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2018年1月19日 (金)

脱支那が日本の独自の文化圏形成の原動力だった

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集

石 平『なぜ日本だけが支那の呪縛から逃れられたのか』(PHP新書)

石平氏は北京大学を卒業した時には、まったく日本語が喋れなかったという。

そして日本語がしゃべれない状態で日本に留学してきた。

神戸のレストランでアルバイトをしているうちに日本語がしゃべれるようになったのだという。

そのときに書店に行ってみると、日本の本屋の書棚には、支那の古典・孔孟から韓非子、朱子学の翻訳本がずらりと並んでいた。

ーー

日本の読書人は、西洋の古典から現代の書物の他に、支那の古典を読むという、おそらく世界一読書範囲が広い。

マルクス・レーニン全集があるかと思えば、ニーチェ、ヤスパース、ショーペンハウエルからアンナ・ハーレントまで、マルクーゼからヴィトゲンシュタインの翻訳もでている。

本国フランスにはないのに、サルトル全集がある。

ーー

日本とはいったいどういう国なのか?

ーー

トランプ大統領が誕生すれば30冊を超えるトランプ本がならび、大河ドラマが西郷隆盛になると百冊をこえる西郷物が書店で売られるようになった。

李登輝氏などは、京大に学び、「日本語の翻訳により知識を拡げ教養を高めることが出来た」と述懐されている。

日清戦争ののち、夥しい支那人留学生が日本にやってきて、日本語を通じてルソー、サミエルソンや、デカルト、カントを知った。

つまり日本人はあらゆる思想、哲学、文学を翻訳し、咀嚼し、そこから独自の思想を形成してきたのだ。

ーー

その日本にやってきた石平氏は北京大学で哲学を学び、成都で哲学の教鞭を執っていた。

ゆえに日本の思想史に甚大な興味を抱くのは自然の流れ、そしてある日、「不可解な矛盾」があることに気がつくのだ。

「江戸期以前の時代では、日本の代表的な思想家はほとんど仏教の世界の人間であるのに対し、江戸期に入ってからの代表的な思想家はほとんど儒学者だった」と。

ーー

「えっ」と思わず声をあげた。

こういう見立てがあるのか、というのが第一の感想だった。

ーー

石平氏は「聖徳太子が仏教を国教にまでしたのは、支那から独立するため」であり、日本は仏教を日本化することによって文明を日本独自のものとしたのであると述べる。

しかし、江戸時代には逆に儒教を官学の基礎においた。

その徳川時代の儒学は、じつは朱子学であり、支那の儒学とは似ても似つかぬものであった。

他方で本居宣長などの国学の台頭を生んだ。

いま紹介したのは大雑把なまとめだが、石さんは本書において、その経緯を詳細に論じている。

ーー

紆余曲折をへて日本は脱支那の思想を構築し、文明の独立自尊を守り抜いた、というのが本書の骨子である。

ーー

日本は仏教と儒学をほぼ同時に輸入するも、仏教を日本化して脱支那文明の基礎とした。

一方で、漢学儒学には深い関心を寄せず、やがて遣唐使を廃止してしまう。

仏教は最澄と空海によって絶頂を極めて、以後、哲学的には衰退してゆく。

そしてこの時代に『古事記』『日本書紀』が書かれ、やがて『源氏物語』が書かれる。 

ーー

「家康が天下統一したあと、推し進めたもう一つの仏教対策は、全国に『寺請制度(檀家制度)』を整えることだった」(p136)

つまり住居移転や結婚、旅行など檀那寺が発行する「寺請証文」が必要とされ、それは寺院の収入を安定させたのだが、以後仏教は、実質的に「葬式仏教」となってしまう。

「仏教は国家体制と政治権力にとって、無害にして有益なものとなっていった」

「思想史的にいえば、まさにこの過程で、日本の仏教は思想としての創造力と影響力を失う」

ーー

一方の儒教は、「幕府による推奨政策の結果、『蔵入り』から掘り出され」そして「仏教に変わってこの時代の思想と行動原理(イデオロギー)の主役の座を占める」のである。

これが、「近世に入ってから起きた、日本思想史上の最大の変化」(p142)だと著者は述べる。

ーー 

だが儒教は官学でしかなく、「昼は朱子学、夜は陽明学」という佐藤一齋らが象徴するように儒学と併行して日本では陽明学が読み込まれた。

陽明学の知行合一というのが武士の美意識に適合したからだろう。

ーー

市井では本居宣長に代表される国学の意気軒昂たる復活があり、江戸前期には山鹿素行の『中朝事実』がでて、水戸学への驀進が始まる。

ここで「中朝」というのは日本のことなのである。

支那の王朝には連続性がないが、日本の皇室はそれと違い連綿と続いており、日本こそが「中朝(中心の国)」なのだと述べる。

これが『日本の思想』の中軸となる。

ーー

江藤淳はその著『南洲残影』の中で、「西郷隆盛は日本の思想である」と書いた。

こう考える日本の読書人からすれば、本書で展開されている石平氏の斬新な視点には注目すべき点が多い。

とりわけ石平氏の山鹿素行論は、従来の保守陣営の解釈とは趣きが異なる。

次のような描き方となる。

ーー

「鎌倉時代末期の日本の神道思想の確立において、外来宗教の仏教に対する日本神道の優位性が主張された」

「山鹿素行は、天孫降臨以来の皇統と神道を中核とする日本の伝統に基づき、支那儒教に対する日本の優位性を強調して見せた」

「支那古来の『華夷秩序』の世界観を正反対に転倒させたのである」(p216)

ーー

江戸中期になると国学が日本の思想界を席巻し、「真淵は『日本の古道』を絶賛して、儒教と支那の『聖人』たちの欺瞞性を暴いた」。

そして宣長は、「日本の精神と思想の世界から『漢意』(すなわち支那)というものを、きれいさっぱり洗い去ることによってこそ、日本は日本本来のすばらしさを取り戻すのだと説いた」(p217)

脱支那が日本の独自の文化圏形成の原動力だったのである。

2018年1月18日 (木)

「広辞苑」は、これらの誤記を速やかに訂正すべきなのである

ーー以下「宮崎正弘ブログ」より抜粋編集

1月12日、『広辞苑』の第7版が発売された。

その中の「日中共同声明」の説明について、昨年12月、台北駐日経済文化代表処などが台湾は中華人民共和国の一部ではないとして訂正を求めている。

それは、「日中共同声明」で、台湾が中華人民共和国に帰属することを日本が「実質的に認め」という第6版と変わっていない箇所だ。

ーー第6版 第2刷(2011年1月11日発売) 【日中共同声明】

一九七二年九月、北京で、田中角栄首相・大平正芳外相と中華人民共和国の周恩来首相・姫鵬飛外相とが調印した声明。

戦争状態の終結と日中の国交締結を表明したほか、日本は中華人民共和国を唯一の正統政府と認め、台湾がこれに帰属することを実質的に認め、中国は賠償請求を放棄した。

ーー第7版 第1刷(2018年1月12日発売) 【日中共同声明】

一九七二年九月、北京で、田中角栄首相・大平正芳外相と中華人民共和国の周恩来首相・姫鵬飛外相とが調印した声明。

戦争状態の終結と日中の国交締結を表明したほか、日本は中華人民共和国を唯一の正統政府と承認し、台湾がこれに帰属することを実質的に認め、中国は賠償請求を放棄した。

ーー

「台湾」の項で問題視されたのは「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」という記述だった。

これもまた第6版からまったく変わっていなかった。

ーー第6版 第1刷(2008年1月11日発売)【台湾】(TAIWAN)

中国福建省と台湾海峡をへだてて東方二百キロメートルにある島。

台湾本島・澎湖列島、および他の付属島から成る。

総面積三万六〇〇〇平方キロメートル。

明末清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。

六〇年代以降、経済発展が著しい。

人口二二八八万(二〇〇六)。

ーー 第7版 第1刷(2018年1月12日発売) 【台湾】(TAIWAN)

中国福建省と台湾海峡をへだてて東方にある島。

台湾本島・澎湖列島および他の付属島から成る。

総面積三万六〇〇〇平方キロメートル。

明末・清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果、一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。

六〇年代以降、経済発展が著しい。

人口二二六七万三千(二〇一〇)。

ーー

また、【中華人民共和国】の項も、26番目の行政区として「台湾省」を明記する「中華人民共和国行政区分」と題する地図を掲載し、これも第6版と変わっていない。

ーー

朝日、読売、産経、NHKなどほとんどのメディアが第7版の刊行を取り上げた。

が、日本経済新聞は、台湾が中華人民共和国に帰属するという記述について

「日本は72年の声明では台湾が中国に帰属するという中国側の立場を『十分理解し、尊重する』との表現にとどめた。『承認』などの確定的な表現を避けて解釈の余地を残し、台湾の帰属問題を玉虫色に処理した経緯がある」

と書き、『広辞苑』の記述に異論を唱えた。

ーー

昭和39年(1964年)2月29日の衆議院予算委員会における池田勇人首相は、台湾の帰属について答弁している。

そこで、明確に台湾の帰属先は中華民国ではなく「帰属は連合国できまるべき問題」、つまり台湾の帰属先は未だに定まっていないと表明している。

ーー

その後の総理答弁を10年前にさかのぼって確認しても、『広辞苑』記述のような「実質的に認め」たという文言は見当たらない。

また、それを推測させるような文言も見当たらない。

ーー

例えば、平成17年(2005年)11月15日に出された小泉純一郎総理の「答弁書」では「台湾に関する我が国政府の立場は、昭和47年の日中共同声明第三項にあるとおり、『台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である』との中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重するというものである」とし、それ以上の言及はない。

日中共同声明の第3項には「日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し」の後に「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とある。

『広辞苑』が「台湾がこれに帰属することを実質的に認め」と記したのはこの記述を根拠としているのだろう。

ーー

しかし、日中共同声明をさかのぼること8年前の総理答弁は、「台湾の帰属先は未だに定まっていない」というものだ。

日中共同声明がその8年前の政府見解を無視する形で、「台湾が中華人民共和国に帰属する」ことを「実質的に認め」るなどということは考えにくい。

ーー

その点で、「台湾の帰属問題を玉虫色に処理した経緯がある」と解説した日本経済新聞の記事の方が『広辞苑』より正確だ。

また、台湾に関する政府の立場について、自民党であれ民主党であれ、歴代総理の答弁が「中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重する」ということで一致し、それ以上言及していないことにも注目したい。

実質的にであろうと形式的にであろうと、台湾の帰属先に触れていないのが日本政府の見解なのだ。

ーー

さらに広辞苑の記述は、中華人民共和国は中華民国の継承国家という立場を取っている。

しかし、池田総理の答弁に沿えば、台湾の帰属先が中華民国でないなら、中華人民共和国も帰属先ではないということになる。

いずれにせよ、『広辞苑』の「実質的に認め」という記述が的確性に欠けることは疑いようがない。

訂正を要するゆえんだ。

ーー

次に、「台湾」の項の「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」という記述についても言及しておきたい。

台湾が「中国に復帰」とという記述は、台湾が1945年までは日本の領土だったから、日本が1945年に中国に返還したということを意味する。

ーー

しかし、当時の「中国」だった中華民国自身が1945年に日本から返還されたことを認めていなかったのだ。

どういうことかというと、1952年(昭和27年)4月28日に日本と締結した日華平和条約において、中華民国は日本が前年9月に署名したサンフランシスコ平和条約で台湾・澎湖諸島を放棄したことを「承認」しているからだ。

日本が中華民国に台湾を返還していたら日本はそれを領有していないことになり放棄できないからだ。

ーー

中華民国も日華平和条約において日本の台湾領有を承認していたのだ。

つまり『広辞苑』の「一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰」などという歴史事実はなかったことになる。

これは明らかな誤記であろう。

ーー

1952年4月発効のサンフランシスコ平和条約の第2条b項には「日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定めている。

日本の台湾・澎湖諸島の領有権を、アメリカをはじめとする署名48カ国が認めていた。

それ故に日本はそれらを「放棄」できたのだ。

ーー

「台湾が1945年に中国に復帰」していたら、日本は、日華平和条約もサンフランシスコ平和条約も締結できなかった。

台湾が中国に復帰していなかったからこそ、日本は、それらの条約を締結できたのだ。

「広辞苑」は、これらの誤記を速やかに訂正すべきなのである。

2018年1月17日 (水)

支那・朝鮮における「忠・義」とは、使っている漢字は同じでも、意味がまったく異なる

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本の民衆は武士をとても尊敬し、その統治に従ってきました。

それは武士が、「民衆」のために、打算や損得抜きで「我が身を捧げる」行為をすると期待され、実際そのようにふるまったからです。

ーー

「義」の訓は「ことはり」です。

義は、羊に我と書きますが、大昔は羊は神々への捧げ物です。

たいせつなもののために、我が身を捧げるのが「義」です。

「ことはり」というのは、条理・道理のことです。

その「条理・道理」のために、打算や損得抜きの「まめなる心、忠」で「我が身を捧げる」のが、日本的「忠義」であり、武士道なのです。

ーー

これは、支那・朝鮮における「忠・義」とは、使っている漢字は同じでも、意味がまったく異なる。

彼らの文化にとっての「忠・義」は、上司のために命を捧げることです。

上司が不正をしていても、それをかばいだてするのが、彼らにとっての忠義です。

これは我々日本人の感覚では、受け入れ難いものです。

ーー

武士道に生きる者は、民衆が豊かに安心して安全に生きることができるようにしていくことに、全力を傾け、誠実を貫いたのです。

それが日本の武士(臣)の生き様だったからです。

このことは大東亜の戦いで散っていった英霊たちも同じです。

彼らは祖国の自由と独立自存のために戦い、かつまた植民地政策による支配と隷属の関係に置かれた東亜の諸民族のために戦いました。

ーー

当時は、世界中で植民地支配がなされ、その国の民を先兵にして敵と戦わせるのが常識でした。

そんな時代に、彼ら日本兵は、むしろ現地の人々を激戦地から避難させ、より厳しい戦場へと出向いて行った。

ーー

そうした中に、戦地で散華された多数の女性看護婦たちもいます。

彼女たちは、傷病兵のためにと、戦況厳しい前線へと出向き、そこで多くの彼女たちの命が失われています。

なぜ彼女たちはそこまでしたのか。

彼女たちもまた、民衆こそ「おほみたから」とする日本に生まれ育ち、日本人として生きたからです。

ーー

自身を安全な場所と時代に置いて、他人を批判する。

なるほどそれは個人の自由かもしれません。

しかし、お互いに非難や中傷をあびせあうだけでは、この世は決して良くならないということです。

ーー

私たちは、大人も子も、右も左も、みんなが天皇の「おほみたから」であるのだという自覚と誇りを取り戻さなければならないと思います。

なぜならそれこそが、日本人がこれまで生きてきた道だからです。

ーー

日本は先の大戦で敗れました。

しかし日本は、いまも日本です。

なぜ、戦いに敗れても日本は壊れなかったのでしょうか。

それどころか、日本は、いまでも世界の大国の一角です。

東京に至っては、世界最大の都市になっている。

ーー

ロシアなどは、2016年度のGDPは1兆2800億ドルで、日本(4兆9386億ドル)の4分の1でしかありません。

日本が見事に復活した理由、それは日本が天皇のしらす(統治する)国だからです。

民衆を「おほみたから」とするシラス国だからです。

ーー

国土が焦土となったとき、共産主義者らは革命闘争を繰り返し起こしました。

しかし、多くの民衆は、それに参加しませんでした。

そして力を合わせて瓦礫を撤去し、町を復興させていったのです。

ーー

戦後、占領軍が占領政策として、日本を壊そうとしたとき、在日・反日勢力がその占領政策に協力することで、利権をえます。

そして教育界を乗っ取り、「民衆が天皇の「おほみたからである」」ということを否定してしまった。

その結果、人々は自信を失い、日本がおかしくなりはじめた。

ーー

日本が悪いと繰り返し教育されればおかしくなるのは当たり前のことです。

しかし、占領軍も在日・反日勢力も結局のところ、日本に傷は負わせましたが、壊すことはできませんでした。

なぜでしょう。

その答えは、日本人の誰もが常に生涯を通じて「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める民だからです。

ーー

日本人は「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める民である。

それが日本人の遺伝子DNAに刻み込まれていると言っても良い。

つまり、占領軍であっても、日本人の心を壊すことはできなかったのです。

もちろん在日・反日勢力にもそれはできなかった。

これこそが日本が不滅の理由です。

ーー

「そんなことはない。日本には様々な問題がある」という方もいるかもしれません。

しかし、問題があるということは、問題を自覚できる感覚があるということです。

そして自覚ができることならば、それは改善し、乗り越えれば良いだけのことです。

それは神々が我々に与えてくれた試練であり、それを克服するために与えてくれた機会なのです。

ーー

機会は、いつの時代にも、どんな場合にも「苦難」の形をとって目の前に現れます。

それを乗り越えていくことが、生きるということなのだと思います。

日本人に「愛と喜びと幸せと美しさ」を求める遺伝子がある限り、日本は不滅なのです。

ーー

ーー以下「松山昭彦ブログ」より抜粋編集

日本ではインパール作戦は「牟田口中将が無謀な戦いをした」とされて、そのまま信じている人が多い。

しかし調べれば日本軍は英国との闘いで敵を圧倒して戦っていたことがわかる。

日本軍が如何に勇敢に戦っていたか、如何に軍紀粛正であったか、そして如何に強かったか。

ーー

現地の住民はよく見ていた。

大激戦地のロトパチン村の村長はこのように語っていた。

「日本の兵隊さんは実に勇敢に戦った。そして、この村のあちこちで壮烈な戦死を遂げていった。この勇ましい行動すべては、みんなインド独立のための戦いだったのです。私達はいつまでもこの壮絶な記憶を若い世代に残していこうと思っています」

ーー

激戦地コヒマでも日本兵は地元に住民に称賛されており、日本軍が去った後に群生した紫の花を「日本兵の花」と名付けた。

日英軍が激しく戦ったマパオの村では「日本兵士を讃える歌」が今も歌い継がれている。

こういうことは日本人はほとんど知らない。

日本メディアがこういう事実を一切報道しないからだ。

日本が侵略戦争をしたことにしたい日本メディアにとっては、事実を報道することは都合が悪いのだ。

2018年1月16日 (火)

第4の権力として、無敵を誇ってきたメディアも、相手がネット住人という不特定多数であるがゆえに弾圧できなくなった

ーー以下「ttensanブログ」より抜粋編集

よく差別用語だなどと言葉狩りしている連中がいます。

今のアメリカで差別を指摘しては言論を弾圧して悦に入っている連中もそうです。

日本では在日・半日勢力が自分たちの利権を守ろうとして採用しているものです。

ーー

「差別を指摘して糾している私は正義。正義を実行しているの。素晴らしいわ」と考えているのでしょう。

ーー

このような建前としては誰も反論してこない言説(ポリティカル・コレクトネス)を振り回す人たちのおかげで、

アメリカでは白人達が主人公の物語に黒人が混じるというおかしな事態になっているのです。

そしてそれを批判する人間には「差別主義者だ!」と騒ぎ立て、その正当な批判まで圧殺している。

実に愚かな話です。

ーー

アメリカにおいて黒人が差別されていた事は事実です。

ですが、映画などを作るに当たってその事実を塗り替えろというのは差別を無くすことではありません。

差別があったことは紛れもない事実なのです。

それを本や映像から消し去れというのは歴史に対する冒涜です。

そういう歴史があったよねという事を事実として受け入れた上で「でも今はそういうことはないよね」そういう世界にしていかなければならないと考えています。

ーー

言葉狩りをして差別用語をなくせば差別が無くなるのですか?

自分達が嫌いな言葉をこの世から消せば差別が無くなるのですか?

違うはずです。

差別がかつてはあった、その言葉は昔はそういう意味合いがあった。

ただこれだけで済む世の中にすべきでしょう。

ーー

しかし日本では差別を飯の種にしている連中がいます。

そういう連中にとっては差別が無くなっては困るのです。

現在も、西日本のほうでは、部落教育などと称して差別の存在を子供達に刷り込む授業を行わせています。

東日本の人達にはなじみはない話だとは思いますけどね。

ーー

そもそも東日本では本来の意味であるところの「集落」という意味でしか部落という言葉を使いませんから。

差別を飯の種にしている部落解放同盟にとって部落差別はなくなっては困る。

永遠のものでなくてはなりません。

そして「差別」という言葉は、相手の言論を封殺し自分達の利権を拡大させ続けられる魔法の言葉であり続けなければならないのです。

ーー

かつて外国人を偽装結婚させて日本に入国させている業者と話す機会がありました。

この人は部落差別とは縁もゆかりもない人でしたが、部落解放同盟のメンバーでした。

理由を聞いたらストレートに「ビジネス」という回答でした。

ーー

日本では差別がなくなりません。

なくなるはずがないのです。

差別を無くさせてはいけない、飯の種を失ってたまるか!

そう考えている人達が差別を維持しようとしているからです。

ーー

それでも時代の波は、「人権屋の存在はおかしい」という方向に大きく動いた。

解同も若者のメンバーが減っているらしいのです。

そこで人権屋らは、新たな利権としてアイヌ差別を飯の種にするために動いています。

と、ここまで読んで一部の人は「在日・反日勢力と同じ」と気付いた人がいると思います。

ーー

在日・半日勢力にとっては「相手に対して優位性を示す事」が何よりも大切なのです。

朝鮮人らには対等の関係は存在せず、上か下かの関係しかないのです。

上位にあるものは下位にあるもに何をしても許されると考えている。

下位のものは上位の不合理も笑顔で受け入れなければなりません。

ーー

これが朝鮮人らが、嘘をついてでも自分達が上であることを示そうとする理由です。

これは日本人からするととても残念なことではありますが、彼の国の文化でもあるのです。

相手が、「差別」に反応するとみると、それを大声で使ってくるのが彼らのやりかたなのです。

ーー

「差別」に反論できないとみると、「差別された」と絶叫する。

日本人に慰安婦にされたと叫んで、日本人から謝罪と賠償をせしめた。

(慰安婦というのは朝日新聞が捏造したもの)

すると、彼らは「慰安婦」を世界中で絶叫するようになったのです。

ーー

2015年に「最終かつ不可逆的合意」で慰安婦ネタが完全に使えなくなった。

すると朝鮮人らは、「強制労働させられた」と言い出した。

ーー

それは日本政府が、世界遺産というくだらないものに登録させるために土壇場で韓国の「強制労働があった」を認めるような発言をしてしまったことに起因するのです。

これは、野党が安倍首相を攻撃する材料に使えた。

ところが、今の野党は在日反日勢力であり、これを攻撃する事が出来なかった。

在日・反日勢力にとっては、支那・朝鮮こそが彼らの支持基盤であるからです。

在日・反日勢力にとっては、韓国に都合の悪い事実を言う事が絶対にできなかったのです。

ーー

日本メディアは、これまで個人による批判であればその人物を特定して誹謗中傷することで、その個人を社会的に抹殺してきました。

日本人はメディアを批判すると社会的生命を失うので、メディアを批判することができなかった。

ところが今やネット環境が整備されメディアのでたらめ報道をネット上で批判することができるようになった。

ーー

第4の権力として、無敵を誇ってきたメディアも、相手がネット住人という不特定多数であるがゆえに弾圧できなくなった。

公平性、客観性を欠く言論については、すぐにネットで「あほ、ばか、最低」と批判されるようになった。

そしてそんな記事を書く記者については「頭が悪い」と馬鹿にされる時代になったのです。

2018年1月15日 (月)

つまり神道は西洋の宗教とは別次元の存在なのである

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集
 
山村明義『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』(ベスト新書)
 
神社をshrineと訳すものがいるが、それは誤訳であろう。
 
というのもshrineは墓地を併設するからなのである。
 
それは日本では「廟」とよばれている。
 
ーー
 
日本の神社(JINJA)には神が祭られているのだが、遺骨はない。
 
神官が亡くなると、仏式の葬儀がおこなわれ、お寺の墓地に埋葬される。
 
そして皇族がたは御陵に埋葬されている。
 
ーー
 
神道を「アニミズム」と定義したのは英国の文化人類学者エドワード・タイラーだった。
 
世界各地のアニミズムについて彼は、「すべての物や自然現象に、霊魂や精神が宿るという思考で、『宗教の初期段階』と定義」した。
 
そして日本の神道に「『遅れた原始宗教』というレッテル」を張ったのだった。
 
ーー
 
ところが、タイラーの「アニミズムが遅れたものだ」という説は学界で否定されてしまった。
 
むしろ、アニミズムは、「すべての物は魂が宿るような振るまいをするという『量子力学』」として認識されるようになっているのだという(p57)。
 
ーー
 
西欧の古都へ出かけると必ず大聖堂と教会があるのだが、その地階はお墓なのである。
 
ーー
 
宗教にはお墓がつきものであることがわかる。
 
ところが、神道には、お墓がない。
 
だから、在日サンマリノ大使のカデロ氏は神道は「宗教ではない」と口にされた。
 
ご自身イタリアに『サンマリノ神社』(祭神は天照大御神)を造営され、しかもイタリア人が日本の神職資格をとって宮司を務める。
 
つまり神道は西洋の宗教とは別次元の存在なのである。
 
ーー
 
イタリアでは三島由紀夫の小説はもちろん政治論文がすべて翻訳されている。
 
カデロ氏の書棚にはミシマの他ムラカミハルキの作品がならぶ。
 
イタリア人の日本理解は深い。
 
だから伊勢サミットのために来日した前首相のレンツォは、伊勢神宮に参拝し、次のように感想を述べた。
 
「このような歴史を持ち、示唆に富む場所で、人間の尊厳を保ちながら、経済成長および社会正義のための諸条件をより力強く構築できることを祈念する」と。
 
ーー
 
また戦後になって、戦前は神道を国家が強制したという言説が流布された。
 
しかし戦前の状況は、民衆が天皇の「おほみたから」であるという、日本古来からの統治(シラス)様式に戻ったに過ぎなかった。
 
西洋の貴族が領民に自分の宗教を強制したようなやり方は取らなかった。
 
というよりも神道は西洋での教義や生活の仕方を定める「宗教」ではなかったことを著者は縷々説明している。
 
いまパワースポットとか、御朱印帳を持ち歩いて、神社をあるいている若い女性が目立つ。
 
本書は、この人たちにも分かりやすく、神道の入門編として読めるはずだ。        

2018年1月14日 (日)

ところが支那・朝鮮人にとっての歴史というのは、政治宣伝なのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

イタリア、支那、イギリスの合作映画である『ラスト・エンペラー』は、「紫禁城の黄昏」が原作とされています。

資金のほとんどは支那人が出したといわれているのに、この映画は支那ではほとんど上映されませんでした。

支那人にはすぐにばれる嘘が多くて見せられなかったのです。

それに、清国への回帰運動に結びついたらマズイとの判断があったからとも言われています。

ーー

しかし、この映画では、溥儀が日本軍によって不当に扱われており、それが世界に拡散したわけです。

つまり支那共産党としては、日本が悪いという宣伝になった。

ーー

日本人にとっての歴史は、過去の事実から学ぶ対象です。

ところが支那・朝鮮人にとっての歴史というのは、政治宣伝なのです。

したがって事実ではなく、宣伝目的をもって作られた作文に過ぎない、いわば嘘であるのです。

つまり人民にその内容を刷り込むことで、支配者層の支配をより一層確実にするための道具に過ぎないのです。

ーー

それでは、『ラスト・エンペラー』のもととなった「紫禁城の黄昏」とはどういう内容の書物だったのか。

著者のレジナルド・フレミング・ジョンストン(SirReginaldFlemingJohnston,1874年-1938年)は、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の家庭教師をつとめました。

そして、のちに香港大学の教授やロンドン大学の東方研究所所長にもなっています。
 
当時第一級の支那学者でした。
 
ーー
 
つまり彼は、満洲国建国の経緯や溥儀自身の意思も、よく知っていました。
 
彼自身の体験を綴ったのが『紫禁城の黄昏』という本だったということになります。

ーー

東京裁判のときに、日本の弁護団は「溥儀が満州建国を望んだ」ことの証拠として、この本を証拠物件に 申請したのです。
 
しかし、却下されます。

証拠採用してしまえば、東京裁判自体が成り立たなかったからです。

それゆえに「紫禁城の黄昏」は、戦後長らく世界中で再出版されなかった。
 
ーー

映画「ラスト・エンペラー」がヒットした頃、この本を岩波書店が岩波文庫として刊行しました。

ーー

この文庫では、清王朝についてを説明した1章から10章までが、まるごと削除されていたのです。

しかも序文の満洲国建国に関係ある人物が削除されていた。

ーー

岩波文庫版で、削除された部分は、次の通りです。

 第1章 1898年の変法運動
 第2章 変法運動の挫折
 第3章 反動と義和団運動
 第4章 光緒帝の晩年
 第5章 西太后
 第6章 1911年の革命
 第7章 大清皇帝の退位条件
 第8章 大清と洪憲朝
 第9章 張勲と王政復古(復辞)
 第10章 松樹老人(張勲)の自伝
 第16章 王政復古派の希望と夢
 
ざっとみただけでも、義和団、西太后、1911革命、張勲などなど、以後の歴史を決定づけた重要な部分であることがわかります。
 
ーー
 
これに、渡辺昇一さんが怒って、多くの訳者に参加してもらい、新たに出版したのが、『紫禁城の黄昏―完訳(上下)』(祥伝社)です。

手元にあるのは、単行本の本の方なので、以下はその単行本の方の帯と前書きです。

ーー

「東京裁判」と「岩波文庫」が封殺した歴史の真実!
清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)のイギリス人家庭教師による歴史の証言。
映画「ラストエンペラー」の原作にして、
戦前のChinaと満洲、そして日本との関係を知る第一級資料、待望の完全訳。

上巻では、原著全26章のうち、第一章から第十四章までを収録。
うち第一章から第十章までの邦訳は、岩波文庫版未収録。

近代化を唱える康有為(こうゆうい)の運動が失敗に終わり、西太后が実権を掌握すると改革派の光緒帝を幽閉し、反動政策を推し進める。
だが、ついに革命を誘発し清朝は滅亡。
 
即位して間もない少年皇帝・溥儀は、曖昧な条件の下、そのまま紫禁城に住み続けることになった。
 
そんな中「帝師」の要請を受けた著者は、日々皇帝に接し、唯一の外国人として紫禁城の内側をつぶさに見聞する機会を得る。
 
清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の家庭教師として、皇帝の人となり、紫禁城の内幕、満洲問題と日本との関係を、内側からつぶさに観察したイギリス人による貴重この上ない歴史の証言。
 
原著は1934年刊行。
ーー
 
「紫禁城の黄昏が極東軍事裁判に証拠書類として採用されていたら、あのような裁判は成立しなかったであろう。こういうだけで、本書の価値を知るには十分である。もちろん、何が何でも日本を悪者に仕立て上げたかった東京裁判所は、本書を証拠資料として採用せず、却下した」(渡辺昇一)

ーー

満洲族は、漢族とは言葉も文字も習俗もまるで違います。
そして満州は、万里の長城の北にある土地です。
そもそも、万里の長城から北は、Chinese(漢族)の土地ではありません。
だからこそ万里の長城も築かれたのです。
 
ーー
 
満洲国というのは、満州から出てChinaの覇権を握っていた清朝政府が、本来の自分たちの土地に満洲民族の帝国を復活させたい、わば満人の満人による満人のための国家です。
 
その満州人国家をつくるに際して、世界は一家、人類はみな平等という八紘一宇の精神を持つ日本が、建国のための指導をしましたが、巷間言われる「支配」と、「指導」では、その意味合いはまるで異なります。
 
日本が当時行ったのは、あくまでも「指導」です。

ーー

満洲の老人たちは、いまでも「われわれにも自分たちの国があったんだ」と涙を流します。
しかしもう戻れない。
 
満洲国の血筋自体が消されてしまったからです。
ーー
 
歴史は繰り返すといいます。
 
このままいけば、日本は、ウイグルや満州のようになってしまいかねません。
 
韓国だって同じです。
 
調子に乗って日本叩きに邁進していると、イの一番に吸収され、粛正されるのは、韓国です。
 
在日コリアンにしても、自分たちの利権ばかりを主張し、日本を貶めることばかりしていたら、結果、Chinaに呑みこまれ、すべてを失うのです。

ーー

終戦直後の台湾で、「日本という犬が去って、Chinaという同胞がやってくるのだ」と、国民党兵士を喜こんで迎えた人々がいました。
 
彼らは国民党が上陸する港に集まり、爆竹を鳴らして拍手で迎えました。
 
ーー
 
ところが船から降りてきた国民党兵士は、服装もデタラメ、靴さえ履いていない者がいる。
 
体中に、鍋や釜、貴金属やらの財産をくくりつけ、中には血のついたピアスを胸にぶら下げている者もいました。
 
ついさっきどこかの女性の耳からひきちぎってきたものに違いありません。
 
そして拍手をもって迎え入れたChineseたちは、台湾の町中で略奪の限りを尽くし、女とみれば手当たり次第強姦したのです。
 
ーー
 
台湾の市民は、その行為に抗議して10万人規模のデモを起こしました。
 
けれど、時すでに遅し。
 
国民党は、台北の市庁舎の屋上に機関銃を据え付けると、これを台湾の市民に向かって乱射しました。
 
市民の犠牲者は、3万人にものぼりました。

ーー

満州も同じです。
 
満州国時代の新京は、実に清潔で平和で文化的な街でした。

戦後、Chineseが乱入しました。

日本人の共産党員が手引きして、日本人女性や親日満人に対し、強姦・殺害を繰り返しました。

街も文化も、人々の生活も、破壊された。

ーー

日本は世界の良心です。
 
その日本を守るのは、そして子や孫の時代に、素晴らしい日本を残すのは、私たちの世代に課せられた最大の課題です。

2018年1月13日 (土)

神々とご祖先と、今生きている先輩たち、自分たち、後輩たちみんなが、天皇のもと、ひとつになって、より良い未来を築こうとしてきた

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集
 
自分(ねず)のやっていることは、ジグソーパズルのピースを集めているような気がします。
 
戦後これまでの間に、壊れてバラバラになってしまったものの断片を集めて、原形を再現しようとしている。
 
日本の原型はどのようなものだったのか。
 
ーー
 
それは、独特の統治方法であり、ひとことでいえば「シラス(知らす、Shirasu)」です。
 
神々とご祖先と、今生きている先輩たち、自分たち、後輩たちみんなが、天皇のもと、ひとつになって、より良い未来を築こうとしてきた。
 
それが日本の原型です。
 
ーー
 
日本は、長い歴史の中で、全体として、良心が勝ることができた国だと思うのです。
 
なぜそれができたかといえば、それはひとえに天皇の御存在あってのことです。
 
日本には権力よりも上位の天皇という存在があり、その天皇によって、すべての民衆が「おほみたから」とされてきた国であった。
 
これによって権力者は、民の私有者ではなく、民を預かる立場に置かれた。
 
こうして民と権力者が、対立関係ではなく、一体となって未来を担う関係になった。
 
ーー
 
日本が和の国だというのは、「きみ、とみ、たみ」の三者が、いわば鼎立関係になっていたことに由来するのです。
 
ーー
 
昨今、天皇をたんなる機関(エンジン)と見立てたり、一種の仕組み(天皇制)と見立てたりすることで、置き換えが可能だと主張する人たちがいます。
 
あるいは天皇周辺の醜聞をあげつらうことで陛下の権威を下げることに血眼になっている人たちもいます。
 
その人達は何が目的なのでしょうか。
 
ーー
 
日本では、天皇の存在が、権力者から民衆を自由にしてきたのです。
 
天皇の存在を否定することは、権力者が「民衆を奴隷にする(私物化)」ことを許す行為であり、悪意としか言いようがありません。
 
支那・朝鮮では、権力者が、民衆を私物化し、民衆から搾取する行為を当然と考えて、実行していたのです。
 
ーー
 
本来、権力と責任は一体であるべきものです。
 
ところが、権力が最上位にあれば、誰もその権力者の責任を追求することができない。
 
権力者は、反対者を粛清して頬かむりできるからです。
 
(支那・朝鮮・ロシアでは現在もそうなっている)
 
ーー
 
責任抜きで権力行使ができる状態を暴政と呼んでいるのです。
 
ところが、現在の日本には、堂々と国益を損ねる政治家が存在している。
 
またメディアの多くが、日本の名誉を棄損し、国益を外国に売るような行為をしているのです。
 
ーー
 
それに対して、誰も責任を問うことができない。
 
ーー
 
これはつまり、我々日本人が、無責任政治、無責任報道を容認しているということです。
 
そのような社会においては、誰もが自分の幸せを守ることだけで精一杯になります。
 
子供たちの未来どころではなくなっている。
 
ーー
 
一人の人間が、人生のすべてをかけたとしても、できることはごくわずかです。
 
けれど、その「わずか」を、5年続けたら、10年続けたら、20年続けたら。
 
一日は24時間に1秒足らないのだそうです
 
その足らない1秒が4年蓄積されると、うるう年の24時間になります。
 
まさにチリも積もれば山となるです。
 
ーー
 
東日本大震災は、本来の日本人の凄みをあらためて思い返させてくれた地震となりました。
 
困ったときに互いに助け合い、利他の心を持って整然と行動する日本人の姿が、ネットで世界の人々に報道されました。
 
それは、日本人の原型が出現したものでありました。
 
日本人のDNAに染み付いた日本人本来の姿でした。
 
ーー
 
では、どうしてそのような行動が、日本人のDNAとなったのか。
 
混乱した状況では、人々は信じられないような暴虐を行うものです。
 
それが日本では一切起こらなかった。
ーー
それは、長い歳月のうちに、日本人のDNAとなったといえるのではないでしょうか。
それではなぜ、日本人にそのような文化性が染み付いたのか。
それは日本に天皇という存在があったからです。
 
ーー
 
天皇の存在は、民衆に権力者からの自由を保障したのです。
 
権力者はむしろ民衆を天皇の「おほみたから」として保護しなければならなかった。
 
民こそが「おほみたから」なのだという、おそらく人類の理想ともいえるのが日本の原型なのです。
 
我々の父祖らは、このような素晴らしい文化を持つ国を護り通したいと願い、外地でも勇敢に戦ってくれた。
 
ーー
 
戦後70年以上を経過したいまでも、そうした文化の断片が日本の日常生活の中に散らばっている。
 
私(ねず)はそれらの断片を集めて原型を再現しようとしているのです。
 
ーー
 
もっとも、私が再現したものが、確実に正しいとは言えません。
 
中には、「そんなはずはないだろう」と批判されます。
 
たとえば、百人一首の歌についても、当時の貴族たちは、政務ではなく、性夢に励んでいたかのように解説しています。
 
素性法師の歌などはホモの歌にされている。
 
ーー
 
それで本当はどうなのかといろいろ調べてみると、素性法師は敵味方双方の兵を悼む心情を読まれていたのです。
 
古事記や日本書紀も、いまや著者の意図とは離れた解釈がなされていた。
 
それで私(ねず)は失われた原型を復元するために残された断片を集める作業をしているのです。
 
ーー
 
在日のことにもすこし触れて置かなければなりません。
 
ーー
 
彼らが戦後の日本でのしあがったのは、38度線という東西世界の境界線があったからです。
 
世界戦2後、西側の自由主義諸国とその東側の共産主義諸国が冷戦で対峙しました。
 
この時朝鮮半島では、西側の南と東側の北が対峙することになった。
 
この際南朝鮮の経済成長が北(東側)に対する西側の宣伝として使われた。
 
東西冷戦が、南朝鮮の経済成長の理由だったのです。
 
それは同時に、日本における在日Koreanの横暴をも許すものとなった。
 
ーー
 
南朝鮮の経済発展は、世界の秩序維持に、不可欠の要素とされてきた。
 
しかし今や国際情勢はすっかり変わったのです。
 
彼らを助けることは、国際社会の中で、もはや百害あって一利なしとされるようになった。
 
つまり、南朝鮮は国際社会から見放されるということです。
 
そうなると日本国内に限らず、世界中で朝鮮人Koreanは、これまでのような横暴が通用しなくなります。
 
犯罪は犯罪とされるようになるのです。
 
今年はそのことがあきらかになります。

2018年1月12日 (金)

朝鮮人を相手の約束なれば、最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ

ーー以下「日本が行った史上最悪の植民地支配」より抜粋編集

百数十年前の福澤諭吉は次のように警告している。

渡辺利夫著「士魂」海竜社より引用。

ーー

本来、朝鮮人は、数百年来儒教の中毒症に陥りたる人民にして常に道徳仁義を口にしながらその衷心の腐敗醜穢ほとんど名状すべからず。

上下一般、共に偽君子の巣窟にして、一人として信をおくに足るものなきは、我が輩が年来の経験に徴するも明白なり。

されば斯かる国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼らの持ち前にして毫も意に介することなし。

既に従来の国交際上にも、しばしば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束なれば、最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ。

ーーと。

明治維新後に我が国が遭遇した朝鮮は、当時も今も何ら変わっていない。

日清・日露の戦争も朝鮮の事情に起因している。

ーー

そして日本は安全保障上朝鮮を併合するのだが、それについて朝鮮人らは、世界史に例を見ない残虐非道な植民地支配であったと教育されている。

残虐非道を、従軍慰安婦や性奴隷を捏造して世界中に広告宣伝しているのだ。

ーー

一方日本人は、以下のように主張して、あれは植民地支配などではなく、併合であり、朝鮮人を自国民扱いしたと主張する。

1.朝鮮国民を飢餓から救った
2.朝鮮国民を内乱から救った
3.朝鮮国民に教育を実施し、就学率を61%まで高めた
4.耕地面積を246万町から449万町まで拡大した
5.鉄道を3827km引いた

6.禿山に5億9千万本の植林を行った
7.反あたりの収穫量を、0.49石から1.49石まで増加させた
8.平均寿命を24歳から56歳にひきあげた
9.独立国家にするために支援した
10.朝鮮文字を広めた

11.人口を1313万人から2553万人に増加させた
12.大規模インフラ整備を行った
13.日本国として対等に接した
14.朝鮮人に希望を持たせた
15.2000年以上に渡って続いていた支那の属国から独立させた

ーー

朝鮮人の金持ちはことごとく日本と関係を持っている人たちであり、戦後、反日によって利権を得た人々なのだ。

彼らは、事実などどうでもよいのだ。

日本人を一方的に非難することで、日本人に自責の念を抱かせ、自分たちの利権を維持しようとしているのである。

ーー

それが日本による世界史上最悪の植民地支配という表現になった。

ーー

というのも、西洋人と同様、支那・朝鮮人には支配被支配という関係しか考えられないからだ。

日本人が、日本の植民地支配は、西洋人や支那・朝鮮人のそれとは違うと主張しても、彼らには理解できないのである。

ただ日本人をあしざまに非難することを繰り返すばかりなのである。

ーー

こんな連中には関与しないことに限るのだが、そうすると、もとの蛮族に先祖返りしてしまう。

つまり合理性、客観性という近代精神の欠如のために、何時までたっても自由・民主政治・法治が機能しない。

残念なことだが、共産支那や北朝鮮のような古代の政治体制に戻ってしまう。

それゆえ関与しているのだが、もう日本人多くが彼らとの関わりを無駄だと思うようになっている。

2018年1月11日 (木)

彼らこそ植民地主義の受益者で、祖国と同胞を侮蔑する張本人である

ーー以下「黒木頼景ブログ」より抜粋編集

戦勝国たる米英は、敗戦国の日・独に、「極悪人」の烙印を押して悦に入っていた。

しかし、今やその「極悪人」の烙印が自分達に向けられだして慌てふためいている。

アメリカ人は年中戦争を行っている。

イギリス人は、世界各地の人々を植民地支配してきた。

つまり、米英人などは、「極悪人」中の「極悪人」なのだ。

ーー

今回、オックスフォード大学で欽定講座担当教授を務めるナイジェル・ビガー(Nigel Biggar)氏が、多くの学生から「頑固者(bigot)」と非難されてしまった。

彼はクライスト・チャーチ大聖堂の参事会員で、オックスフォード大学に設置された「マクドナルド神学・倫理・公事センター」の所長も務めている。

ーー

彼は「タイム」紙に「我が植民史は決して恥ずべきものではない」という小論を投稿したのだ。

(Nigel Biggar, "Don't feel guilty about our colonial history, The Times, 30 November 2017)

この小論で、彼は、英国が犯した間違いや罪はもちろんあるが、それとは別に地元民への利益や恩恵もあったはずだ、と述べたのである。

副題に「今や帝國を持った事への謝罪が強制されているが、それを恥じるばかりに我々が世界の諸問題に取り組まない、ということはない」と。

しかし植民地支配を受けた側からすると、「帝國を持った事」は“絶対悪”なのだ。

ーー

ビガー教授は、「過去100年間、西歐の植民地主義は悪名を冠してきた。でも、今やこの議論に疑問を投げかけてもいい頃だ」と書いた。

彼は文章の中に、ポートランド州立大学で教授を務めるブルース・ギリー(Bruce Gilley)教授の論文を引用している。

ーー

このギリー教授は『第三世界季刊誌』という学術雑誌に「植民地主義の事例」という論文を発表した。

(Bruce Gilley, "The Case for Colonialism", Third World Quarterly, Vol. 38, September Issue, 2017)

彼は固定概念化した西歐の植民地支配を再検討し、その功罪を具体例を挙げながら論述したのである。

ところが、案の定というか、読者からの猛烈な抗議が巻き起きたのだった。

抗議者たちは激昂し、ギリー教授を「白人至上主義(white supremacy)」を助長していると糾弾し、1万6千人の署名を集めて、問題となった論文の撤回を求めた。

印度人愛国者からは殺すとの脅迫を受け、編集者は教授の論文を引っ込めてしまった。

そして、編集部を構成する34人のうち15名が辞任する事態となった。

ーー

例えば、ギニア・ビサウ(Guinea-Bissau)の事例である。

この国はポルトガルの植民地であった。

奴隷貿易の中継地として知られていたが、1956年頃、PAIGC(ギニア・カーボ・ヴェルデ独立アフリカ党)が独立運動を展開し、武力闘争を経て1975年に独立した。

この反植民地闘争を指揮したのは、アミルカー・カブラル(Amilcar Cabral)という容共の黒人指導者だ。

1963年に叛乱軍を組織したカブラルは、ポルトガル人の手から人民を解放するためには、植民地が築き上げたもの総てを破壊し、灰にしなければならぬと主張した。

ーー

しかし、ゲリラ兵を率いるためには、莫大な資金がいるはずなのである。

彼の背後にはソ連の対外工作員が居たのだった。

当時、西側の言論・メディアには大勢のソ連工作員が入り込んでいた。

彼等は、ソ連国内で大虐殺(餓死)が実行されていても報道しなかった。

そしてひたすら、西側諸国が悪いと宣伝しまくっていたのだった。

ーー

西側メディアは、ソ連が、こうした共産テロ組織に、堂々と軍事支援を与えていることも報道しなかった。

ーー

例えば、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラもソ連工作員が作り上げた英雄なのだ。

ソ連工作員にとっては、彼は、勢力拡大を手伝ってくれる「便利な馬鹿(useful idiots)」の一人であった。

マンデラの実像は、何ら行政手腕を持たない不平黒人に過ぎなかったのだ。

彼は、犯罪を増加させ社会秩序を乱しただけだ。

そして黒人たちは、自由は得たものの、一層の貧困に曝されてしまったのだった。

ーー

アフリカ黒人にとって、「独立」という言葉は甘美な響きを持つ。

が、政権を手に入れただけでは、豊かには成れないのである。

と言うのもギニア・ビサウは独立して、1980年までに米の収穫量が50%以上も減少してしまったのだ。

ポルトガル統治時代、米の生産高は18万2千トンもあった。

「独立」後のそれは、8万トンに激減したのである。

ーー

アフリカの悲劇はこれで終わらなかった。

「英雄」となったアミルカー・カブラルは1973年に暗殺されてしまう。

その後を異母兄弟のルイス・カブラル(Luís Cabral)が、ギニア・ビサウの初代大統領となる。

彼は恐らくソ連工作員にそそのかされたのだろうが、「秘密警察」に反対派の500名を粛清させた。

しかし、1980年、軍人のジョアン・ヴィエラ(João Bernardo Vieira)がクーデタを起こし、大統領のルイスはキューバへ亡命する破目になる。

ーー

新政権は、前大統領の悪事を公表した。

そして1981の調査により、約500名にも上る反体制派の遺体が地中から見つかった。

カブラル政権で難民となり、隣のセネガルへ逃れた数は人口の約1割にも及んだ。

カブラルが君臨した間に、役人の数がポルトガル時代の10倍となり、国富を蝕(むしば)んだ。

今も、米の生産高は恢復(かいふく)せず、ポルトガルが支配した時の3分の1程度だ。

ーー

共産主義者らは、この惨状を植民地の悪しき遺産の“せい”だと広報宣伝に努めている。

ーー

ポルトガル人に支配されていた頃の方が豊かで、内戦で死ぬこともなかった。

「独立」はアフリカ人を決して豊かにはしなかったのだ。

ブルース・ギリー教授は、この現実を見て、植民地政策が実際にはアフリカを豊かにしたと分析したのだ。

ーー

ナイジェル・ビガー教授は、ギリー教授に同調して、西歐の植民地支配が現地の人々に秩序と平和をもたらしたと評価したのであった。

そして次のように書いている。

ーー

政治秩序というのは、胸がゾクゾクするような刺戟的価値を有さないかも知れぬが、それ無しでは如何なる善いことも成就しない。

だからこそ、現地人は入植者が支配する地域から逃れず、むしろ時折、その地へと移り住むことを選ぶのだろう。

北京の共産主義者が統治し始めた頃や、文化大革命が起こった時、何百万人もの支那人が香港に逃れたのはその証拠である。

西歐人の植民地支配に人民からの正統性を与えたのは、民衆による選挙ではなく、この支配体制がもたらした安定性と法の支配であった。

ーーと。

日本の朝鮮統治は更に凄くて、日本政府は惜しみなく巨額の税金を投入し、日本の乞食より貧しい朝鮮を近代国家に変えてしまった。

「絶望」と「貧困」という遺産しか持たぬ朝鮮人は、天使よりも気前の良い日本人に統治され、朝鮮史上「初」の黄金時代を経験した。

彼らは単なる「人間」に昇格しただけではなく、畏れ多くも「日本国民」にまで出世したのだ。

ーー

ナイジェル・ビガー教授は、過去の植民地政策を断罪するイギリス人や西歐人学者、ならびに遺恨を抱く有色人種に叛旗を翻した。

彼は植民地政策の長所にも言及したのである。

つまり、西歐人のアジア・アフリカ支配が全て抑圧的で、冷酷な搾取ばかりという歴史観は間違っている、と。

もし、このような罪悪史観を受け容れるなら、イギリス人は恣意的な誘導操作に対して脆弱となり、海外奉仕への最善策は「ほったらかし」になってしまうだろう、とビガー教授は警告する。

ーー

実際、アフリカ人は西歐人の「支援」を要請し、それなくしては二進(にっち)も三進(さっち)も行かないのである。

ーー

しかし、旧植民地からの移民、有色人種の子孫たちは、こぞってビガー教授に反撥した。

彼等は、ビガー教授の見解を白人の傲慢と見なし、人種差別の表れであると糾弾したのだ。

ーー

こうした場面を普通の日本人が見れば、「何んだ、みっともない。悔しかったら祖国を立派にして見返してやれ !」と思うだろう。

そもそも、イギリス人の植民地支配が素晴らしかったから、彼らはわざわざ英国にやって来たんじゃないのか。

彼らこそ植民地主義の受益者で、祖国と同胞を侮蔑する張本人なのである。

2018年1月10日 (水)

今まで人間がしてきた仕事をロボットがしてくれるようになる

ーー以下「株式日記toraさんの意見」より抜粋編集

例えば我々が認識する外界というものーが、脳の作用の一つだとすると、花を見て「美しい」と思う感情は、どのようにして得られたのだろうか。

それが学習によって得られたものでないとすれば、私たちの生命が地上に生まれた瞬間にも、私たちの脳は、花を見て美しいと感じたはずなのです。

おそらくその感情は、花を美しいと人間の多数が感じるように「進化」した、ということかもしれません。

つまり、感情とは、天与のものではなく、世代を超えて遺伝子に刻まれた「学習」と言えるかもしれません。

ーー

感情というとても人間的なものが、「学習」によって得られたものだとすれば、学習つまり記憶することの得意なコンピュータには勝てないことに成ります。

ーー

およそ経済合理性を求める分野において、人間がコンピューターに勝る分野などというものはないかもしれません。

しかし高性能なコンピューターが安価に作れるようになれば、「人間が従来、人間らしい・人間にしかできないと思っていた領域」にコンピューターが進出してくることでしょう。

それは、自分で判断ができるような、人工知能という形になるでしょう。

ーー

例えば、膨大な数の条文や判例を覚えて新しい判断を下す、判事や弁護士のような仕事。

膨大な臨床資料から、病気を診断し、治療法を見出すような仕事。

あるいは、膨大な身体画像から、病気を診断し、治療法を特定する仕事。

これらの仕事は、人間にとっては、長い学習期間が必要であり、社会ではその知的行為に高い代価が支払われているのです。

ーー

しかしこれらの仕事は、費用が高いが故に真っ先に人工知能に代替されるでしょう。

ーー

一方で、人間が、人間によってもてなされたいという欲求を人工知能は満たすことができない。

つまり接客業などの仕事は人間がする必要があるのです。

人間が人間による称賛を糧に生きるような、いわば人工知能で代替できない部分にこそ、人がこれから生きるべき部分があると言えましょう。

ーー

つまり、人工知能の出現が、人とは何かという問題に人を直面させているということに成ります。

ーー

理由もなく家族や他人を愛したり、逆に嫌ったり、無意味で生産性のない趣味に興じたり、機械で作れるものよりも手で作られたものを好んだり。

人間とは、およそ合理的でない行動を取る生き物です。

ーー

しかし、そうして私たち個々人がそれぞれの魂の命じるままに振る舞っていると思っている行動が、本当は遺伝子の学習によるものかもしれない。

膨大な記憶を持つ人工知能で容易に代替できることなのかもしれない。

あるいは世論(ソーシャル・ネットワーク)の中で、意識することなく刷り込まれているものかもしれない。

私たちは、そうした不安とともに生きる時代に足を踏み入れたのだと思います。

ーー

人間とは何か。

この、経済とは無縁だと思われていた問いが、いまや逆に人の経済活動を変容さす可能性が出てきているのです。

ーー

今まで人間がしてきた仕事をロボットがしてくれるようになる。

ロボットだから経費が、確実に計算できる。

人を雇う方が利益が多いのであれば、人を雇えばよい。

ーー

膨大な記憶を必要とし、高賃金の職業は、真っ先に人工知能に置き換えられていくでしょう。

ーー

金融の世界では、これまで経験豊かなトレーダーが高額で雇われていた。

それが今や、人口知能ロボットに置き換わっている。

なにしろ一秒間に数千回も売買を繰り返すことなど人には出来ないからです。

ーー

その為にグローバル企業は世界中から人材を集めて儲かる方程式を研究させ、人工知能にその方程式を実行させている。

しかもその内容は絶対に公開されることはないのです。

今も休むことなく人工知能ロボットが売買を繰り返して膨大な利益を上げている。

ーー

つまりこれからの世界は、人間とは何かという問いに、うまく答えを出した人たちだけが生き残れるような世界になっていくということなのです。

«人生には出会いとせつない別れがつきものなのだ

2018年1月
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