では黒呪術、仮面、妖怪がいまも風習として残っている。

妖怪については、漫画家・水木しげるが漫画でその世界を描いている。

彼は、出兵し戦闘で片腕を失うも、妖怪が住むラバウルから奇跡の生還を遂げたため、それが描けたのだと評者は思っている。

ーー

パプア・ニューギニアには周囲の集落とは隔絶し、自給自足で、しかも呪術による社会が残る地域がある。

ロックフェラー・ジュニアが行方不明となったのもこのような場所であったろう。

お祭りでは仮面をつけ、鰐(わに)のような背中をし、入れ墨をした現地人が踊り、それはまるで石器時代の様である。

ーー

祭祀が重視されたという証拠がある以上、族長が出るのは自然の流れであろう。

本書でも、山田氏は、この点を重視して次のように言う。

ーー

「縄文人も様様なアクセサリーを身につけていた」

「たとえば頭飾りとして、漆塗りの櫛や骨角製の笄(こうがい)」

「耳飾りとして、石製の楔状耳飾りや土製耳飾り」

「多種多様な素材による首飾り」

「鹿角製の腰飾り」

「トリの長管骨や猪の犬歯による足飾りなどである」

ーー

「ボディ・ペインティングなどの装身」

「入れ墨、身体変工」

「抜歯技術もあった」

「しかもこれらは個人的嗜好や趣味ではなく、その集団の習慣であり、強制力を伴ったのである」

「集団社会には秩序が必要であり、かつ指導者が出てくる」

「魔術師、呪術師も出てくる必然性がある」

ーー

考古学で言及できるのはここまでである。

縄文の精神文化の骨格に迫るための方法論はまだない。

考古学による縄文時代の解明作業がどのあたりまで進んでいるのか、本書によって理解できた。

2019年3月20日 (水)

共産党政権に対抗する最も良い方法は中国から離れることだ

ーー以下「大紀元日報」より抜粋編集

「根本的な変化なければ、この船が転覆し、船にいる人が死んでしまうという運命は避けられないだろう」

上海市出身の54歳の実業家・陳天庸氏はニューヨーク・タイムズにこう話した。

ーー

陳氏は今年1月、南欧のマルタに移民した。

マルタ行き飛行機の中で陳氏は社会ネットSNSに以下の文章を投稿した。

「中国を離れる飛行機から、ある民営企業家が、お別れになぜ移民するのか語る」

1、重すぎる税負担

2、民営企業から当局が正当な理由なくお金を吸い上げる

3、製造業がどんどん海外移転している

など20項目を上げた。

ーー

この文章は瞬く間に拡散されたが、すぐに当局によって削除された。

ーー

ニューヨーク・タイムズは、24日の北京語電子版で、陳氏の以下の文章は、多くの企業家の本音を代弁するものだと書いた。

「中国の実業家は、中国の未来に自信を喪失した」

ーー

米クレアモント・マケナ大学・裴敏欣教授は、これについて「共産党当局のまずい政策」が原因だと指摘した。

「民営企業とその経営者は、共産党の粛清の対象になれば、いとも簡単に抹殺されてしまう」

「共産党が法の支配を受けていないからだ」

ーー

近年、中国で有名な実業家が相次いで拘束されている。

安邦保険集団元会長の呉小暉氏は昨年詐欺や職権乱用の罪で懲役18年を言い渡され、社の一部は共産党の管理下に置かれた。

2017年1月、共産党によって香港から本土に連行された中国人富豪、投資会社「明天控股有限公司」の創業者の肖建華氏は今現在も拘束されている。

中国複合企業、海航集団(HNAグループ)の王健・会長が昨年フランスで転落死した。

中国人実業家の自殺や不審死が世界各国のメディアをにぎわした。

ーー

不動産大手の大連万達集団(ワンダ・グループ)は昨年から、経営危機から脱出するため、傘下のホテルや子会社株式などの資産を売却してきた。

中国人富豪番付1位、電子商取引最大手のアリババ集団の馬雲・会長は昨年、2019年中に経営の一線から退くと発表した。

陳天庸氏はニューヨーク・タイムズに対して、共産党(中国当局)は民営企業から多くの資金を搾取しようとしていると述べた。

ーー

税負担と社会保障の負担額は企業にとって重い負担となっている。

社会保障の負担分は社員の給料の40%近くに達している。

腐敗共産党幹部は企業を金銭自動支払機ATMのように使っている。

ーー

陳天庸氏は投稿のなかで、国内の企業家に対して次のように呼び掛けた。

「(中国から)離れるなら、早く行動すべきだ」と。

ーー

中国市場研究機関、胡潤研究院が1月中旬、国内富豪465人を対象に行った中国景況感調査を発表した。

これによると、「中国経済に強い自信がある」と示した人は、回答者の3分の1を占めた。

しかし2年前、同様の回答をした人の数は全体の3分の2であった。

また、1月に発表された調査では「中国経済に全く自信がない」と答えた人は全体の14%で、2018年の2倍以上となった。

半分以上の回答者は、海外への移民を検討中、またはすでに手続きを始めたと示したという。

ーー

陳天庸氏は、共産党(当局)は常に民営企業や個人を監視していると批判した。

中国人民銀行(中央銀行)は今年1月1日から、大口取引を行った企業や個人を監視対象にするとした。

監視対象となったのは、一日の取引または累計取引の金額が5万元(約83万円)以上、一回の送金金額が20万元(約331万円)を超えた企業や個人だった。

ーー

人民銀行は、アリペイやウィーチャット・ペイなどを含む非銀行決済機関に対して、大口取引を報告するよう要求した。

「中産階級は『俎板の鯉(まないたのこい、当局のなすがまま)』のようだ」

「共産党(中国当局)にいとも簡単に一文無しにされてしまう」

「誰も免れることができない」

ーー

共産党(中国当局)が時々、反日、反韓、反米運動を起こすため、外資企業の流出が加速している。

このことも景気を悪化させていると同氏は分析した。

中国人民大学の向松祚教授は1月20日、国内での講演で、共産党当局は、「国営企業を発展させ、民営企業を後退させる」政策を採っているとし、

この共産党の政策によって、企業経営者の心理が冷え込んでいると述べた。

ーー

陳氏はニューヨーク・タイムズに対して、「共産党政権に対抗する最も良い方法は中国から離れることだ」と述べた。 (翻訳編集・張哲)

2019年3月19日 (火)

日本人が、朝鮮人と共存するのは不可能だ、やっぱり朝鮮半島とは縁を切ろう

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

高山正之『韓国への絶縁状』(新潮社)

『週刊新潮』に連載されている名物コラムに「変見自在」がある。

その中から韓国批判だけを集めて作られたのが本書だ。

だが高山氏が韓国を批判すると、結局朝日新聞批判になってしまっているのが特徴である。

ーー

支那国内では、経済が破綻して、ヒト・モノ・カネが動かなくなってしまった。

それで習近平も、これまで日本に対して理由もなく上から物を言っていたのが、最近はやけに低姿勢になっている。

ーー

支那・朝鮮人は常に日本人を不愉快にさせる。

支那は、国内事情もあって、低姿勢になっているのに、朝鮮半島諸国は、まったく変わらない。

朝鮮人らは、日本や日本人に対して相変わらず、上から目線で語る。

日本を貶め、天皇を戦犯にして、さらに天皇に謝罪せよと迫った。

ーー

どうやら、日本がこれまで慰安婦などに根拠もないのに謝罪と賠償をしてきたことがあだになっているようなのだ。

(韓国への賠償の一部を口利き料として受け取っていた人たちがいた)

日本が謝罪と賠償を繰り返してきたために、朝鮮人らは、日本人らが朝鮮人に悪事を働いたからだと思いこんだ。

ーー

相手が日本人であれば、こちら側が謝ると相手は「こちらにも悪いところがあった、もう充分です」で終わる。

ところが、相手が、支那・朝鮮人の場合は、これでは済まない。

従軍慰安婦という「嘘」をついて、日本人を謝らせた。

朝鮮人らは、もうこれっきりだからとだまし、日本人に謝罪させた。

すると今度は、朝鮮人らは謝罪した以上賠償しろと言う。

そしてこの謝罪・賠償要求は千年経(た)とうが終わらないのだ。

ーー

もう日本人の中で、従軍慰安婦の存在を認める人はいない。

従軍慰安婦をでっちあげた朝日新聞でさえ、否定している。

だから、朝鮮人が従軍慰安婦を口にするほどに日本人から反発され嫌われる。

最近では、日本人の多数が、もう朝鮮人とは付き合うのを止めようと言いだした。

ーー

韓国駆逐艦が、日本の哨戒機に火器管制レーダーを照射し、撃墜するぞと威嚇した。

韓国海軍は、日本の哨戒機が武装していないのを知りながら、「日本が仕掛けてきた」と嘘を平然と言ってのけた。

そして朝鮮人らは、日本企業から賠償金をとろうとして徴用工だと嘘をついて訴え、韓国司法がそれを認める判決を下した。

ーー

日本人は、韓国海軍が自分たちのしたことを認めないことに強く反発した。

そして徴用工を騙(かた)って賠償金請求をした朝鮮人らの行為について、日韓請求権協定に反するものだと強く非難した。

しかし、朝鮮人は、まったく日本人の反発や非難を無視したのだった。

ーー

朝鮮人が書く新聞を見てみると、彼らは日本人が何を問題として非難しているのか、理解していない。

朝鮮人らは、大統領が大法院(最高裁)の判決に人事権を行使することで影響を与えていることを怪しまない。

つまり三権分立を理解できていない。

それどころか、日本企業に対して、韓国の判決に従えと主張して、法治も理解していないことを露呈した。

ーー

読者の中にも経験があると思うが、朝鮮文字で書かれた記事をグーグール翻訳すると一発で読める日本語になる。

しかし、その内容を読むと、これを漢字なしで理解するのは不可能だと思ってしまう。

その事情を高山氏は以下のように書いている。

ーー

「朝鮮半島には独自の言語があったようだ」

「しかし、為政者が朝鮮原語を重視しなかったために、朝鮮原語はほとんどなくなってしまった」

「支那の支配が始まると、朝鮮原語はどんどん消え(てしまった)」

「つぎにモンゴルが入ってきた」

「李氏朝鮮をひらいた李成桂は満州(女真)人だ」

ーー

1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が「訓民正音」を制定したものの、当初から卑語(朝鮮原語)の文字という意味で「 諺文 ( おんもん、オンムン)」と呼んだ。

つまり、朝鮮原語を卑語としていたため、現在残る朝鮮原語は二百語に満たない。

発音こそ違うが「交渉」も「停戦」も日本語由来で、その他現代朝鮮語の8割が日本語由来といわれており、それゆえ一発変換で読めるのだ。

ーー

「貧しい言語世界ゆえに日本の情感ある歌を理解できない」

ーー

ところが朝鮮人らは、万葉集が詠まれた時代の日本人は朝鮮語を話したと主張している。

そして、「万葉集は朝鮮語で読める」などという本をでっちあげて日本文化は朝鮮の猿真似だと言ってふんぞり返る。

(朝鮮原語が200ぐらいしかわかっていないのにどうして1300年以上前に詠まれた万葉集を朝鮮語で読むというのか)

ばかばかしいにもほどがあるのだが、日本の言論・メディアを支配している在日・反日勢力は、日本人の反論を許してこなかったのだ。

ーー

朝鮮人らは、今も自分たちの言語状況の貧困さを、客観的に考察することができないでいる。

ーー

というよりも朝鮮人には、近代を開く概念である、客観性、公平性、公共性が理解できないのだ。

このことは、米国へ渡った朝鮮人にもみられる。

「ロス暴動」は黒人を不当に差別した白人警官を糾弾する筈だった」

「が、(黒人)暴徒が襲撃したのはロスの朝鮮人街(コリアンタウン)だった」

「韓国系商店街を狙い撃ちし、四日間、放火、略奪がつづき朝鮮人街は灰燼に帰した」

「アメリカにおいて少数民族が共生する地区でさえ、朝鮮人は日頃から恨まれていたからだ」

「黒人差別云々は切っ掛けに過ぎなかったとも言える」

ーー

移民社会であるアメリカ人でさえ朝鮮人との共存はできなかったことになる。

日本人が、朝鮮人と共存するのは不可能だ、やっぱり朝鮮半島とは縁を切ろう。

2019年3月18日 (月)

民衆政治democracyが機能するためには、我々が反日メディアの扇動に流されないようにしなければならない

ーー以下「ttensanブログ」より抜粋編集

ムン・ジェイン(文在寅)政権は、日韓請求権協定を反故にし、日本企業に徴用工への賠償請求を認めるなど、反日を加速させ続けて来た。

それゆえ、3.1朝鮮人強盗(朝鮮人らは独立運動)100周年に当たる2019年は、朝鮮人らの日本人に対する強盗行為が予想され、政権内から渡航危険情報を出せという意見がでた。

それを外務省官僚が、注意情報に止めさせた。

ーー

朝鮮人らは、日本人に対しては何をしても許されると教育されている。

それは、日本国政府が謝罪と賠償を繰り返したために、朝鮮人らが日本人が朝鮮に対して悪事を働いたからだと認識しているためだ。

ということは、韓国政府は、日本人が被害に遭ったとしても見殺しにする可能性が高いということだ。

ーー

真珠湾攻撃前に宣戦布告文を米国に届けなかったために、日本は、米国からいまだに卑怯者呼ばわりされている。

それは外務省官僚(駐米大使ら)が遊びに夢中になっていたからではないのか。

しかも、遊びに夢中になっていた官僚どもは、米国を勝利に導いた功によって、戦後皆出世した。

ーー

官僚は、官僚機構の数々の制度によって、徹底して無責任でいられるようになっている。

文部科学省は獣医師会との利権を守る為にデマを流し、違法な天下りを差配していた。

厚生労働省は、統計調査不正を長年続け、国会に嘘をつき続けた。

国土交通省は、不可解な土地取引と勝手な土地価格の算定をやっていた。

財務省は、省益を拡大するために、消費税増税しないと借金で破綻すると国民に嘘をつき続けている。

また財務省は、反日メディアを納税指導で脅し、天下りを報道しないようにしていた。

ーー

官僚らは行政府(内閣)を無視して文書の改竄を繰り返していたのだ。

ーー

江戸を引き継いで明治になって出来上がった官僚制度が国民の利益を無視し、省益のために暴走しだしたと言える。

確かに、日本の官僚は真面目に必死に働いている人たちが多い。

しかし、一部不心得なキャリア官僚どもの悪行がきわだつようになった。

ーー

今の在日・反日勢力に支配されたメディアは、侮日することを「報道」と言い張っている。

元官僚の前川喜平は政権に対して平然と面従腹背と主張した。

これは、内閣が、1~2年で交代していたから可能であったのだろう。

ーー

行政府の首脳たちが1~2年で交代すれば、官僚はやりたい放題できる。

それを在日・反日勢力が利用していた。

行政府に諮(はか)ることなく官僚の通達で好きなようにできた。

官僚の不祥事がここまであからさまになったのは安倍政権が続いているからなのである。

ーー

言論・メディア・官僚が、安倍がいる限り自分たちの思い通りにならないとして、反安倍になるのは当然のことであろう。

ーー

だから在日・反日勢力に支配された現論・メディアは、あらゆる問題を、安倍総理がやった犯罪であると報じ騒いでいる。

そしてこれに悪乗りする官僚がいて、自分達の犯罪的行為の責任を安倍に転嫁させて誤魔化している。

これでも、何とか行政が機能しているのはまだ真面目な官僚が居て仕事をしてくれているからだと感謝するほかない。

ーー

反日政権を作る事を目標にしている在日・反日勢力によって日本では短期でころころ政権が変わっていた。

そんなことを何十年間もやっていたのだ。

そして不心得な官僚達が 「国民を忘れ省益のみ追求する」 というのが当たり前になっていた。

ーー

そして2009年、メディアが寄ってたかって作り上げたのが民主党政権だった。

民主党は官僚主導打破を掲げて政権を取った。

ところが、自治労出身の民主党議員らにとっては国民無視が当たり前なので、以前より一層の官僚主導政権となった。

ーー

さて立法府の国会だが、議員数が少ないため、それぞれが各委員会の掛け持ちをしなければ国会が機能しない。

つまり、政治主導のためには、現状は人材(議員)不足なのだ。

ーー

英国では予算については財務官僚が勝手に他省庁と予算折衝することは禁じられている。

議会による政治主導で決められる。

そのかわり日本の衆議院に相当する庶民院は議席数にして650ある。

ーー

英国は、人口が6300万なので、議員数は、およそ人口10万あたりで一人ということになる。

日本の衆議院議員定数は465人、人口は英国の二倍であるにもかかわらず議員数は英国の7割しかいない。

国政に意見を持っていく窓口という点では英国よりも狭いことになる。

ーー

小選挙区の議員・289人は、選挙区回りもしなければならない。

これで政治主導なんてことを徹底しようとしたら、身体が足りない。

ーー

ところが反日メディアは、自民党政治に対して、官僚主導だと批判し、一方で国会議員が多すぎると騒いでいる。

こんな矛盾した主張をするのは、在日・反日勢力が、日本の政治を官僚主導のままにしておきたいからなのだ。

この矛盾に私達有権者は気付かなかった。

反日メディアはそこを突いて民主党政権を作り上げたことになる。

ーー

民主党政権という悪夢を繰り返さないためには、つまるところ、私達国民が賢くあろうとしつづける必要がある。

民衆政治democracyが機能するためには、我々が反日メディアの扇動に流されないようにしなければならない。

複雑な社会の問題が、(反日野党が主張するような)簡単に片付くわけがないのだ。

だから甘い言葉に惑わされないようにして、一歩ずつ改善を積み上げていく。

それが、民主党政権の悲劇、地獄を繰り返さないための、唯一の方法なのです。

2019年3月17日 (日)

儒教は、人民支配の道具

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

石平『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』(PHP新書)

『論語』は道徳を美しいものとして記述した。

しかし儒教は美しい道徳を、美のないモラルへと変え、道徳を律法化し人々に強制したのだ。

つまり儒教と論語は基本のところが異なるのである。

ーー

石平氏は『なぜ(アジアで)日本だけが支那の呪縛から逃れられたのか』と問題提起し、次のように答えた。

「聖徳太子は仏教を取り入れたが、同時に輸入された儒教は日本で定着しなかった」からだと。

また前著『支那人の「善」と「悪」はなぜ逆さまなのか』では、支那人が大切にするのは宗族以外ないからだと説いた。

支那人らは宗族のためには人殺し売国など、どんな悪事でもしてしまうのだと。

ーー

本書では、「儒教」と『論語』は同じではない、そしてまた孔子の精神を体現したのは日本人であって、支那人ではなかったと指摘する。

ーー

支那での儒教は、上下関係を態度で示すための「礼教」に化けた。

上位の者は、下位の者に、「礼(態度)」を要求することで、人々を暴力的に支配したのだ。

(沖縄にある「守礼の門」はまさに沖縄人に奴隷としての礼を要求するものだ)

つまり、儒教は、人民支配の道具として使われた。

ーー

この箇所が支那人の石平氏が、認識している儒教の本質である。

ーー

知識階級であった石平氏の両親は文革の煽りで田舎へ下放された。

そのため石平氏は、幼年時代を四川省の田舎、祖父の下で育った。

漢方医の祖父は、石平少年に『論語』を教え、徹底的に記憶させた。

しかし文革の時代、『論語』を持っているだけでもつるし上げの対象となった。

或る夜見ると、後難を怖れたのだろう、祖父が秘かに『論語』を燃やしていたのだという。

ーー

四川省に居た石平氏が、支那最難関の北京大学へ入学した頃、共産支那にも自由の風が吹き始めていた。

「哲学専攻の私たちは当然のように、孔子や儒教などよりも、ルソーやフランス革命の理想、そしてサルトルに心酔していた」

「儒教でいう『仁義礼智信(5徳)』よりも、『自由平等人権』などの言葉がわれわれの心を捉えた」(p20)

ーー

「『論語』には、人間性の抑制や人間の欲望を否定する言葉など何一つなく」

「ましてや女性の『守節』や『殉節』を(礼教のように)奨励するような表現はどこにも見あたらない」

「その代わりに、孔子が『論語』の中で盛んに語っているのは『仁』(愛)であり『恕』(思いやり)であり、親の気持ちを大事にする意味での『孝』なのである」(p29)

ーー

やがて氏は、日本留学を思い立ち、神戸で生活し始める。

「日本に来てからわずかひと月で、私は『仁と恕』に満ちている社会の中で生きる実感を得(た)」

日本人の礼節には、心のぬくもりがあったのだ。

「(市井の人々が)子供の頃に祖父から教わった「論語」の言葉と同じような暖かさを持っていた」(p35)

ーー

「(儒教は)孔子が没してから三百数十年後に、孔子とはまったく関係のないところで作られた」

「(儒教とは結局)一種の政治的イデオロギーであり、権力に奉仕するための御用教学なのである」(p142)

氏は、「だから論語は儒教とは無縁なのだ」とし、次のように言う。

「「論語」は大いに読まれるべきであるが、儒教とは単なる過去からの負の遺産であり、廃棄物として捨てておくべき(である)」と。

ーー

さて本書の著者、石平氏の大活躍については、いまさら記述する必要はないだろう。

次々とアイディアが沸き出ずるように、旺盛な創作意欲の噴出がある。

それも新作毎に新しい分野への挑戦があり、おろそかにして読み飛ばすことが出来ない。

論壇で重要な位置をしめるようになったことは慶賀に堪えない。

ーー

これまでの氏の書がそうであったように、この書もまた、支那および支那人の理解に大いに役に立つ。

2019年3月16日 (土)

自分勝手なまねがしたい、義務なんか放り出したいとなると、いつも民主主義をもち出す

米国暮らしの姉の息子が、家族を連れて帰国した時「おじさん、日本の男は変わってしまったね」と言ったことがある。

お前も日本人のくせに何をいうのかと思って考えてみた。

確かに、かつて日本の男が持っていた「どんな人生であろうと引き受けて生きて見せる」というような強(したた)かさがみられなくなった。

その日本男児の変化について「ばら」さんが投稿してくれているのでお目にかける。

ーー以下読者投稿より抜粋編集

「ばら」です。

カズオイシグロ著「遠い山なみの光」(ハヤカワ文庫、小野寺健訳)から

p38被ばく数年後の長崎の狭い家に住む夫婦に、夫の父が訪ねてくる。

「この頃の連中は、教えを受けた人のことを簡単に忘れる」

ーー

「ええ、まさにその通りです」夫(二郎)は食事を終えて箸を置いた、わたしがお茶をつぐ。

ーー

「この間、妙なことがあってな」

「いま考えてみると、むしろこっけいな話だがね」

「長崎の図書館で、ある雑誌を見つけたんだよ」

「教師たちがつくってる雑誌さ、知らない雑誌でね、昔はなかったものだ」

「あれを読んだら、日本の教師はみんな共産主義者になったのかと思うだろうな」

ーー

「たしかに日本では共産主義がさかんになっていますよ」

ーー

「おまえの友だちの松田重夫もこの雑誌に書いているんだ、ところが、驚いたね、その論文の中にわたしの名前が出てきたんだよ」

「自分がそれほどの有名人とは知らなかったな」

ーー

「長崎には、今でもお義父様のことを覚えてる人がたくさんいますわ」わたしは口をはさんだ。

ーー

「実に驚いた話さ、遠藤博士とわたしのことが書いてある、わたしたちの退職のことだ」

「わたしの誤解でなければ、松田はわたしたちが職を失ったのは当然だと言いたいらしい」

「それどころか、わたしたちは終戦と同時に追放されるべきだったという口ぶりなんだ、まったく驚いたね」

ーー

「たしかにあの松田重夫ですか」

ーー

「あの男だ、栗山高校だから、驚いたな、よく家へ来ちゃ、おまえと遊んでたじゃないか、お母さんもあれをとてもかわいがっていた」

ーー

p40「恩知らずじゃないかしら」

ーー

「栗山高校の校長にあの男を紹介したのは、このわたしなんだからな」

ーー

p83「困ったもんだ、しかし今の日本にゃ、わかいものに影響をあたえるものが多すぎる」

「今の若い連中は、みんな思想だの理論だのに押し流されている」

「だがあの男もいずれは目がさめて謝るだろう」

「松田は自分のしていることの意味を考えてみたことがないんじゃないかと思うんだよ」

「あの論文だって、右手にペンを持ち、左手に共産主義に関する本を持って書いたんじゃないのかね」

ーー

p91「アメリカ人というやつには、日本の事情がまるでわかっていない、わかったためしがないんだ」

「連中のやりかたはアメリカ人相手にはいいかもしれんが、日本では事情が違う、まるで違うんだ」

ーー

「規律とか忠誠心、こういうもので昔の日本はまとまっていた」

「嘘のようだが、そうだったんだ、誰にも義務感があった、家族に対しても、目上の人間にたいしても、国にたいしてもだな」

「ところが今じゃ、誰も彼も民主主義、民主主義だ、自分勝手なまねがしたい、義務なんか放り出したいとなると、いつも民主主義をもち出す」

ーー

p92「ええお父さんの言う通りです」

ーー

「教育にしたってそうだ、われわれは何十年もかけてひとつの制度を作り上げ、大事にしてきた」

「アメリカ人がやってくるとこれを引っ剥がして、あっさりずたずたにしてしまった」

「日本の学校もアメリカの学校と同じにして、子供たちにもアメリカの子供と同じことを教えるんだと決めてしまった」

「それをまた、日本人は何もかも歓迎したんだ、民主主義、民主主義で大歓迎した」

ーー

「日本の学校のいい伝統はめちゃめちゃに壊されてしまった」

「わたしは子供の教育に一生を捧げてきた、ところがそれをアメリカ人にずたずたにされるのを見る羽目になった」

「いまの学校教育はじつに異常だよ、今じゃ子供たちを日本人として躾(しつけ)ようとしていない」

「いいかね、子供たちは自分の国の歴史を何も知らずに卒業していくんだよ」

ーー

p93「たしかに困ったことかも知れませんね」

「しかし、ぼくらが学校にいたころにも妙なことはありましたよ、たとえば、日本は神様が造った国だなんて教えられて、日本は神の国で、最高の民族だなんてね」

「教科書は隅から隅まで暗記させられたし、失なってもいいものだって、あるんじゃないかなあ」

ーー

「しかし二郎、物事はそう単純じゃないぞ、おまえにはそういうものの持っていた意味がやはりわかっていない」

「わたしたちは大事なものが次の世代に引きつがれていくように、子供たちが自分の国にたいしても、正しい姿勢を身に着けるように、身を捧げてきたんだ」

「昔の日本には精神があった、それが国民を団結させていたんだ」

ーー

「今の子供たちは、どうなると思う、何が大切なのかということを学校で教わらない」

「まあ好き勝手に生きるために、社会になんでも要求しろということは、教わるんだろうがね」

ーー抜粋ここまで

ここに緒方(イシグロ)さんの怒りを掲載出来て感謝です。

長い文読んでくださいましてありがとうございます。

2019年3月15日 (金)

日本人はおそらくイスラム教徒(ムスリム)を誤解している

日本人は欧米人は理解しにくいと考えてきた。

そして支那・朝鮮人は、同じ儒教文化圏に居て、お互い理解しあえると考えてきた。

ところが、ネット環境の出現で支那・朝鮮人の持つ文化が、日本人の文化とは大きく違っていることがわかってきた。

そして日本人の持つ文化はむしろ欧米人に近いことがわかった。

ーー

支那・朝鮮人の考える儒教と日本人が考える儒教に大きな違いがあったのだ。

さらに支那・朝鮮人は儒教が教える五徳とは無縁の人たちだった。

ーー

日本人は、イスラム教徒(ムスリム)については、燃料が石炭から大きく石油に替わるまで無縁だった。

それゆえ支那・朝鮮人に対する以上に大きな誤解をしている可能性がある。

以下を読めばその理由がわかる。

ーー以下「兵頭二十八ブログ」より抜粋編集

ストラテジーペイジの2019-1-6記事。

「GCC諸国はイスラエルのテロ封殺ノウハウを学びたがっている」

中東は例外なく部族混合国家。

そしてほとんどの国家で、マイノリティが社会を牛耳っている。

ヨルダンではベドウィンが。
シリアではアラウィ派が。
イラクではスンニ派が。
サウジではNejdisが。

そうなると「能力主義」は不可能である。

ーー

能力よりも忠誠が、出世のカギになる国家・社会ができる。

ーー

アラブ人はコーランを機械的に丸暗記する。

西洋人がその字句の意味について辞書で調べようとすると、馬鹿にして見下す。

コーランの翻訳じたいを喜ばない。

ーー

西欧諸国は、教科書をどんどんよりよいものに書き換えていく。

アラブは、けっしてそうしようとはしない。

ーー

アラブにはミドルマネジメントがない。

軍隊でいう下士官層が機能していない。

支配者とモブの2階層しかない。

誰もそのなかだちをしない。  

支配層は責任を取らない。

致命的な労災のような大事故が発生しても、誰もモブの犠牲などに気をかけない。

ーー

アラブの支配者は、部下(機関)の相互連絡・連携を嫌う。

部下が結託して政府を転覆するのではないかと疑うからだ。

アラブのリーダーは、他のリーダーが、約束した通りのタイミングで正確に仕事(作戦)をするだろうなどとは思っていない。

他人をまるで信用していない。

ーー

アラブのリーダーは、部下や同盟者(他国のリーダー)に嘘をついてもゆるされると思っている。

そしてそれを責められると「彼らは誤解している」と言い直るのが常である。

ーー

西欧人は、知識やスキルを他に分け与える教育に燃える。

しかしアラブ人は知り得たことは一人で独占しようとする。

というのは、他に誰も知らないことを知っていることが、アラブでは、人の値打ちだからだ。

誰に何を教えたかではなく。

ーー

米国のアドバイザーたちは学んだ。

アラブ人に技術を教えることはできる。

しかし「リーダーシップ」(指揮官/上司としての振る舞い)を教えることは不可能であると。

ーー

個人のイニシアチブ発揮も、アラブ人にはなじまない。

自分で何か考えて賭けに討って出るよりも、集団全体で確実に失敗する道の方がよほど安全だと考えられている。

アラブの上官は、部下のこまかいところまで監視し統制しようとする。

部下を統制できていることが、戦争に勝つことよりも大事なのだ。

ーー

アラブ人の指揮官は、米軍のアドバイザーに、なぜ自分が「決心」をしないのかは説明しない。

それで米軍のアドバイザーは怒る。

欧米の軍事学校に留学したアラブ人将校でも、けっきょく、同じである。

彼らが中堅指揮官や下級指揮官としてのイニシアチブを発揮することはない。

それは伝統文化に反するからだ。

ーー

中間指揮官にイニシアチブがないと、最先端の兵器・機材を現地で適切にメンテナンスし、修理するということも不可能である。

アラブ人将校は、すべてのメンテナンスを中央補給処がやってくれることを期待する。

自分の責任を免れるために。

ーー

したがってアラブ軍の装備稼働率は、低い。

ーー

中東地域で事業を展開する、非アラブのモスレム経営者たちも、この問題に直面している。

アラブ世界では、軍や公務の話は全部厳秘である。

ーー

西側軍隊では、将校の昇任は定期的に公示される。

官公署の人事異動も然り。

だがアラブでは、決してそのような情報はオープンにされない。

ーー

このため、外国軍や外国企業と協働してきたカウンターパートが、突如、何の予告もなく、転属・転勤していなくなってしまう。

築かれてきたネットワークはそこで断絶する。

チームスピリットは育ちようがない。

ーー

西欧社会は、新約聖書中に政教分離に都合のよい句が記されていたおかげで、政教分離できた。

しかしイスラム教では政教分離は不可能である。

まず「イスラム」とは「服従」を意味した。

そしてイスラム聖典は、人々の生活の細部についてだけでなく、政府の形態に関しても規定しているのだ。

ーー

ここから最初に抜け出そうとしたのは1920年代のトルコだった。

ついで1950年代のマレーシアが、英国システムを導入して経済的に成功した。

今日マレーシアにはイスラム過激主義に対して拒否的な精神風土があることは特筆される。

ーー

トルコは1928の法律によってアラビア文字からローマ字に国語表記を切り換えたのだが、最近トルコ内には、この法律を廃止しようという運動もある。

大衆は支持していないが。

ーー

※ストラテジーペイジの記事がほぼ無署名であるのには理由があるだろう。

このようなエッセイは、欧米の大手新聞ならば載せてはもらえない。

たちまち「レイシズム」のレッテルを貼られてしまうからだ。

しかし、イスラエル系の記者がアラブ世界について書くことが概ね本当の事実であったら?

日本がイスラエル発のこうした地道な英文宣伝活動に学ぶことは多いはずだ。

«支那人は「歴史」が共産党の捏造であることを知っている

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