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2018年5月24日 (木)

日本は、新石器時代から続く血脈がずっと保持された国である

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

戦後、占領軍の占領政策に協力することで、敗戦利得者となった人たちによって、日本の文化の破壊が徐々に進められてきました。

現在ネット上で在日・反日勢力と呼ばれている敗戦利得者らは、裏社会から占領を始め表舞台に進出し、日本文化を次々と破壊しています。

NHKの時代劇を見るとその中身が以前の時代劇とは変質していることでよくわかります。

ーー

占領軍の旧体制破壊政策に協力した人たちは、漢字表記、仮名使いも変えてしまった。

占領は1952(昭和27)年には解かれていますが、それがいまでもまだ当用漢字が用いられ、文章の表記も現代仮名使いになっています。

このため多くの人は、ほんの70年前に書かれた文書の意味が読み取りにくくなった。

また旧漢字が持っていた意味も失われてしまった。

ーー

このように文化が失われることで、たとえばひとつの歴史上の事件等についても、その解釈がきわめて表層的になってしまっています。

ーー

その良い例が、赤穂浪士討ち入りの理由です。

実際には将軍第一か、尊王かという思想上の対立であったのです。

しかしそれは当時の社会では表立っては「言えない」事柄であった。

それが、年寄りにイジメられた若殿様が、キレて殿中で刃傷沙汰を起こしたという話にすり替えられた。

ーー

表立ってはいえないから、話を差し替えた、でも誰の目にも少し考えたら分かるような仕掛けがなされた。

察するということが、日本の文化であり、だから芸事は二度おいしいといわれる。

劇場で楽しみ、帰りの蕎麦屋で親父からその背景を教えてもらって二度納得する。

だから二度おいしい。

ーー

そういうなぞかけを読み解くことがそもそも「忖度(そんたく、相手の気持ちを察する)」の意味なのです。

ーー

民衆政治democracyも、日本人なら民を「おほみたから」とする政治だと理解する。

それが支那・朝鮮文化だと民衆の目をつぶしてものを見えなくして主人が贅沢をするという意味になる。

(民という字は両目をつぶされた人の意)

ーー

あるいは一時的に大儲けをするアメリカンドリームが、あたかも素晴らしいことのように宣伝される。

そうではなくて、本当に大切なことは、みんなが豊かに安心して安全に暮らしていけるようにしていくことなです。

在日・反日勢力の朝鮮文化にはそれがないので、その重要なことが忘れられてしまう。

ーー

神話ひとつをとっても、そもそも神話という言葉自体が、幕末に英語の「Myth」の訳として当てられた造語です。

ギリシャ神話やケルト神話は根拠のない作り話です。

しかし我が国で伝えられた神語(かむかたり)は、我々と直接血のつながった祖先の物語なのです。

神語(かむかたり)が神話にされたのも戦後に記紀の「神代の巻」を「なかったこと」にするためだった。

ーー

我々はそういう破壊された「日本文化もどき」の中で、そうと気付かずに生活している。

「このままでは日本文化は破壊され消えてしまう」

しかし我々の文化は、その程度の浅いものではありません。

在日・反日勢力に消されるような柔(やわ)なものではないのです。

しかしこのまま放置していればさすがの日本文化も消滅してしまうことでしょう。

ーー

その日本文化は、これまで破壊され続けて、いまやその片鱗をとどめるのみになっています。

けれど、失われてはいない。

我が国の文化は、たった70年やそこいらで破壊され尽くすほど浅いものではないのです。

つまり我々はまだ取り戻すことができるところにいるのです。

ーー

ただし、そこにあるのは、ジグソーパズルの切片のような破片だけです。

その破片を組み合わせて、もういちど日本文化という絵柄を完成させていく。

それがいま、必要なことだと思います。

それは、私たち日本人の価値観の根幹を取り戻していくという作業です。

ーー

昔、武士が街中で町人の与太者に絡まれるということがありました。

武士は剣術の修行をしており、腰に二本の刀を差しています。

武士は絡んできた相手を無礼討ちにできる。

さりとてくだらない挑発に乗って喧嘩して人を斬ったとなれば、お家の恥です。

もし刀を抜いていながら、逆に相手に斬られたとなれば、これまた武門の恥です。

それはお家断絶を意味します。

ーー

では、からまれた武士はどのようにしたでしょうか。

絡むような町人は無礼討ちを覚悟したとても度胸の据わったヤクザです。

他の人に、もっとひどく絡んで、人を困らせているに違いない。

武士の役割は、そのような挑発をするヤクザが出ないように、世を正すことにあるのです。

そもそも絡まれるようなところにいたこと自体が不徳です。

絡まれてもじっと我慢して、そのようなヤクザがどうしたら出てこれない世にできるかを考えかつ実行する。

それが武士の役割です。

ーー

絡まれたから反応するのではないのです。

絡まれたことと、反応(行動)の間に、価値観という判断の物差しがあるのです。

ーー

日本人が日本人であることを取り戻す、つまり日本人としての価値観を明確に打ち立てる。

これができなければおそらく在日・反日勢力に日本文化が破壊され続けている現状は変わらない。

逆に、日本人が日本人としての価値観を復活させていけば、必ず日本文化はよみがえる。

ーー

それは、おそらく大きな回り道です。

けれど、いちばん近道であると思っています。

では、その価値観とは何か。

先祖伝来のものです。

ーー

「よろこびあふれる楽しい国(豈国(アニクニ))にする」 それは日本書紀に書いてあることです。

決してむつかしいことではない。

けれど豈国こそがあらゆる価値判断の物差しとなることです。

ーー

よろこびあふれる楽しい国にするための大事なことは何なのか。

憲法改正論議の前に、そもそもどういう国に日本をしたいのかを考えることの方が重要なのです。

それは百年経っても千年経っても色あせないことを考えることになります。

ーー

背の高い人が、ドアを通り抜けるときには、腰をちょっとかがめなければなりません。

そうしなければ、おでこを鴨居にぶつけてしまいます。

それを、腰をかがめないで何度もおでこをぶつけるようでは、見ている人は、「あれは馬鹿だ」と思うことでしょう。

ーー

つまり同じ行動からは、同じ結果しか生まれません。

目標を達成するためには、試行錯誤を経て考え抜かれた行動が必要なのです。

工夫された行動で有れば、どんなに苦労することがあっても、必ず最後には勝てるはずです。

本質が正しく、手段方法にも間違いがないから勝つのです。

ーー

ペルーのマチュピチュ遺跡は、1911年に西洋人によって発見されるまで、その存在すら知られていなかった。

高山の山頂から麓に建てられたこの遺跡は、調べてみると500年前までは、実際に人々がそこに住み、使われていたことがわかった。

いま、その石組みや建物跡だけが残されている。

しかしそこでどのような社会生活が営まれ、なぜ放棄されたのかを、現代において知る人はいません。

文化が「失われた」からなのです。

ーー

500年前といえば、日本では室町時代です。

日本では、その時代に築かれた城や町はいまもちゃんと残っていますし、当時の記録(歴史)もちゃんと残っています。

当時の日本人が、いまの日本人の直接の祖先であったこと(つまり血がつながっていること)を疑う人はまずいないと思います。

それどころか、1000年前の日本文化であっても、我が国ではそれなりにちゃんと継承されています。

その頃に創建された寺社は、いまなおその多くが健在です。

ーー

歴史(記録)が現在につながり、文化が継続しているのです。

ーー

しかし、上に述べたペルーしかり、北米のインデアンしかり、あるいはアフリカの王朝しかり、東アジア諸国の王朝しかり、

いまではそこでどのような統治がなされ、どのような文化が営まれていたのかさえ、まったくわからない。

これらの事実が示すことは、文化は滅び消失するということです。

ーー

かつて半島の南部、今のSouth Koreaの南半分のあたりは、倭国、つまり日本の直轄地でした。

そこには倭人(日本人)たちが住み、倭国(日本)の文化が営まれていました。

けれど新羅によって征服され、そこにあった日本人たちの社会も文化も破壊されました。

明治以後、35年間にわたって半島は日本の領土となりましたが、それでもそこに住む人々に倭人(日本人)の文化が戻ることはありませんでした。

建物などは、設計図と技術さえ残っていれば再建が可能ですし、模倣も可能です。

しかし文化(思想・生活習慣)は失われれば二度と復活しない。

ーー

それだけに、日本人が古くて長い歴史を通じて築いてきた文化は、私たちの世代で決して見失ってはいけないものだと思うのです。

しかもその文化は、実は3万年前にはじまる磨製石器の時代から、1万7千年前に始まる縄文時代、

その後の弥生、大和、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、明治、大正、昭和と培われてきた。

世界最古かつ最長の・記録が残されている文化であり、いわば人類の宝ともいえる文化なのです。

ーー

ひとくちに3万年といいますが、紀元1年から、まだたったの2000年しか経っていない。

3万年というのがどれだけ長い期間か。

そんな途方もない時の経過の中で、おそらくは私たちの祖先は、様々な試行錯誤を行ってきたのではないかと思います。

ーー

それは、一部の人が贅沢の限りをつくして、人々から収奪を繰り返すような社会であったり、

強いものがひたすら弱いものから奪う文化であったり、

人々が道徳性を失って欲望のままに生きるような時代もあったかもしれません。

そうした様々な試行錯誤を経て、言語、習慣、価値観、道徳観を育くみ、現在の日本文化につながっている。

ーー

現在の日本は、誰もが豊かで安全で安心して暮らすことができる。

そして誰もが、愛と喜びと幸せと美しさを追い求めていくことができるのです。

なぜそのようにいえるかといえば、日本は、新石器時代から続く血脈がずっと保持された国であるからです。

ーー

生きている間に自分勝手な欲望を満たすことだけだけが人生のすべてと考える文化を持った国は、歴史上も、現代においても、幾多の例があります。

しかしそのような国においては、貧しい人たちは人間性さえも否定される人生しかありません。

ーー

そうした世界にあって、日本は、末端で生きる人々こそが「おほみたから」とする文化が営まれてきたのです。

これはすごいことだと思います。

ーー

築いてきた日本人の高い精神性を伴った文化は、片鱗でも残っていれば、復活の可能性はあります。

同じものにはならないかもしれませんが、再構築して発展させることは可能です。

しかし完膚なきまでに打ち砕かれたら、二度と復活することはできません。

ーー

世界各地に散らばる古代遺跡は、文化がまるでガラス細工のようにもろいことを示しているのです。

だからこそ、大事に丁寧に日本文化を掘り起こす必要があるのです。

ーー

戦後70年間日本は、世界に例がないほどの平和(戦争のない状態)を作り上げてきました。

このことは、戦前の人たちからみても、素晴らしいことであったことと思います。

我々が目指すべき次の段階は、「よろこびあふれる楽しい国(豈国)」を取り戻すことです。

私たち日本人の文化はそのような希望が持てるものだからです。

2018年5月23日 (水)

日本語には、他の言語にはない、不思議なところがある

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということを書いてみたいと思います。

日本語には擬声語がとても多いのです。

たとえば わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、

ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキなどなど、音を真似たもの、

あるいは、おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを表現する言葉です。

ーー

擬声語(オノマトペ(仏))は、例えば犬の鳴き声にしても、国の言語ごとに表現がまったく異なっているのをご存じでありましょう。

そのほかに、例えばキスは、それをする際の音から日本語では「CHU」です。

英語では「MWAH」、北京語では「BOH」です。

つまり言語によって擬声語は、まったく異なる。

ーー

ということは、各言語圏では、音は違って聞こえているということです。

日本語の擬声語(オノマトペ)が、北京語や朝鮮語とはまったく異なっている。

これからすると日本語は大陸や半島とは全く別の独自の言語であることがわかります。

ーー

しかも日本語には、この擬声語(オノマトペ)が、他の国の言語と比べて著(いちじる)しく多い。

その数、なんと5千語です。

日本語の単語数は、たとえば『日本国語大辞典』の収録単語数が50万語です。

このことは、日本語の1%、およそ100語にひとつが擬声語(オノマトペ)であるということです。

しかもそれらは、日常的によく使われる言葉なのです。

ーー

早い話、今朝起きたとき、ご家族に「ぐっすり寝れた?」と聞く。

その「ぐっすり」というのが擬声語です。

しかし睡眠は「ぐっすり」などという音は立てません。

ではなぜ「ぐっすり」というのかというと、「ぐうぐう、すやすや」寝ているからです。

その「ぐうぐう+すやすや」が短縮されて「ぐっすり」です。

ーー

「ぐうぐう」も「すやすや」も、なんとなく、そのような音を立てているといわれれば、なんとなくそうかもしれないと思われるかもしれません。

では、つぎの表現はどうでしょうか。

風が「そよそよ」と吹く  
太陽が「かんかん」に照る  
白い雲が「ぽっかり」浮かぶ
星が「きらきら」光る 

風は「そよそよ」などという音をたてないし、太陽は「かんかん」なんてしゃべったりしません。

ーー

ではなぜ日本人は、このような擬声語を多用するのでしょうか。

風や太陽が立てる音ではなくて、我々が、風や太陽が立てる音として、そのように聞いているのです。

このことについて考古学者の小林達雄先生は、次のように述べておいでです。

「人々が、人と人との間で行う対話(コミュニケーション)のための言語活動と同じか」

「あるいはそれに近い状態(レベル)で自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』p.134)

ーー

つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。

ーー

だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。

なぜかといえば、それは日本人がカエルや虫たちと対話(コミュニケーション)して移ろい行く季節や美しくもはかない自然を感じてきたからです。

ーー

では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。

言語の発達には、集団生活の形成が欠かせません。

集団生活を営むには、言語が必要になります。

石器の登場と時期を同じにするとされているのです。

世界の磨製石器は、おおむね7千年前以降のものです。

ーー

中には2〜3万年前のものもあります。  

シベリアの2万年前のもの  
ロシア南西部の紀元前1万6000年前のもの  
オーストリア中部の2万9000年〜2万1500年前のもの

など、ほんの数例です。

ところがこれらは、異常に早過ぎる磨製石器であって、作成経緯等はすべて不明です。

そして、その後に起こるおよそ7千年前の磨製石器の時代(新石器時代)とは連続していないのです。

ーー

ところが日本の磨製石器は、3万年前の磨製石器だけが単独であるのではないのです。

昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、

また同じときに千葉県三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。

そして1万7千年前には縄文時代が始まるのですが、なんとものの見事に、その縄文時代の文化へと、磨製石器の時代が連続しているのです。

ーー

ちなみに長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、伊豆の神津島から運ばれてきた石です。

つまり当時の日本人は航海術に長(た)け海洋さえも自在に往来していたことも伺わせています。

ーー

こうしたことから、英国のJ・ラボックという考古学者は、

「日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千~三万年前に新石器時代を迎えていた」

と述べているのです。

ーー

言い方を変えると、これはつまり、日本は世界最古の文明を持っていたことが考古学上証明されている、ということです。

ーー

そして磨製石器の登場と言語の登場、そして集団生活を営むための神話の登場が重なるものであるならば、

日本語は、およそ3万年前には生まれ、そこから現代に至るまで、ずっと続いている世界的にも稀有な言語である、ということになります。

そしてそれが可能になったのは、日本人が殺し合いや、自然の征服を好まず、人と人、人と自然が調和することを好む民族であったからです。

ーー

というより、調和を好むという日本人の性質は、最低でも3万年という途方もない長期間のなかで、最終的に生き残ってきた性質である、ということができます。

ーー

おもしろいもので身勝手な文化、自分さえ良ければという文化は、一時的な成功を手に入れることができても、必ずやがて崩壊し、再起不能になってきた。

ところが調和を大切にする文化は、一時的にどん底に落とされても、必ずまた再生し復活するのです。

ーー

植物には一年草と多年草があります。

最近は品種の改良によって、どちらも美しい花を咲かせます。

しかし、もともとは一年草の多くは、だいたい派手な花を咲かせるのに対し、多年草の花は、わりと地味な花が多いです。

地味だけれど、ずっと咲き続けます。

まるで日本人そのもののようです。

ーー

日本人は、はっきりとわかっているだけでもおよそ3万年、ずっと自然と対話し共生する道を選んできました。

だから他の言語と比べ、日本語には擬声語(オノマトペ)が圧倒的に多いのです。

2018年5月22日 (火)

明智光秀は謀反人ではなく義挙をとげた悲劇の英雄ではないのか

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

呉座勇一『陰謀の日本中世史』(KADOKAWA)

本能寺の変はなぜ起こったのか。

明智光秀が天下取りの野望を抱いたからなのか。

たしかに光秀は、「ときはいま、天が下知る五月かな」と詠んだ。

その歌について、「とき」を「土岐源氏」と読み、土岐家再興がねらいだったと解釈されてきた。  

しかしこれは読み間違いであろう。

ーー

そもそも明智を「主殺し」と決めつけたのは秀吉である。

そのほうが光秀を倒しやすい。

そして『太閤記』に加えて、『信長紀』『信長公記』が生まれ、信長への過大評価がなされた。  

ーー

イエズス会の報告書が最近全訳されたことも、信長への過大評価を生んだ。  

ーー

さらに黒幕説も盛んだが、それは光秀の過小評価が原因だ。

黒幕とされたのは、本能寺の変で一番得をした人物、秀吉が最初だった。

ついで家康黒幕説がはびこったが、いずれも否定された。

証拠がないばかりか、時系列な事実比較を研究するだけでも、ありえないことがわかる。

ーー

ならば黒幕はいったい誰か。

黒幕説は朝廷説、足利説から、果ては毛利、長宗我部説となり、最近はイエズス会の陰謀という説まで飛び出している。

呉座氏は、これらひとつひとつを取り上げながらも、それぞれを一撃で退けている。

ーー

光秀は親友の細川藤孝にさえ事前の相談をしていない。

というよりも、黒幕がいるという話は、光秀を過小評価しているからだ。

ーー

以下は本書ではなく、評者の所論である。

ーー

第一に明智がもし天下を狙ったのであるなら、朋輩や仲間への打診、組織化を怠るはずがない。

ところが事前工作を展開した証拠がみつからない。

第二に明智が信長によってなされたひどい仕打ちに対する怨念を晴らしたと断定するには、これまた証拠が乏しい。

江戸時代に作られた資料はなぜか怨念説をでっちあげるための「作文」でしかない。

ーー

そして「本能寺の変」の後、織田家臣団、遺族を除く周囲の武将で、光秀を恨んだものがほとんどいない。  

徳川家康が光秀を恨んだり、あるいは主殺しとして遠ざけた気配がないのである。

家光の乳母に明智家臣・齋藤利三の娘を採用している。

それどころか日光東照宮の陽明門の随身像は桔梗紋(明智の家紋)の狩衣(かりぎぬ)をまとっている。

ーー

当時、北畠親房以来の天皇を守り抜く、すなわち国体を守るためには、信長を殺すほかないという認識があった。

となると、残るは「義挙」という可能性だ。

ーー

しかし本書の結論は「突発的単独説」であり、評者は、この立場を取らない。

ーー

佐賀の乱も、神風連の乱も、萩の乱も、秋月の乱も、そして西南戦争も、天下取りではなく、邪(よこしま)な政道への抗議であった。

それゆえ、その後にいかなる国家を建設するかという話はない。

ーー

ここで、呉座氏が無視した以下の書物を取り上げる。

井尻千男『明智光秀 正統を護った武将』(海竜社)

井尻氏は正統とは何か、なぜ正統なる価値観が重要なのかを追求した。

そして正統という価値観に立脚すると、明智光秀が本能寺に信長を葬ったのは「義挙」であるということになる。 

ーー

光秀の行為を「謀反」と位置づけたのは、評者(宮崎)は、秀吉だと踏んできた。

だが、井尻は秀吉より先に誠仁親王と、その周辺とみる。

公家、同胞の日和見により、土壇場で評価が逆転したことになる。

そして井尻氏はこの悲劇の武将の同類として二・二六の将校らを見いだすのである。  

ーー

井尻千男氏は、本能寺前後の朝廷、足利幕府残党、公家の動向を、わずかに残された古文書、日記(その記述の改ざん、編集し直しも含め)などから読み解く。

そして構想、実に二十年、畢生(ひっせい、一生の)の著作ができあがった。  

ーー

執筆動機を井尻氏は次のように言う。  

「小泉純一郎総理が皇室典範の改正を決意したと思われた頃、市川海老蔵演ずる『信長』(新橋演舞場)を観劇していたく感激したということがメディアで報じられた」

「そのことを知った瞬間、私は光秀のことを書くべき時がきたと心に決めた」

「思うに人間類型としていえば、戦後政治家のなかで最も信長的なる人間類型が小泉純一郎氏なのではないか」

「改革と伝統の破壊(ニヒリズム)はほとんど分かちがたく結びついていると言うことだ」

「市場原理主義に基づく改革論は伝統の破壊(ニヒリズム)と背中あわせになっている」

このことに「気づくか、気づかないか、そこが保守たるか否かの分岐点」なのだ。  

ーー

たとえば、「近代史家のほとんどが信長の比叡山焼き討ちを非難しないばかりか、その愚挙に近代の萌芽をみる」からである。

「宗教的呪縛からの自由と楽市楽座という自由経済を高く評価する」から誤解が生じるのだ。  

つまり「啓蒙主義的評価によって、信長の近代性を称賛する」。

ーー

保守のなかにも、そういう解釈がまかり通った。

ーー

信長の評価について、『政教分離』の功績をあげた会田雄次氏もそうだった。

信長は、中世的迷妄から、合理主義という近世を開いたのだと。

こうして、信長の「底知れぬ伝統の破壊(ニヒリズム)」を無視したのだ。  

ーー

伴天連宣教師に、仏僧と論争をさせたものの、信長はキリスト教の信者にはならなかった。

信長は伴天連を巧妙に利用しただけなのである。  

ーー

安土城跡・麓(ふもと)の総見寺のご神体は信長である。

また安土天守閣は「天主」であり、「天守」ではない。

このふたつのことからも信長の秘めた野心がほの見える。

ーー

信長は、伴天連の言う神デウス(天主)になることを夢見たのだ。

ーー

井尻氏はかく言う。  

「信長が、キリスト教という一神教に関心と好意を抱いたのは何故か」

「信長は一神教の神学に信仰ではなく、合理主義を発見した」

「神なき合理主義がほとんどニヒリズム(伝統の破壊)と紙一重だということに」、日本の哲学者、歴史家の多くが気づかなかった。

あるいは意図的に軽視した。

それが信長評価を過度に高めてきたのである。  

ーー

かくて信長は、正親町天皇に対して不敬にも譲位を迫り、誠仁親王を信長は京の自邸(二条御所)に囲った。

また威圧するために天皇と公家を招いて二度にわたる馬揃え(軍事パレード)を展開した。

そして、あろうことか征夷大将軍にしか許されない東大寺の天下第一の名香と謳われる「蘭奢待(らんじゃたい)」を切り落とした。

こうして信長は伝統と権威をないがしろにしてみせたのであった。

ーー

これを諫めようとした荒木村重一族を信長は想像を絶する残虐さで虐殺した。

ついに知識人が信長打倒で、ひそかに連合し、光秀をたのみ、光秀はとうとう正統を護るために義挙に立った。

亀岡城を出て京都を目指した光秀に従った主力は丹波兵である。

臨時の混成部隊でしかなかった。

ーー

大塩平八郎は決起に至る訴状を書いていた。

それを伊豆代官が握りつぶしたが、後年発見され、大塩の乱が義挙であることが判明した。  

赤穂浪士の義挙については資料がありすぎて、説明の必要もない。  

三島由紀夫は義挙であるという理由を「檄文」にしたため、当局が握りつぶすことをおそれて知り合いの記者二人を呼んで、写しを渡していた。

ーー

この点でいくと、明智は決起に至る理由を、おそらく檄文にして準備したであろう。

(秀吉がそれを握りつぶしたと考えられる)   

ーー

光秀の遺作「ときはいま天が下しる五月かな」の「とき」は土岐だろうという解釈だった。

井尻氏は、この遺作を、光秀が国体を護るための決意をのべた句であるとする。

『天』は光秀の天下取りの「天」ではなく、「天皇が統める国」、すなわち正統に戻すという意をこめて書かれたものだと。

『古今和歌集』の一節に遡及して、「かかるに、いま、天皇の天下しろしめす」こそが源流だと。

そして、「天」は天皇、下は「民草」、しるは「領る」、ないし「統治」と解釈する。  

光秀の本能寺での行動を尊皇思想と重ねると、東照宮の桔梗紋の随身など、全ての符帳が合うのである。

それにしても、光秀の義挙は、徳川の代になってからも、なぜか秘密にされた。

しかしそれは、見るものが見れば分かるようになっていたことになる。       

2018年5月21日 (月)

余命の「第二弁護士会設立に向け政治家との大同団結」という爆弾が、日弁連中心部で炸裂した

敗戦で日本では、占領軍によって旧体制破壊政策が採られ、メディアは禁止用語(プレス・ラジオコード)によって統制された。

この占領政策に協力し、占領軍が指定した禁止用語に基づき検閲をし、旧体制協力者として20万人もの人々を公職から追放し、その地位に成りすますことに成功した人々がいた。

そして彼らは敗戦利得者となり、戦後政財界・教育界・言論メディア、法曹界を支配したのであった。

ネット上では彼らは、在日・反日勢力と呼称されている。

ーー

ネット環境を手にして、戦後隠されてきたこのような事情を知るに至った日本人の中に、彼らの手から日本を取り戻し、日本再生をもくろむ人たちが現れた。

その一つが6年ぐらい前に出現した「余命3年時事日記(余命ブログ)」であり、このブログでも時々取り上げてきた。

ところがその内容を知られたくない在日・反日勢力は「余命ブログ」が表に出ることを恐れて一切触れないできたのであった。

ーー

その余命ブログがこの5月16日に、とうとう反日メディア(テレ朝)に取り上げられた。

ーー

在日・反日勢力が各都道府県・弁護士会会長名で「朝鮮学校補助金支給要求声明」を出していた。

それに対して、余命読者が、所属弁護士会に対して各都道府県・弁護士会会長の懲戒請求を出したからだ。

というのも、半島国は竹島を不当に占領しており、そのような反日半島人の教育を税金で支援せよと要求する行為は、日本国民の安全を脅かすものであるからだ。

したがって余命読者が、国民の当然の権利として、弁護士会に対し、当該者の懲戒を求めたのだ。

ーー

この懲戒請求に対し、一部弁護士から、弁護士業務を妨害された訴えるぞ、と脅しの文書が届けられるようになった。

しかし、余命読者は法に定められた国民の当然の権利を行使したに過ぎない。

反日弁護士側の一切の行為はいわば無理筋(違法行為)なのである。

ところがそういわずに、懲戒請求者にあたかも非があるかのように言う人たちがいる。

それに対して余命読者が全く非はないと解説しているので以下に抜粋編集してお目にかける。

ーー以下「余命ブログ」より抜粋編集

ーー読者「あまむし」

「日弁連」への「懲戒請求」で、在日・反日勢力が請求者に対して脅しをかけてきた。

「懲戒請求」を非難しているのだ。

懲戒請求そのものは合法なので、「やり方」について批判してきた。

ーー

中には、「余命はなぜ自ら懲戒請求をしないのか」と批判しているものがいる。

しかし自分が率先して顔を出している人たちは、反日勢力の壁を突き崩すような成果を上げていないのだ。

それでは勝てない事を自ら証明していることになる。

ーー

この人達は、「反日活動の拠点」と化した「司法」の現状を改革しようとは、微塵も思っていないのだろう。

ーー

「情報戦」は、元来「正攻法」が通用する世界ではない。

在日・反日勢力は、朝日・毎日の反日メディアを見ればわかるように「隠蔽と言論暴力を使った工作」に徹している。

つまり、それに対して正面からの攻撃を仕掛けたのでは、負ける。

これが戦後73年間も日本が破壊され続けた理由であることを知らねばなるまい。

ーー

「無法者」に対して、常識で攻めて勝てる訳がない。

ーー

余命自らが懲戒請求を行う事は、反日弁護士会に対して、こちら側の中心人物の情報を曝け出すことを意味する。

それでは勝てないのだ。

ーー

大切な事は、在日・反日勢力を殲滅することなのである。

敵は卑怯な手段を使いまくっている。

それゆえ、こちら側もそれなりの智慧を働かせねばならない。

ーー

余命は「これまで在日・反日勢力が日本人を奴隷化するために使ってきた手法」を用いているだけなのである。

1) 顔を出さない。
2) 本音を隠す。
3) 目的を明確にして戦略を練り、実際行動を起こす。
4) 集団による官邸メール等、持続的圧力を掛け続ける。
 
5) 外患罪の集団告発を実施する。
6) 弁護士懲戒請求を集団で行う。
7) 憲法で保証された言論的行動を遵守する。
8) 最終的な解決(殲滅)を、国家権力と軍事力に任せる。

余命はネット上に、事実のみを公表し、賛同を得て以上の方法で、大きな成果を上げつつある。

ーー

これまで余命ブログで明らかにされたように在日・反日勢力は言論メディアを支配しているだけではないのだ。

彼らは、膨大な組織と莫大な資金を持ち、日本の司法を乗っ取りかけている。

それゆえ彼らを攻撃殲滅することなど不可能とされてきたのだ。

憲法・法律に則った、社会的に保証された言論活動であるが故に、余命を攻撃する事は困難である。

逆を言えば、余命を攻撃する為には、「違法行為」を覚悟しなければならない。

それは、攻撃者自身の「違法性」を世に証明し、組織であれば「犯罪組織」として認定される結果を招く。

「事実のみを公表している余命」に対して、言論で攻撃しようとする人達は、自らの「虚偽」を公表することになる。

ーー

つまり、「余命」を攻撃れば、自らが「犯罪者(テロリスト)」となりかねない。

ーー

それらは、テロ三法、テロ等準備罪の対象となり、在日・反日勢力の活動資金が国際的に管理対象にされることを意味する。

さらに、有事となれば、在日・反日勢力に対しては、外患誘致罪の適用ともなる。

これら在日・反日勢力を締め上げる仕組みを、合法的に作り上げたところが、余命ブログの凄さなのだ。

ーー

在日・反日勢力が、余命ブログを攻撃すれば、それは「違法行為」となってしまう。

弁護士会による「朝鮮人学校補助金支給要求声明」は「憲法89条」違反だ。

それに対する、「弁護士懲戒請求」は「弁護士法(懲戒の請求、調査及び審査)第58条」で保証されている国民の「権利」である。

それを行使した事に対する攻撃は、「違法行為」にほかならない。

彼らが「余命ブログ」を表に出せば、その事実が、社会に公表され暴露される事になる。

ーー

従って、ほとんどの弁護士が黙って身を潜(ひそ)めざるを得ないのだ。

ーー

又、外患罪の告発についても、「有事がない限り意味がない」と公言して、外患罪告発の集団行動に対して批判しているものがいる。

外患罪告発は、3つの目的をもってなされた。

(1) 敵を明確に特定する。
(2) 敵に対して、具体的圧力を掛け続ける。
(3) 検察の「反日姿勢」を炙り出す。

ーー

同時に(4)「有事」になった場合、「外患罪告発」が発動される。

ーー

この「有事」という概念は、時の政権が「有事」と認めれば、「有事」となるものなのだ。

現状の日韓は、「竹島占領」で「有事」扱いしようと思えば、「有事」に指定できる。

北朝鮮との間でも、極めて「有事」に近い状況下にあると言える。

米朝首脳会談予定日6月12日を境として、何時「有事」になってもおかしくはない。

実際「有事不可避」の論調が、此処彼処(ここかしこ)に出回っている。

ーー

5月15日に発表された政府の「外交青書2018」には次のように書かれた。

「韓国による竹島の占拠は不法占拠」と。

これに対し急遽韓国政府は、「独島に対する日本側のどんな挑発にも断固対応していく」と日本政府に抗議している。

ーー

これは、いつでも、「竹島カード」を使った「有事」に入る事が可能だということだ。

政府は「有事対応」の情報発信を盛んにし始めている。

直近5月17日の「虎ノ門ニュース」において、萩生田光一自民党幹事長代行は、「有事の時の政府の対応について」と題して、

明確に、「有事対応の万全の準備」を公言している。

ーー

在日・反日勢力は、これまでずっと日本破壊活動を行って来た。

その活動の根っ子の部分が、「司法」であり、「検察」であり、「弁護士」であったのだ。

ここを攻撃しないでいたのでは、在日・反日勢力は安泰のままだということになる。

ーー

余命は「在日・反日勢力の具体的あぶり出し」をすることで、その本丸を突き止めてしまったのである。

余命との連携を宣言した「小坪しんや市議」に対して、さっそく批判、攻撃が行われだした。

ということは、余命の「第二弁護士会設立に向け政治家との大同団結」という爆弾が、日弁連中心部で炸裂した事を物語っている。

ーー

その背景には、特亜三国(支那・南北朝鮮)と、更にその背後で糸を引いていた「グローバル勢力(共産主義者・国際金融資本)」の敗北という構図が見えて来る。

「沈む船から逃げることネズミの如し」とはこういう光景を指すのだろう。

こういう実地勉強は、又とないチャンスである。

ここまでの道筋を付けられた余命翁とスタッフの皆様、余命読者の皆様に心から感謝いたします。(あまむし)

2018年5月20日 (日)

欧米による史観によって、「二つの帝国」が世界史から消された

ーー以下「宮崎正弘ブログ、書評」より抜粋編集(2017/3/6再掲

宮脇淳子『日本人のための世界史』(KADOKAWA)

欧米による史観によって、「二つの帝国」が世界史から消されたと宮脇氏は書いている。

その他に消されたものとして、たとえばコロンブスのアメリカ大陸の前にカリブ海にいた先住民族の歴史。

また英国人探検家がヴィクトリア瀑布を発見したと言うが、その瀑布はずっと以前から存在しており、当該地区には先住民がそれをながめて暮らしていたのだった。

コロンブスが大航海を思い立ったのは、ジェノバで明国(支那)の鄭和艦隊が作った海図を見たからだった。

この事実からすると、コロンブスが大航海時代の先駆者というのは、欧米史観によるのだということが分る。

ーー

マルコポーロは日本が黄金の国であると世界に吹聴したが、彼は、支那・甘粛省に一年以上留まってはいるが、日本には来たことがなかった。

吟遊詩人ホメーロスの叙事詩は、長い間神話とされていた。

ところがシュリーマンがトロイの遺跡を発見したことによってその内容は歴史となった。

ーー

欧米によって消された文明は、マヤ、インカ、シュメール、スキタイなど多い。

現在の世界史の教科書から消された「二つの帝国」とは、「モンゴル帝国」と「大日本帝国」である。

「戦前の西洋史と東洋史はいちおう、それぞれ古い時代から近代に至る物語があり、話の辻褄も合うものでした」

「戦後の世界史は、西洋史と東洋史を年代ごとに輪切りに並べた」だけであり、物語が無くなりつまらなくなった。

ーー

「戦前の西洋史、東洋史そのものにも大きな問題があります」

「現在の支那やロシアは、十三世紀にはモンゴル帝国の一部でした」

「ドイツやハンガリーもモンゴル軍の侵略を受け、モンゴル軍はもう少しで、ヨーロッパ全土を征服する」ところであった。

モンゴル軍がウィーンまで行っていれば、西欧は今ある姿とは違っていたはずだ。

モンゴル軍は支那・ロシア・インド・イランを蹂躙し支配した。

この事実を隠したい人々が、「モンゴル帝国」の歴史を消してしまったのだった。

ーー

ちなみにシベリアの語源であるシビルは鮮卑である。

鮮卑は隋や唐を興したが、漢族ではない。

ーー

それではなぜ日本で、「大日本帝国」の歴史が消されたのか。

連合国占領軍が、戦前の体制を破壊する占領政策を実施した際、その政策に協力し利権を得た人たちが、日本人に戦争責任を教育したからだ。

この敗戦利得者こそ、ネット住人が在日・反日勢力と呼んでいる人たちなのである。

戦後の歴史学会を牛耳った人々も、これら敗戦利得者の一味だった。

そして戦後戦勝国を主張する支那・南北朝鮮は帝国軍に蹂躙され支配された事実を隠蔽するよう彼らに命じた。

彼らは、敗戦によって得た現在の地位を守るために、「大日本帝国」の歴史を消した。

つまり日本人の視点で「歴史を構築すること」をしなかった。

このようにして、敗戦利得者の一味によって自虐史観が守られてきたのだ。

しかし実際は、この二つの帝国が、「人類の歴史にほんとうに大きな役割を果たした」と宮脇氏は書いている。

ようやく、私たちは、「大日本帝国」の物語を読めるようになった。

時代が大きく変わろうとしているように感じる。

2018年5月19日 (土)

共産主義者が権力者となると、残酷な結果をもたらす

ーー以下「宮崎正弘ブログ読者の声」より抜粋編集

巷の週刊誌が、マルクス生誕200年ということで、マルクスを取り上げています。

しかし、彼が偉大な思想家だったというのは全くのでたらめなのです。

またメディアは、格差が広がっている今、その解消の方法を示したマルクスが望まれていると宣伝しています。

が、ソ連で行われた事実はそれが嘘であったことを証明しています。

むしろ現在の人類の混乱の最大の原因は、マルクスにあると云っても過言ではありません。

彼の誤った主張が、白色ユダヤが支配するメディアによって世界中に宣伝・広報されたために、人類の歩みを大きく歪(ゆが)めてしまったのです。

ーー

そこで私は、マルクス生誕200年を記念して、マルクスの罪状を具体的に列挙し、真のマルクス像を提供したいと思います。

ーー

1、自らの思い・暴論をヘーゲルの言葉で粉飾して、人類を惑わし、人類にいらざる混乱と不幸をもたらした。

2、自分と外界、つまり観念と物質世界を統一して築き上げられた、ヘーゲルの観念論の体系をマルクスはわざと無視した。

そして、ヘーゲルの観念論を、宗教と同一視して否定してしまった。

その結果ヘーゲルが目指した、人類の宗教からの自立を不可能にしてしまった。

3、ヘーゲルの弁証法に似せた唯物弁証法なる紛い物で、人類を惑わし混乱へと引きずり込んだ。

4、ヘーゲルの国家論を否定した結果、マルクスは、人間を解放せず、かえって不自由にしてしまった。 

5、マルクスの階級闘争史観が支持されたのは、奴隷の存在を許す階級社会に於いてだった。

世界は日本以外は、奴隷の存在を許す階級社会だったのだ。

それを根本的に克服(止揚)する道を示したのが、じつはヘーゲルの観念論だった。

しかし、マルクスは、それを曲解したため、共産主義者が権力者となると、残酷な結果をもたらすことになってしまった。

ーー

その理由として二つ上げられます。 

ヘーゲルは人間の開放を欲望充足と社会道徳との統一であると説いている。

6、マルクスは、人間の解放を、抑圧を跳ね返し欲望を充足することだとしてしまった。

つまり抑圧からは、無条件に開放されるべきだと主張した。

そこには人間としての質の向上こそが人間の真の解放だという視点が全くない。

7、抑圧からの解放が人間解放であるとした、その結果、女性がちょっとでも不快に思ったらそれはセクハラだという議論が起こり、

女性は性差からも開放されるべきだという議論が起こる原因となった。

他方でメディアは美女を商品扱いしている。

また、同性婚を認めない言動は直ちに批判される。

これでは男女の共生は困難となり、社会が絶滅しかねず、彼の理論は、人間に不幸をもたらすことになる。

ーー

ヘーゲルは、人間の自由について、「法の哲学」の中に書いている。

「自由とは必然性の洞察である」と。

じつは、日本においては、自由とは、道理にかなったもの、分をわきまえたもののことであるとされてきたのです。

自分さえ自由を得ればよいということでは、相手そして世間(社会)が迷惑をこうむる。

つまり日本において自由とは、自分よし、相手よし、そして世間よしの「三方よし」で初めて得られるものなのです。

ーー

8、最後にマルクスは、「資本論」を書いて、剰余価値が資本主義を成り立たせていることを示した。

ところが彼は、剰余価値=悪、資本主義=悪とすることで、資本主義国家を否定してみせたのだ。

こうして彼は自分が生きている国家を否定することで、白色ユダヤの劣情を満足させ、同時に世界に混乱の種を撒くことに成功したのである。

ーー

マルクスが為すべきだったことは、資本主義の仕組みを社会の中に位置づけて、その意義を明らかにすることだったのです。(稲村正治)  

2018年5月18日 (金)

ユダヤ人が磔刑にしたユダヤ人をユダヤ人のパウロが救世主に仕立て上げた

ーー以下読者投稿より抜粋編集

ソロです

イエスはユダヤ人の内部抗争の結果、磔刑に処せられ死ぬのです。

多数派のファリサイ派が、異端視していたゲッセネ派の教師(士師)イエスを、ローマの力を借りて抹殺したのです。

その罪状はナザレのイエスが、「ユダヤの王」を名乗ったというものでした。

つまり、ユダヤ人がイエスを死刑にせよと言った。

そしてイエスを死刑にすると決定し・執行したローマの執政官・ヘロデ王もユダヤ人であったのです。

ーー

一人のユダヤ人がユダヤ人によって殺された、このことに、何故「世界が関係する」のか?

ーー

当時のローマ世界では、「神」と言えば、殺生与奪の権力を持つ存在を意味した。 

これでは権力をめぐる争いが絶えることがない。

権力者は、絶えず命を狙われる存在であり、為政者に真の平安は訪れない。

ーー

しかし平安をもたらす方法がわからない。

ユダヤ人は救世主(メシア、キリスト)が現れユダヤ人を救うという信仰を持っていた。

ローマ人は、ユダヤ人が、ユダヤの王・イエスを謀殺した事を知る。

そこで、ローマ人は、「イエスは、実は、ユダヤ人のメシアであった」と言う噂を流布して、ユダヤ人を不安に突き落とした。 

ーー

ユダヤ人たちは、イエスが生前に説いた話が、ユダヤ人たちの心を打って居たことを思いだし不安に駆られたのだった。

ーー

そんな中にファリサイ派の教師(士師)パウロがいた。

かれは、「イエスは、ユダヤの神が地上に遣わしたメシアで有った」と吹聴した。

これを、平和な世の中を願う、民衆の多くが信じたのだった。

もちろんパウロ以外のファリサイ派は、それを異端視してゲッセネ派を殲滅(せんめつ)しようとする。

ところが、パウロはあらかじめ話をつけていたので、ローマの執政官(ユダヤ人)は動こうとしない。

ーー

それに憤ったユダヤ人らは、蜂起して、エルサレムの神殿を根城に、反ローマ=ユダヤ独立運動を始めてしまう。

しかし西暦70年、教師(士師)フラビウス・ヨセフスの裏切りに拠って、このユダヤ戦争でユダヤ人は全滅してしまうのです。

イエス死後、37年目の事です。  

ーー

以上は、私の妄想に過ぎないかもしれません。 

ーー

でも当時のローマ人にはモゥ「戦争は御免だ」と言う厭戦気分が有ったのでしょう。

パウロが仕組んだ「救世主(メシア、キリスト)」への信仰は瞬く間にローマ帝国内に広がる。

イエスとパウロが作り出した、「信じる者は皆すべて救われる」と言う宗教は、ユダヤ人にとってもローマ人にとっても、とても魅力的だったのだと思います。

こうしてキリスト教は西洋人の骨肉と化したのです。

西洋人のキリスト教への精神的な依存度は、我々日本人の想像を絶する程高いのです。

(トランプ氏の最大の支持基盤はキリスト教福音派)

ーー

ウナムーノは、「神曲」「失楽園」に続く、伝統の宗教詩「ベラスケスのキリスト」を7年もかけて書き上げている。

ーー

ユダヤ滅亡後、300年程経った頃に、ユダヤ再興運動が起こり、これもローマ軍によって鎮圧されます。

以来ユダヤ人は世界を流浪することになります。

そして、ローマはパウロが作り上げたキリスト教(ゲッセネ派ユダヤ教)を国教にしたのです。

(キリストは、ヘブライ語のメシア(מָשִׁיחַ)のギリシア語訳 Χριστος (Khristos クリストス、フリストス)からの、日本語における片仮名表記)

ーー

ユダヤ人が磔刑にしたユダヤ人をユダヤ人のパウロが救世主に仕立て上げた。

こんな経緯で成立したキリスト教ですから、復活の話は、贖罪の話でしかないと思います。 

イエスを殺した罰を懼(おそ)れ、それから逃れる為のユダヤ人得意の嘘でしかない、と思います。 

この嘘を、嘘だと言えなかったのが、キリスト教が信仰された西洋の状況だったわけです。

2018年5月17日 (木)

キリスト教の宣教師たちは侵略の先兵だった

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

平川靜『戦国日本と大航海時代』(中公新書)

本書は書かれるべくして書かれた、正当な歴史書である。

あの大航海時代に、世界を荒らし回ったスペインとポルトガル。

スペインはフィリピンを植民地と化し軍事拠点としていた。

そして厳重に武装を固め、日本からの攻撃に震えながら備えた。

ーー

日本は世界最強のスペインの侵略を跳ね返したばかりではなかったのだ。 

こうした真実は、戦後長きにわたって歪められて解釈されるか、無視され続けた。  

ーー

近年、キリスト教の宣教師たちが侵略の先兵だったことは広く知られるようになった。

貿易の利を吹聴しつつ、ホンネはいずれ日本をまるごとキリスト教の植民地にする。

日本に運ばれる珍品は、ときに彼らが倭寇も顔負けの海賊行為を働き、ほかの貿易船から盗んできたものだった。

ようするに南蛮船とは海賊船と同義語でもあった。  

ーー

異教徒の宣教師が日本に上陸して布教を始めたのは九州が最初だった。

大友氏、島津氏、そして長州では大内氏が異教に寛容だった。

なにしろ彼らは、彼らの神を大日如来にして大名に取り入ったのだった。

そしてマリアは観音菩薩に模された。

いったん受領されると、彼らは、信者らに神社仏閣を破壊させた。

それを神仏混交の仏僧らは強く抗議していた。

ーー

信長は比叡、石山ならびに伊勢の一向一揆に手を焼いており、この当面の敵に対応するためにキリスト教を利用しようとした。

それゆえ信長はキリスト教の布教を許したのだった。

ーー

正親町天皇は、僧侶らの抗議を受け入れられ伴天連追放の綸旨(りんじ)を出されていた。

信長は、「馬揃え」(軍事パレード)にそんな天皇と、宣教師のウォリヤーノ(イエズス会インド管区巡察師)を同席させたのだった。

平川氏は、「この演出(パフォーマンス)は諸大名向けというに留まらず、まさに天皇とイエズス会の上に信長が君臨するというメッセージ」だと解釈する。  

ーー

「ザビエルが来日してから、わずか40年にして、日本のキリシタン人口は約20万人あるいは30万人に達したといわれている」

「この勢いに気をよくしたイエズス会は、切支丹大名を支援して日本をキリスト教国に改造することを構想していた」  

そのうえ日本人を拉致し、アジアからインドへ奴隷として売り飛ばして巨富を稼ぎ出した。

ーー

宣教師らは、戦国大名の何人かをキリスト教で洗脳し、当該藩内では社寺を打ち壊させた。

まさにキリスト教の野望、止まるところがなかった。  

宣教師らは、本国への報告文の中で、「大名を煽動して、シナ侵略の手先につかえば、日本の武士の戦闘力は高いから、きっと役に立つ」と述べている。  

ーー

秀吉は早くからその脅威を認識していたが、全面禁止に到らなかったのは、かれらが運んでくる文明の利器、世界情勢に関する鮮度の高い情報が必要だったからである。  

しかし「朝鮮出兵によって日本は、朝鮮および明国の軍隊と干划(かんか)を交え」

「それと前後して、世界最強といわれたスペイン勢力にも服属を要求するなど、強硬外交を展開した」

「朝鮮出兵という、日本による巨大な軍事行動は、スペイン勢力に重大な恐怖心を与えた」

ーー

フィリピンに駐在したスペイン提督はマニラに戒厳令を敷いた。

軍事大国としての日本の存在は以後、世界史に登場することになる。  

フロイスやヴァリヤーノよりも強烈な野心を研いで日本侵略の野望を捨てなかったのはコエリョだった。

コエリョは日本準管区長であり、日本における信者獲得実績を誇大に報告して成績を上げることにも夢中だった。  

ーー

「コエリョは大量の火縄銃の買い付けを命じ」

「有馬晴信や小西行長などの切支丹大名に反秀吉連合の結成を呼びかけた」

そして、「フィリピンの総督や司教に対して援軍派遣を要請した」  

むろん、コエリョの要請をマニラのトップは(戦えば負けることが分かっていたので)拒否した。

ーー

戦っても日本の圧倒的に強大な軍事力に勝てる目途(めど、見通し)がなかったからだ。  

ーー

家康の時代になっても、キリスト教宣教師らは野望を捨てていなかった。  

家康に巧妙に近付き、御追従と嘘を繰り出しつつ、何としても布教権を獲得しようと多彩な工作を展開した。  

日本をキリスト教国に仕立て直し、スペイン国王の支配下におく企みは進行した。

ーー

日本の強大な軍事力を前にして、「武力による征服は不可能と悟った」ため、「布教による征服」に切り替えたのだ。  

ーー

スペインは、メキシコ原住民(インディオ)を残虐な方法で殺戮して支配下に置き、同様にフィリピンまで植民地支配することに成功していた。

しかし次の日本を征服するという構想については捨てざるをえなかったのだ。

臨時フィリピン総督なったビベロが、日本各地をまわって、次のように感じたからだった。

「要塞堅固な城郭に驚嘆し」

「日本の軍事力の強大さ、強硬な日本外交を肌身に染みて感じていた」

ーー

彼は、「日本を征服するどころか、逆にマニラが日本によって征服されるのではないかとすら恐れ」たのだ。  

ーー

家康は新興勢力だったイギリスとオランダを世界の情報源として重宝し、かれらが「布教を条件としない」ことで貿易を認める。

それが平戸と出島だった。  

こうして明らかとなってきたことは、日本の歴史学が閑却した朝鮮出兵の真実である。

秀吉は、スペイン・ポルトガル、イギリス・オランダの正確な情報を認識し、国際情勢に素早く対応していたのだ。

ーー

徳川家康は、キリスト教・布教に潜む侵略の野心を把握していた。

折りから台頭してきた英国とオランダの情報を分析してバランスを取り、とくにオランダを貿易で徹底利用した。

当時の日本の指導者には国際情勢を分析できる、情報源と確かな判断力があったのだ。

ーー

信長の行く手を阻んだのは比叡山の僧兵であり、雑賀(そうか)衆であり、しかも寺社勢力は武装していた。

信長自身は法華経を信じていた。

比叡の軍事力を殲滅するにはキリスト教という新興宗教の力が必要だった。

そして、かれらがもたらした火縄銃という、新兵器の魅力も大きかった。  

ーー

秀吉が前期にキリスト教に寛大だったのは、信長の後継として、外国からもたらされる文明の利器と、マニラを経由して入ってくる国際情報だった。

しかし秀吉は、切支丹大名・高山右近が、領内の寺社を破壊し、硝石と引き換えに領民を奴隷として売っていたことを知り激怒する。

さらにキリスト教徒が日本侵略の牙を研いでいることを知らされた秀吉は伴天連追放に踏み切る。

ーー

家康はもともと浄土宗の信者である。

三河時代から一向一揆の反乱に手を焼いて、大樹寺に助けられて以来、浄土真宗をいかに政治に取り入れるかに腐心する。

同時に家康はスペイン、ポルトガルとは異なった一派が勢力を拡げている事情を英国人ウィリアム・アダムスとオランダ人のヤン・ヨーステンから知った。

それゆえキリスト教の布教を認めず、しかし貿易のために英国には平戸を解放し、オランダ人も通商に限定して、長崎出島への寄港を許した。

ーー

天草でのキリスト教徒の反乱を鎮圧して以後徳川幕府は、管理貿易「鎖国」を幕末・明治となるまで維持したのであった。

ーー

明治政府もまた、キリスト教への防波堤として、尊王思想を奨励し、薩摩や水戸では過激な廃仏毀釈がおきた。

ーー

宗教勢力が政治に介入すると、自由・法治・民衆政治という近代精神が破壊され、イスラム諸国のような「コーランが法」のような状況になる。

政治と宗教は切り離すことが近代政治の常識となっているが、日本では、すでに信長の比叡山焼き討ちによって実現していたのである。

ーー

戦後占領軍によって、日本史からキリスト教の侵略性を消す作業がなされた。

それに協力する在日・反日勢力によって「鎖国」が日本の後進性の原因になったという教育がなされてきた。

本書は、それら占領軍の悪意のある作為を取り除いている。

そこに現れた秀吉・家康がキリスト教を弾圧し「鎖国」した理由は、宣教師らが「日本人を奴隷にして売っていた」という衝撃的な事実なのである。         

2018年5月16日 (水)

復活は、余計なことのように思える

ーー以下「宮崎正弘ブログ書評」より抜粋編集

ミゲール・デ・ウナムーノ著、執行草舟・監訳、安倍三崎・訳 『ベラスケスのキリスト』(法政大学出版局)

今年は日本とスペインの国交樹立150周年、そしてサラマンカ大学創立800周年であり、本国スペインばかりか、日本でも多彩な行事がある。

サラマンカ大学と言えば、著者のウナムーノが学長をつとめた名門校であり、翻訳者の安倍さんが留学したところだ。

今上陛下が皇太子時代に訪問された大学であり、先ごろスペイン大使館が開催した記念式典にも、天皇皇后両陛下がおでましになった。  

ーー

当該「ベラスケスのキリスト」が展示される「プラド美術館」はスペインのマドリッドにある。

世界中から、この美術館には名作群を見ようと美術愛好家がやってくる。

ツアー客も列に並ぶので、周辺にはバスの駐車場もないほど混み合う。

じつは評者(宮崎)は、三年ほど前にマドリッドに滞在した折、ここにも行った。

展示室はひろく、そこで座り込んでスケッチしている学生がたくさんいた。

写真撮影もフラッシュだけ禁止されているが、自由に撮れる。

ーー

ところがあまりにも夥しい作品展示なので、肝腎の「ベラスケスのキリスト」を見損なった。

ーー

ウナムーノは、この「十字架のキリスト」を見て霊魂が揺さぶられた。

感動したウナムーノは、七年の歳月を費やしてこれを書き残した。

この作品は、ヨーロッパのキリスト教の伝統「神曲」「失楽園」につらなる宗教詩であり、その伝統を持たない日本では、読み解くのが非常に困難であった。

それゆえこれまで、日本では完訳がなかったのだった。

ーー

近代が、何であるのか。
近代の生命とは何なのか。
それは、どこへ行くのか。
そこに生きる我々は、いったい何者なのか。

監訳者の執行草舟氏はこの「ウナムーノの叫び」について、それは、「近代人の雄叫びを彷彿させる」と書いている。

ーー

そして解説を書いたホアン・マシア司祭(前上智大学教授)は、こう言う。

ウナムーノは、ベラスケスのキリスト像を見て、「死の逸話を描こうとしたり、またそれを語ろうとし」た訳ではない。

「『生きている者』への賛美」を語ろうとした。

そしてこの『復活した者』(キリスト)こそ、「生と死の謎を前にしたウナムーノの問いに対する、答えなのである」(p358)と。

ーー

イエスの頭上には板が打ち付けてあり、そこには、ヘブライ語、ローマ語、ギリシャ語で「ナザレのイエス、ユダヤの王」という罪状が記されている。

イエスを嘲笑するこの言葉は、こののち、≪INRI≫と四文字で示されるようになった。

この男が、17世紀以降の世界を支配し、日本人のみならず多くの人々を奴隷にし苦界に沈めた張本人なのだ。

そのことを考えれば、白人種以外の人々には、ウナムーノとは別の感慨も起ころうというものである。

ーー

多くの日本人は、ベラスケスのキリストを見て、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉を思い浮かべるのではないか。

イエスはこのような死に方をしたからこそ、キリストとされ、そしてのちにベラスケスにキリスト像として描かれた。

佐賀藩士・山本常朝によって口述された『葉隠』の一説を知る日本人にとっては、復活は、余計なことのように思える。

「ベラスケスのキリスト」はまさに「死ぬこと」を描いたものではないのか?

2018年5月15日 (火)

しかし日本国憲法に書かれた「人権」と、欧米における「人権」とは、実はまったく異なる概念なのです

ーー以下「ねずブログ」より抜粋編集

日本国憲法には、人間は、誰もが生まれながらに基本的人権を持つと記載されています。

学校では、「人権」は、  

1215年の英国のマグナ・カルタ
1628年の権利の請願、  
1679年の人身保護法、  
1689年の権利章典等において権利や自由の尊重を求めた

と教えられます。  

そしてさらに国王の絶対主義的支配から、民衆が自分たちの権利を護るためにこれらの要求が行われ、これが近代人権思想へとつながり、

18世紀には市民革命として王制が否定され、  
1776年には米国バージニア権利章典、  
そして1789年のフランス革命での市民の権利の宣言へとつながった

と教わる。

ーー

しかし日本国憲法に書かれた「人権」と、欧米における「人権」とは、実はまったく異なる概念なのです。

アメリカの独立宣言に米国での人権という概念が書かれています。

We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the pursuit of Happiness.

(訳) われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。すべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている。 その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。

(学研M文庫訳)我らは以下の諸事実を自明なものと見なす。すべての人間は平等につくられている。創造主によって、 生存、自由そして幸福の追求を含む侵すべからざる権利を与えられている。

ーー

ここで述べられているように米国では、 「人間が持っている生命、生存(Life)自由(Liberty)幸福追求(Pursuit of Happiness)の権利は、「神から与えられた」 としているのです。

「神から与えられた」のですから、当然のことながら西欧的な意味においては、神を信じない者、異教徒、神を信じる者に害をもたらす犯罪者、非合法手段を用いる者などには、人権も権利もありません。

もっというなら、

悪党が暴力を振るう権利、
人が泥棒や強姦などの悪事を働く権利、  
未成年の少女が自分の意思で売春をする権利、  
他民族が自国に住み着いて勝手し放題をする権利、  
国家転覆を企む反国家行為を行う権利、  
自国の領空や領海を侵犯する他国の権利

などの一切の権利は、神の意思として否定されます。

ーー

ですから米国の独立宣言にしても、不義を許さないということを、「創造主(=神、Creator)」と 「通義(義を行うこと、権利=Right)」という語で、示している。

ーー

しかし日本での権利は、不義を行う者にも生命、生存、自由、幸福追求することができるとされている。

さらに人権は、国籍や出自、思想にかかわらず、すべての人に備わった憲法以前の自然権であり、その自然権を憲法は保証している。

だから、外国人に対しても日本人に対するのと同様の社会保障(生活保護)が行われています。

ーー

しかし「Right」という言葉は、本来、神が与えたもうたものなのです。

例えば、欧米では、領空領海を侵犯された時点で、即刻撃墜、撃沈するのが、あたりまえだと考えられている。

それこそが「Right」(権利(通義、人の道を行う))であるとされているのです。

国民の生存権を護ることが国家の役割と考えられているからです。

ーー

「権利」という日本語は、幕末の秀才、西周(にしあまね)が「Right」を訳した言葉です。

これについて福沢諭吉は、「権利」という訳に、猛然と反発しています。

そして福沢諭吉は、「権利」という訳語では必ず道を誤る、「Right」は「通義」と訳すべきであると主張したのです。

ーー

米国の独立宣言も、福沢諭吉訳では、通義を使って訳しています。

「天の人を生ずるは、億兆みな同一轍(わだち)にて、これに附与するに動かすべからざるの通義を以ってす。すなわち通義とは、人の自から生命を保ち、自由を求め、幸福を祈るのたぐいにて、他よりこれをいかんともすべからざるものなり」

「わだち」というのは、道路などにある車輪の跡のへこみです。

つまり人の道です。

ーー

諭吉は「Right」を「通義」と訳し、これは「人の道である」と説いたのです。

現行憲法の、もとになっている英文も、基本的人権の原文は「Right」です。

つまり、現行憲法で言われている人権は、「人の道を行う」ことをいうのです。

ーー

日本においては、欧米における神の地位にある存在は、アマテルカミの血筋である天皇です。

従って人権も権利も日本人なら、 「天皇によって与えられた人の道である」 とするのが、本来あるべき解釈です。

つまり、基本的人権というのは、まともな日本人にのみ与えられるべきものであったのです。

しかし日本人は、権利という言葉を使ったために、福沢が懼(おそ、心配)れていたように、人権を、誰もが生まれながらにして持っている権利だと誤解してしまった。

その結果、在日・反日勢力や犯罪を犯した悪党が、「お前らは国民の敵だ」という人に対して、レイシスト(差別主義者)だといって批判している。

ーー

世界の常識に従えば、日本は天皇を中心とする君主国です。

そして君主国であれば、その国の人権(Human Right)や権利(Right)とは、 「皇民としての道」 だけを意味します。

それ以外の一切の意味を持ちません。

ーー

人権というのは、人間が持つ当然の権利ではないのです。

欧米人なら、神を信じ、神の意思としての正義を貫くことが、人権(Human Right)であり権利(Right)です。

日本なら皇民としての道こそが「権利、通議(Right)」です。

そもそも権利が生まれながらにあるというならば、犬には犬権、猫に猫権、蚊には蚊権、ゴキブリにはゴキ権がなければなりません。

蚊やゴキブリが血を吸ったり台所を荒す行為さえも、これを彼らが生まれながらにして持つ当然の権利であって、何人もこれを侵害してはならない、とするのでしょうか。

実に馬鹿げた発想です。

ーー

人権や権利なる言葉は、非常に誤解を招きやすい言葉です。

使い方を間違えれば、悪党のわがままや身勝手を擁護するものになってしまう。

ですから、Rightが「人の道を行う」を意味することを、ちゃんと教育しなければならないのです。

ーー

それを「無条件に主張できる」ことだと教えられているから、「人の道を行う」まっとうな民衆が、悪党や侵略者たちによって虐げられるという結果になるのです。

ーー

欧米では、この「Right」の意味は、学校でかなり厳しく教え込まれます。

かつて、国王の権力は神の名のもとに正当化され、国王は民衆の生命財産を、欲しいままに奪うことができた。

つまり民衆は王の奴隷であり、それが正当化されていたわけです。

けれども本来、人は神のもとに平等である。

だから、人は奴隷としてではなく、「生まれながらにして神の意思に沿って清く正しく生きる正当なRight(権利)がある」と教えられるのです。

ーー

そして王権から、そうした民衆が正しく生きようとする行為(RIght)を守るために、大憲章(マグナカルタ)が書かれた。

そのようにして民衆の権利が請願され、民衆の意思が尊重される民衆政治democracyを構築してきた。

これが、彼ら欧米人の発想であるわけです。

ーー

ですから欧米人は、外国人が自国内で悪辣な行為に及べば、それは神の意思、民衆の意思によって、これを排除します。

悪党が拳銃を持って家宅侵入すれば、これを容赦なく撃ち殺す。

なぜなら神のもとに正しく生きることを邪魔だてする者は、人が神のもとに正しく生きようとする行為(RIght)を侵害する者だからです。

きわめて合理的な発想です。

ーー

これに対し日本にはもともと奴隷という制度はありません。

日本では、民は天皇の「おほみたから」であり、権力者(臣)は天皇の民の幸せな生活を守り護るためにこそ存在する。

日本における権力者は、天皇から委託を受けて、天皇の民の安全と安心と生存を守るためにこそ存在する者です。

日本書紀では、天皇は「大君(おおきみ)」です。

そして、民衆は「おおみたから」です。

ーー

そしてその「おおみたから」に対して、日本書紀は「黎元」という字をあてています。

「黎元」というのは、稲作をする人たち、つまりお百姓さんのことをいいます。

民衆は天皇の宝であり、権力者というのは、その宝を守るために存在したのです。

それがシラスという古くからある大和言葉の意味です。

ですから全国の大名は、もともとは守護大名です。

ーー

守護というのは、天皇の宝である民を守り、護るから、守護なのです。

ーー

「人権」は、人の持つ通義、すなわち「人の道を行う」ことです。

そして「人の道」は、天賦のものではありません。

人として教育を受け、人の道をわきまえるようになって、はじめて人の道としての権利を主張できるのです。

生まれながらにあるものではないのです。

ーー

たとえば、人には自分の生命を守る権利(生存権)がある、といいます。

それは人の道に外れない者にのみ許される権利です。

だからこそ、人殺しや悪党には、死刑が課される。

ーー

要するに、人殺しや悪党には権利も人権も、はなから存在しない。

そうしないと社会も文化も維持できなくなり、崩壊してしまうからです。 

お読みいただき、ありがとうございました。

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